インドへ行って来ました!③ 【独り言】 [徒然日記]
インド旅行記、まだ2日目です。
次に訪れたのは、タージ・マハルのすぐ近くにある、アグラ城。
赤い石でできた、こちらも美しいお城です。
しばし、写真館でお楽しみ下さい。
ひとまず外観。
門のようなところを抜けて行きます。
これもまだお外。
入り口は狭いね。
この坂道、滑り止め、として、道にはわざとでこぼこになるように、石が刻まれていて、なかなかの技術なんです。
見えたー。
これは、最古のお風呂、らしい。
中にも階段がついていて、さらに湯を抜く栓までついているらしい。
覗いた方が言ってた。
入り口の壁には、実に3つの宗教のシンボルが描かれているのだそうだ。
なぜかと言えば、3人の奥さんは、ヒンドゥー教(星型)、イスラム教(アーチ型)、仏教(蓮)と、それぞれだったから、との事。
女の順序って、なにかと難しいからね、
夫が気を使う訳だ。
ここも3種の柄になってる。
ヒンドゥー教の場合、模様がゾウの形をとってて、なかなか楽しいです。
写真がややピンボケで分からないかな。
これも美しいですね。
でも、これは、イギリス領下になった時に、宝石だとか金だとかは、全部、持って行かれてしまって、その残りなのだそうよ。
これは雨水溜めるヤツだったかな。
熱い国なので、涼しくする小技があちこちにありました。
窓のようなところから、実にタージ・マハルが美しく見えるのよー。
ほらね。
ここは、タージ・マハルを作った王様が、実の息子に幽閉されていた場所。
外観は、赤い石でできていて、それもそれで美しいのだけど、中は大理石で出来ていて、白かったりする。
このコントラストが、また美しいよ。
彫刻もびっしり。
これは、一部だけ、宝石や金が取られずに残っているところ。
ほんの一画だけど、他の場所より断然美しいの。
これ、全部が残っていたら、そしてそれが保護されていたら、と思うと、非常に惜しい。
ここは、さっきの王様が幽閉されていた場所を、中から見たところで、ここで王様は、タージ・マハルを見ながら、亡くなったのだそう。
幽閉といっても、すごく開放的な見た目なのよ。
でも、地上ははるか下。
落ちたら死ぬし、部屋の戻るところを通れなくされたら、やはり幽閉になるな、と。
これは中庭のようなところ。
ここは、王様が下々のものと謁見するところ。
奥まったところが、王様の場所で、次にエライ人がきて、民衆はさらにその後ろにいるんだって。
タージ・マハルと、アグラ城。
どちらもインドが誇る、非常に美しい建造物にして、観光地。
近いからすぐに行けるし、どちらも見るには便利。
アグラ城は入るのに警備も厳しくないよ。
タージ・マハルは、世界遺産から、余計に厳しいのよね。
タージ・マハルは王様の建造物。
アグラ城は確かお妃様の建造物。
ともすると、タージ・マハルは男性的、アグラ城は女性的に、見えなくもない、かな。
スケールが大きい、とても雄大な場所です。
確かに、インドに行ったら、ここは見とかな、ってところですね。
あっという間に、夕食の時間。
さっきお昼を食べたばかり、な気もするけど、気にしない気にしない。
夕食は、お昼を食べたレストランが用意をしてくれた、お弁当です。
インドで、お弁当って習慣があるのかないのか知らないけど、お昼を食べている時、白い箱がいっぱい並んでいて、何に使うんだろうって思っていたら、これだったのね。
ははっ、納得。
箱の中身はなんだろな。
てな、感じで、こんなんです。
タンドリーチキン。
ちょっぴりぽそってしてたけど、お味はまぁまぁ。
インドではマンゴーが採れるので、マンゴージュース。
これ、実は私とMKちゃんのだけ種類が違ってて、しかもストローがついていなくって、自力でこじ開けて飲みましたよ。
私、逞しいからハサミなんかなくてもいいの。
一度でいいから、生のマンゴーを剥いて食べたかったなぁ・・・。
これはチーズのホットサンド。
インドは乳製品が美味しいから、とってもシンプルなサンドなのに、中のチーズが美味しくって、あなどれませんよ。
これは、ナンを焼いて、中にカレーとかを挟んだもの。
ちょっと油っぽくて、美味しかったけど食べ切れなかった。
これ食べちゃってたら、間違いなく胃もたれ決定だったと思うから。
