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撃つか撃たれるか 【レコニング・デイ】 [映画日記<2006年>]

「レコニング・デイ」をレンタル&視聴。

とにかく、バンバン人が撃たれるような映画が見たくて、全く知らなかったのだけど、借りて見た。

エド(ローマン・カーパイネック)は、米陸軍の特殊部隊の若き隊員。
とある作戦で、チャールズ・トール率いる暗殺集団を追い詰めた、エド達だったが、
もう一歩ということろで、銃撃戦の末反撃され、エド以外、ほぼ全滅させられてしまう。
それから17ヵ月後。
麻薬密売組織として再び姿を現したトール達を追って、
エドの執拗なまでの殺戮が始まる・・・

“映画史上最多死傷者数”
“殺戮の美学”
そうキャッチフレーズをつけられるくらい、撃って撃って撃ちまくってるよ。
イギリス映画で、監督はまだ20代のジュリアン・ギルビーという人。
ストーリーはいたって単純で、前の作戦での失敗を取り戻すように、主人公のエドが、とにかくトール率いる犯罪集団を、最後の一人まで、殺しまわる、そういうお話。
マーシャル・アーツのような格闘技をする訳でもなく、とにかく銃撃戦。
で、血潮がバンバン飛びまくり、脳漿までぶちまけている始末。
あまりに血が出すぎると、見てて、ちょっと面白くなってきちゃうね。
カッコイイ撃たれ方ってものがあるとしたら、多分それに分類されるんじゃないかな。
撃たれ方が、気持ちいいのよ。
エドも、ベレッタを両手に持って、撃ちまくる姿は、ちょっとカッコイイ。
口径の大きな銃で撃たれた時なんかの、弾が貫通する感じも、よくできていたと思う。
なかなか構図にこだわっているようで、撃ち方、撃たれ方、弾が身体に当たる角度とか、その時のカメラの角度とか、すごく考えて撮っていると思うよ。
とにかく何より、銃なのよ。
一瞬の、撃つか撃たれるか。その緊張感、それよ。

実を言うと、この映画、ちょーちょー低予算で作られたらしい。
まだ監督も無名で、ノリとしては、学生映画に毛の生えたくらい。
実際、150万円くらいの制作費らしいよ。
監督以下、スタッフ総出で、バイトなんかして働いて作ったお金でね。
で、それでもリアルな銃撃戦を撮る為に、いわゆる金のかからない努力を、よくしているのよ。
血のりに玉子や肉を混ぜたり、脳漿に見せる為、ドッグフードに血のりを混ぜたり、
血のりをコンドームに入れて、破裂させると、リアルな血が飛ぶみたいだね。
着弾の火花は、クリップを熱したものをぶつけると、よく火花が飛ぶって言っていたかな。
とにかく、そういう、アナログな特殊効果をふんだんに使っていて、それを特典で見て、あぁなるほどね~なんて思っちゃったわ。
役者だって、ギャラを払わなきゃならないから、スタントマンとか撃たれ役なんかを雇う余裕もないから、とにかく監督の親類が、出演しまくっているしね。
監督本人、父親、弟、いとこ、身近なところから片っ端といった感じでね。
それを知って、良くやったなぁと感心するよ。
それでも、やはり甘いところはたくさんあって、
一番ツッコミたかったのは、エドが返り血で白いTシャツが真っ赤になっているのだけど、
その汚れ方がシーンごとに、結構違って見えてしまう事。
シーンが細かい映画やドラマは、いわゆるつなぎが大事で、スタッフはそれをかなり慎重に考えているはずなんだけど、これが甘い。
手持ちカメラしかなくて、ステディカムすらない状況で、アングルとか構成とか、よく考えられていると思うけど、途中でチープさに、気が付いちゃうと思うんだ。
でも、どんなにチープでも、特殊効果とか、映像のスタイリッシュさとか、とても努力をしているのが分かるだけに、この荒さというか、慎重さに欠けたところが、もったいなかったね。
ちょっとした気の遣い方で、解消できた事じゃないかと思うのだけどね。
そもそも、エドが米軍の特殊部隊の隊員に見えないってのは、これはご愛嬌かしら。