あと、バナナとゆで玉子がついてた。
結構、盛りだくさんよね。
バナナがさ、完熟バナナで、また美味しいの。
皮が厚くて、剥くと中身は小さいのに、日本と違って、現地でちゃんと熟してから収穫していると思われるバナナだから、甘みが自然で、とても美味しい。
日本のバナナは、渋みが残ってて、ややウソっぽい感じがするけど、インドのバナナは全然そんな感じしなかったから。
あと玉子ね。
私はお腹一杯で食べられなかったから、他の人が食べているのを見ていたのだけど、本当に黄身が白いのよ。
ちょっとした衝撃。
だから玉子焼きも白かった。
黄身がないんじゃなくって、白くて白身と一緒になっちゃってただけ。
どうりで美味しい訳だよね。
白身だけじゃ、卵焼き、美味しくならなそうだもん。
この後に乗る、寝台列車の中で食べても良かったのだけど、皆、涼しいクーラーの効いたバスの中で食べてました。
でも、この後の、寝台列車のひと騒動の中では、きっと食べられなかったから、ここで食べておいて、正解。
この後、寝台列車に乗る為に、駅の中へ。
だいたいの国(←ガイドさんが常々そう言ってた/笑)、インド。
列車も、ほぼ定刻通りに来た事なんかないんじゃないの。
MKちゃんの聞いた話では、前にやはり同じように寝台列車に乗ったという方は、3時間遅れだったのだそう。
ひえー、だよね。
だって、次の日は、早朝からカンジス川で沐浴の様子を見るのだよ。
これって、インド旅行のハイライトみたいなもんじゃない。
列車の遅れのせいで、それが見れなかったら、残念じゃすまないもん。
あと、ニューデリーからアグラまでは約200kmだったけど、ガンジス川のあるバラナシの町までは、かなり遠い。
だから、寝台列車で走るのが旅行の行程に含まれているじゃないかな。
スーツケースは乗らないから、みな軽装で、荷物も少なめ。
それこそ、着の身着のまま。
でも、それもまた旅の醍醐味かな、と思って。
結局ね、コンタクトも外さず、顔もまともに洗わず、歯も磨かず、汗かいてたのに着替えもせず、だったわ。
でも、気にしない気にしない。
みな同じようなもの。
あ、一応、化粧は落としたか。
拭くメイク落とし持ってたから。
駅には、他にも違うツアーの日本人がたくさんいたわ。
結局、これに乗らないと、ガンジス川までたどり着けない、みたいな。
これは、奇跡。
なんと寝台列車が、時刻通り来た!
普段の行いが良いからかな、なんてお約束のギャグじゃないけど、ホント、来たのよ。
列車案内の電光掲示板なんて、2時間前の列車をまだを表示していたのに。
インドの列車は、分かりづらいね。
入ってきた列車が、これから自分たちが乗る列車かどうか、いまいちよく分からんもん。
ガイドさんも、きょろきょろ何度も確かめるように、あちこち見てた。
インドって、出発の合図というか、そんなようなベルのようなものが鳴っているんだけど、それがなぜか、Cの純和音だったりするの。
いわゆる、ドミソドの和音。
しかもシンセサイザーのような音色で、ジャーン!って。
これ、ずっと気になってた(笑)
列車はこんな感じ。
私たちツアーが乗ったのが、いわゆるB寝台ってやつね。
一番良いランクのAの次。
冷房つきってところは良かったんだけど・・・。
みんな乗り込んで、いざ列車が出発して、それぞれ寝台を振り分けられるのだけど、ここで予想外の事が。
なんと、ツアーでまとまって場所を押さえてあるのかとおもいきや、実にバラバラ。
2人でまとまってはいるけど、11人がまとまってる訳じゃないのね。
他のツアーの方は、まとまっているところもあったみたいだけど、
つまり、インド人も日本人も、ごったごた。
さらに、寝台は、向かい合う上下4つで一組のところと、上下2つで一組のところがあって、2つで一組のところは、それぞれカーテンがあるのだけど、4つで一組のところは、その4つで一つのカーテンしかない。
つまりは、4人が一つのカーテンで向かい合ってご一緒になる訳。
想像してみて。
それが全員日本人の男女だったら、それほど気にならないけど、カーテンの内側に、3人のインド人、しかも男性、自分だけが女性で日本人だったら。
全てのインド人が、悪い人ではないし、良い人でもない。
分かる?
もうね、大変よ。
とくに私たちのツアーは、10人が女性でしょう。
男性はダンナさんとガイドさんのみ。
2つで一組のところになった方はまだ安心だけど、4つのところになった場合、他の3人がどんな方なのかって、気にならない訳がないじゃない。
私は、その4人のところの振り分けだったのさー。
まぁね、お年をとった方もいらしたし、私たちより若い子もいたから、順当といえば順当なのだけどさ。
どうしよう、と悩みに悩んでいるうち、段々とどうでも良くなってきたのも確か。
ガイドさんもすごくガンバってくれたけど、やはり限界はあるものだし。
結局、男性しかいないところに、ダンナさんとガイドさんに入って頂いて、私は、一人女性がいるところにしました。
でも、他の3人はインド人。
周りは日本人ばかりだったにせよ。
なかなかスリリングです。
いろいろな意味で(笑)
上の寝台だったから、荷物を取られる心配は少ないけど、やっぱりドキドキだよね。
なんて思っていたけど、実際に横になったら、疲れもあって、いつの間にか爆睡してた(笑)
目が覚めたのは、クーラーが寒すぎて。
最初、毛布を下に敷いて、シーツに挟まって寝ていたのだけど、寒くてムリ。
ごそごそもぞもぞと動きながら、毛布の間にサンドイッチの具みたいになってた。
横幅、数十センチしかない寝台の上で、荷物と一緒くたになって寝るのは、最初はどうかなと思っていたけど、なんて事なかったね。
私、どこでも寝られるわ(笑)
それにね、普段、仕事がある平日って、睡眠時間4~5時間くらいしか取れないのね。
だから、6時間とか寝られるなら、寝台列車の狭い寝台の上でも、結構スッキリできちゃったり。
寝台はこんな感じ。
汚いように見えるかもしれないけど、そうでもなかったよ。
そして、真ん中の通路から見ると、こんな感じ。
左が、上下2つで一組のところ。
右が、向かい合う上下4つで一組のところ。
このカーテンの内側が、スリリング・ゾーン。
なんか無性に、A寝台が見てみたくなったよ。
そうだ、列車のトイレ話を。
列車のトイレは、和式。
インドにも和式トイレは結構あるんだよ。
で、水洗なんてシャレたものはなく、かといって溜める式でもない。
つまり、トイレの穴の先は、線路。
ただ、穴が開いているだけ。
ブツは、そのまま置き去り。
ははっ。
もちろん、ペーパーも置き去り。
インドの伝統式では、ペーパー使わないからねぇ。
左手でちょちょい、だから。
でも、さすがに使わない訳にもいかず。
申し訳ない。
下からも上からも風を感じるトイレは、いかが?(笑)
そういえば、昔の日本の電車のトイレもこんなのだった気が・・・。
この寝台列車騒動の中で、私たちより若者の女の子二人組みと仲良くなれて良かったわ。
ダンナさんにもワガママ聞いてもらってね。
少なからず、この騒動は、ツアーメンバーの距離を縮めた、そんな効果がございました。
旅の醍醐味でもありますなぁ。
早朝4時すぎに起床。
ガイドさん曰く、40分くらい遅れているって事だったかな。
かなり順調な方。
これは5時すぎの遥かなる大地。
ドアも手動だから、ガイドさんがドアを開け放ってた。
そこに近づいて撮影。
ちゃんと落ちないようにガイドさんのガード付き。
ガイドさん、おおざっぱなようで、押さえるところ押さえてるね。
バラナシの駅では、朝日がお出迎え。
ガンジス川沐浴見学の地の最寄の駅。
小さめな駅ですよ。
やっぱり、あのジャーンが気になるなぁ。
ここからバスではなく、小さめな車に乗り込んで、沐浴見学の地まで行きます。
では、続きは次の記事で。
次に訪れたのは、タージ・マハルのすぐ近くにある、アグラ城。
赤い石でできた、こちらも美しいお城です。
しばし、写真館でお楽しみ下さい。
ひとまず外観。
門のようなところを抜けて行きます。
これもまだお外。
入り口は狭いね。
この坂道、滑り止め、として、道にはわざとでこぼこになるように、石が刻まれていて、なかなかの技術なんです。
見えたー。
これは、最古のお風呂、らしい。
中にも階段がついていて、さらに湯を抜く栓までついているらしい。
覗いた方が言ってた。
入り口の壁には、実に3つの宗教のシンボルが描かれているのだそうだ。
なぜかと言えば、3人の奥さんは、ヒンドゥー教(星型)、イスラム教(アーチ型)、仏教(蓮)と、それぞれだったから、との事。
女の順序って、なにかと難しいからね、
夫が気を使う訳だ。
ここも3種の柄になってる。
ヒンドゥー教の場合、模様がゾウの形をとってて、なかなか楽しいです。
写真がややピンボケで分からないかな。
これも美しいですね。
でも、これは、イギリス領下になった時に、宝石だとか金だとかは、全部、持って行かれてしまって、その残りなのだそうよ。
これは雨水溜めるヤツだったかな。
熱い国なので、涼しくする小技があちこちにありました。
窓のようなところから、実にタージ・マハルが美しく見えるのよー。
ほらね。
ここは、タージ・マハルを作った王様が、実の息子に幽閉されていた場所。
外観は、赤い石でできていて、それもそれで美しいのだけど、中は大理石で出来ていて、白かったりする。
このコントラストが、また美しいよ。
彫刻もびっしり。
これは、一部だけ、宝石や金が取られずに残っているところ。
ほんの一画だけど、他の場所より断然美しいの。
これ、全部が残っていたら、そしてそれが保護されていたら、と思うと、非常に惜しい。
ここは、さっきの王様が幽閉されていた場所を、中から見たところで、ここで王様は、タージ・マハルを見ながら、亡くなったのだそう。
幽閉といっても、すごく開放的な見た目なのよ。
でも、地上ははるか下。
落ちたら死ぬし、部屋の戻るところを通れなくされたら、やはり幽閉になるな、と。
これは中庭のようなところ。
ここは、王様が下々のものと謁見するところ。
奥まったところが、王様の場所で、次にエライ人がきて、民衆はさらにその後ろにいるんだって。
タージ・マハルと、アグラ城。
どちらもインドが誇る、非常に美しい建造物にして、観光地。
近いからすぐに行けるし、どちらも見るには便利。
アグラ城は入るのに警備も厳しくないよ。
タージ・マハルは、世界遺産から、余計に厳しいのよね。
タージ・マハルは王様の建造物。
アグラ城は確かお妃様の建造物。
ともすると、タージ・マハルは男性的、アグラ城は女性的に、見えなくもない、かな。
スケールが大きい、とても雄大な場所です。
確かに、インドに行ったら、ここは見とかな、ってところですね。
あっという間に、夕食の時間。
さっきお昼を食べたばかり、な気もするけど、気にしない気にしない。
夕食は、お昼を食べたレストランが用意をしてくれた、お弁当です。
インドで、お弁当って習慣があるのかないのか知らないけど、お昼を食べている時、白い箱がいっぱい並んでいて、何に使うんだろうって思っていたら、これだったのね。
ははっ、納得。
箱の中身はなんだろな。
てな、感じで、こんなんです。
タンドリーチキン。
ちょっぴりぽそってしてたけど、お味はまぁまぁ。
インドではマンゴーが採れるので、マンゴージュース。
これ、実は私とMKちゃんのだけ種類が違ってて、しかもストローがついていなくって、自力でこじ開けて飲みましたよ。
私、逞しいからハサミなんかなくてもいいの。
一度でいいから、生のマンゴーを剥いて食べたかったなぁ・・・。
これはチーズのホットサンド。
インドは乳製品が美味しいから、とってもシンプルなサンドなのに、中のチーズが美味しくって、あなどれませんよ。
これは、ナンを焼いて、中にカレーとかを挟んだもの。
ちょっと油っぽくて、美味しかったけど食べ切れなかった。
これ食べちゃってたら、間違いなく胃もたれ決定だったと思うから。
あと、バナナとゆで玉子がついてた。
結構、盛りだくさんよね。
バナナがさ、完熟バナナで、また美味しいの。
皮が厚くて、剥くと中身は小さいのに、日本と違って、現地でちゃんと熟してから収穫していると思われるバナナだから、甘みが自然で、とても美味しい。
日本のバナナは、渋みが残ってて、ややウソっぽい感じがするけど、インドのバナナは全然そんな感じしなかったから。
あと玉子ね。
私はお腹一杯で食べられなかったから、他の人が食べているのを見ていたのだけど、本当に黄身が白いのよ。
ちょっとした衝撃。
だから玉子焼きも白かった。
黄身がないんじゃなくって、白くて白身と一緒になっちゃってただけ。
どうりで美味しい訳だよね。
白身だけじゃ、卵焼き、美味しくならなそうだもん。
この後に乗る、寝台列車の中で食べても良かったのだけど、皆、涼しいクーラーの効いたバスの中で食べてました。
でも、この後の、寝台列車のひと騒動の中では、きっと食べられなかったから、ここで食べておいて、正解。
この後、寝台列車に乗る為に、駅の中へ。
だいたいの国(←ガイドさんが常々そう言ってた/笑)、インド。
列車も、ほぼ定刻通りに来た事なんかないんじゃないの。
MKちゃんの聞いた話では、前にやはり同じように寝台列車に乗ったという方は、3時間遅れだったのだそう。
ひえー、だよね。
だって、次の日は、早朝からカンジス川で沐浴の様子を見るのだよ。
これって、インド旅行のハイライトみたいなもんじゃない。
列車の遅れのせいで、それが見れなかったら、残念じゃすまないもん。
あと、ニューデリーからアグラまでは約200kmだったけど、ガンジス川のあるバラナシの町までは、かなり遠い。
だから、寝台列車で走るのが旅行の行程に含まれているじゃないかな。
スーツケースは乗らないから、みな軽装で、荷物も少なめ。
それこそ、着の身着のまま。
でも、それもまた旅の醍醐味かな、と思って。
結局ね、コンタクトも外さず、顔もまともに洗わず、歯も磨かず、汗かいてたのに着替えもせず、だったわ。
でも、気にしない気にしない。
みな同じようなもの。
あ、一応、化粧は落としたか。
拭くメイク落とし持ってたから。
駅には、他にも違うツアーの日本人がたくさんいたわ。
結局、これに乗らないと、ガンジス川までたどり着けない、みたいな。
これは、奇跡。
なんと寝台列車が、時刻通り来た!
普段の行いが良いからかな、なんてお約束のギャグじゃないけど、ホント、来たのよ。
列車案内の電光掲示板なんて、2時間前の列車をまだを表示していたのに。
インドの列車は、分かりづらいね。
入ってきた列車が、これから自分たちが乗る列車かどうか、いまいちよく分からんもん。
ガイドさんも、きょろきょろ何度も確かめるように、あちこち見てた。
インドって、出発の合図というか、そんなようなベルのようなものが鳴っているんだけど、それがなぜか、Cの純和音だったりするの。
いわゆる、ドミソドの和音。
しかもシンセサイザーのような音色で、ジャーン!って。
これ、ずっと気になってた(笑)
列車はこんな感じ。
私たちツアーが乗ったのが、いわゆるB寝台ってやつね。
一番良いランクのAの次。
冷房つきってところは良かったんだけど・・・。
みんな乗り込んで、いざ列車が出発して、それぞれ寝台を振り分けられるのだけど、ここで予想外の事が。
なんと、ツアーでまとまって場所を押さえてあるのかとおもいきや、実にバラバラ。
2人でまとまってはいるけど、11人がまとまってる訳じゃないのね。
他のツアーの方は、まとまっているところもあったみたいだけど、
つまり、インド人も日本人も、ごったごた。
さらに、寝台は、向かい合う上下4つで一組のところと、上下2つで一組のところがあって、2つで一組のところは、それぞれカーテンがあるのだけど、4つで一組のところは、その4つで一つのカーテンしかない。
つまりは、4人が一つのカーテンで向かい合ってご一緒になる訳。
想像してみて。
それが全員日本人の男女だったら、それほど気にならないけど、カーテンの内側に、3人のインド人、しかも男性、自分だけが女性で日本人だったら。
全てのインド人が、悪い人ではないし、良い人でもない。
分かる?
もうね、大変よ。
とくに私たちのツアーは、10人が女性でしょう。
男性はダンナさんとガイドさんのみ。
2つで一組のところになった方はまだ安心だけど、4つのところになった場合、他の3人がどんな方なのかって、気にならない訳がないじゃない。
私は、その4人のところの振り分けだったのさー。
まぁね、お年をとった方もいらしたし、私たちより若い子もいたから、順当といえば順当なのだけどさ。
どうしよう、と悩みに悩んでいるうち、段々とどうでも良くなってきたのも確か。
ガイドさんもすごくガンバってくれたけど、やはり限界はあるものだし。
結局、男性しかいないところに、ダンナさんとガイドさんに入って頂いて、私は、一人女性がいるところにしました。
でも、他の3人はインド人。
周りは日本人ばかりだったにせよ。
なかなかスリリングです。
いろいろな意味で(笑)
上の寝台だったから、荷物を取られる心配は少ないけど、やっぱりドキドキだよね。
なんて思っていたけど、実際に横になったら、疲れもあって、いつの間にか爆睡してた(笑)
目が覚めたのは、クーラーが寒すぎて。
最初、毛布を下に敷いて、シーツに挟まって寝ていたのだけど、寒くてムリ。
ごそごそもぞもぞと動きながら、毛布の間にサンドイッチの具みたいになってた。
横幅、数十センチしかない寝台の上で、荷物と一緒くたになって寝るのは、最初はどうかなと思っていたけど、なんて事なかったね。
私、どこでも寝られるわ(笑)
それにね、普段、仕事がある平日って、睡眠時間4~5時間くらいしか取れないのね。
だから、6時間とか寝られるなら、寝台列車の狭い寝台の上でも、結構スッキリできちゃったり。
寝台はこんな感じ。
汚いように見えるかもしれないけど、そうでもなかったよ。
そして、真ん中の通路から見ると、こんな感じ。
左が、上下2つで一組のところ。
右が、向かい合う上下4つで一組のところ。
このカーテンの内側が、スリリング・ゾーン。
なんか無性に、A寝台が見てみたくなったよ。
そうだ、列車のトイレ話を。
列車のトイレは、和式。
インドにも和式トイレは結構あるんだよ。
で、水洗なんてシャレたものはなく、かといって溜める式でもない。
つまり、トイレの穴の先は、線路。
ただ、穴が開いているだけ。
ブツは、そのまま置き去り。
ははっ。
もちろん、ペーパーも置き去り。
インドの伝統式では、ペーパー使わないからねぇ。
左手でちょちょい、だから。
でも、さすがに使わない訳にもいかず。
申し訳ない。
下からも上からも風を感じるトイレは、いかが?(笑)
そういえば、昔の日本の電車のトイレもこんなのだった気が・・・。
この寝台列車騒動の中で、私たちより若者の女の子二人組みと仲良くなれて良かったわ。
ダンナさんにもワガママ聞いてもらってね。
少なからず、この騒動は、ツアーメンバーの距離を縮めた、そんな効果がございました。
旅の醍醐味でもありますなぁ。
早朝4時すぎに起床。
ガイドさん曰く、40分くらい遅れているって事だったかな。
かなり順調な方。
これは5時すぎの遥かなる大地。
ドアも手動だから、ガイドさんがドアを開け放ってた。
そこに近づいて撮影。
ちゃんと落ちないようにガイドさんのガード付き。
ガイドさん、おおざっぱなようで、押さえるところ押さえてるね。
バラナシの駅では、朝日がお出迎え。
ガンジス川沐浴見学の地の最寄の駅。
小さめな駅ですよ。
やっぱり、あのジャーンが気になるなぁ。
ここからバスではなく、小さめな車に乗り込んで、沐浴見学の地まで行きます。
では、続きは次の記事で。
ナマステ~!
九州2人組の福岡からの参加者の方です。
あの夜行列車の最中にこんなにきちんとお写真撮っていらしたんですねえ。
凄い…!おかげで自分が撮れなかったもの、見れなかったシーン、見過ごしていた景色が堪能できます。有難うございます~。
ブログもいよいよガンガーに差し掛かって楽しみにしております。
わたしどももすっかりインドに魅せられてしまいました。
ちなみに大分からのEさんが昔の資料から教えてくださったのですが
1969年当時は1ルピー75円だったとか。
日本の高度経済成長がリアルにしのばれます。
そしてそして…ガイドさんのチップは旅行社によると
いただいたしおり通りでよかったらしいです??
シャカラ-ンさんにちょっと悪かったかしら…σ(^_^;)
by HAL (2010-05-10 22:29)
先のメールの続き?
編集ができなかったので一応捕捉です。
ガイドさんのチップについて更に政府観光局にも聞いてみました。
(片言の英語で)
観光ガイドの場合金額は1日500ルピー程度だけど、
既に旅行社に払っているなら、チップは払わなくてよいとのこと。
旅行社は他社とのリサーチで金額を設定したと言われましたが、
正規に賃金が支払われていれば、
やはりチップは気持ち程度でいいはず…
二重払いだったのかしら?
by HAL (2010-05-11 22:14)
HALさん、ナマステ~!
お越し頂き、ありがとうございます!
写真はいつの間にかブログの為に撮るようになってしまいました(苦笑)
なので人物より風景の方が多いのです。
ですが、書いたり写真貼ったりしていると、記憶が濃くなり、思い出が蘇りますね。
40年前はずいぶん差があったのですね。
今はルピーもどんどん価値が変わっているようですから、そのうちすっかり追い抜かれてた、なんて事も、あるかもしれないですね(笑)
ガイドさんのチップの件、いろいろリサーチありがとうございます。
よく考えれば、ガイド料は最初に旅行会社払っているんじゃないかと思うのですよ。
なので気持ちで良かったんじゃないかと思います。
あれで良かったのですよ~。
一応、受け取らないよ、みたいなジェスチャーなさってましたしね。
ともあれ、楽しい旅行でした。
みんなさんがとてもオープンに接して下さったので、初めての海外の思い出が、本当に良いものになりました!
インド、魅力的な国です。
by LICCA (2010-05-11 23:07)
電車が時間とおりに来ただけですごいなあと感心。。
勤務先がインドと取引していて社員も結構インドへ
行っていて、問題がおきてもなんとかなっている的な話は
よく聞きますが、LICCAさんの話のほうがもっとずっと
リアル。(^_^.)
by うつぼ (2010-05-12 07:03)
うつぼさん、こんばんわ!
あぁ、仕事でこの国に行かれる方は大変ですね(苦笑)
列車は驚きました。あまりに定刻通りで、ホント?って結構疑ってました(笑)
翌日、電車が来ないか何かで暴動になっているニュースがずっと流れてて、マジ?って固まりましたよ。
by LICCA (2010-05-12 23:41)