ラスト、主人公エドまで死んでしまうのは、ちょっと寂しかったかな。
せっかくあそこまで撃ちまくって、なかなかエドに当たらなかったのだから、
最後、一人、生き残っても、面白かったかなと思う。
ストーリーに新種の麻薬がからんでいて、
短期的に通常の300倍くらいの力を引き出す麻薬で、
これが流通したら、最強の軍隊が作れるという触れ込みの代物。
エドが、トール達に、LSDやら新種の麻薬やら打たれて、致命傷まで負わされて、
なんとか麻薬の力で、トール達を撃ち殺せて、それで終わるのだな、と展開は読めちゃったかな。
その分、時間的な制約があって、エドが追い詰められた感じは、伝わってきたかなぁ。
う~ん、あってもなくても同じだったかな・・・
この麻薬で、マンガ「シティ・ハンター」のエンジェル・ダストを思い出したわ。
効果が同じだもんね。

学生映画の延長と言われれば、そう見えるかもしれないし、
なんにも知らないで見ていれば、なかなかシュールな銃撃戦を楽しめるとも思う。
やや過激な表現もあるけど、別にスプラッタではないから、それほどしんどくもない。
何より、主人公のエドが、ちゃんと強いし、正義の側の人間だから、ヒーローで有りうるのがいいね。
悪役もきっちり悪人だったから、バンバン殺されても、納得できちゃうしね。
なんか、努力と熱意と、少しの運があれば、こういう映画が撮れるのだなぁと、ちょっと違うところに感心しちゃったよ。
制作費云々というのは、見ている時はもちろん知らないから、荒削りな映像とか、ストーリー構成がスムーズさに欠けるとか、人物が分かりづらいとか、そんなんがちょっと気になっても、当初の目的・・・人がバンバン撃たれるような映画を見る事・・・は達成できたと思うよ。
血、バンバンでても、後味がそれほど悪くなかったのは、良かったところ。
そういえばインタヴで監督自身、エグさではピーター・ジャクソンの方が上だって、言ってたな。
目的達成という事で、概ね、満足だったかしらね。

レコニング・デイ[デラックス版]

レコニング・デイ[デラックス版]

  • 出版社/メーカー: エスピーオー
  • 発売日: 2003/11/28
  • メディア: DVD


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コルシカ島観光ガイド 【コルシカン・ファイル】 [映画日記<2006年>]

「コルシカン・ファイル」をレンタル&視聴。

ジャン・レノの、アクションムービーかと思っていたら、ちょっと違ってたね。
最近、そういうの多くない?
ジャケ写に騙されちゃダメね。

パリの探偵レミ・フランソワ(クリスチャン・クラヴィエ)は、フランスとイタリアの間にあるコルシカ島(フランス領)で、アンジェ・レオーニ(ジャン・レノ)を捜して欲しいと依頼を受ける。
早速コルシカ島へ飛び、聞き込みをするレミだったが、よそ者を拒む習慣のあるコルシカ人達に阻まれ、レオーニ捜しは遅々として進まない。
頑なに島を愛する島民達は、レオーニの名を聞くと、何故か皆黙ってしまう。
果たして、レオーニとは何者なのか?
レミは無事、依頼を果たせるのか?

軽いコメディタッチで、探偵のレオーニ捜しが進んでいくのだよね。
レミが何と言うか、おっちょこちょいで、ドジで、ちょっと間が抜けてるおじさんという感じ。
レオーニやその妹のレアや、その元亭主や、島民の独特の気質に、おろおろ翻弄されている様子が、すっかりシリアスさから離れて、小さな笑いを誘ってくる。
シリアスなサスペンスか、クライムアクションくらいの予想で見始めたから、ちょっと肩透かしを喰らった気分だったわ。
レミも、レオーニと会えると、自分も実は騙されていた事が分かるのだけど、フランス政府が、島の独立運動推進チームに送った金、これが裏金だったのだけど、これを横取りしたのがレオーニ。
本土の警察、島の警察、公安(のような組織)みんなこぞってレオーニを捕まえようとするのは、横取りされた金が裏金で、出所が知れると困る人達がたくさんいたから。
このごたごたに巻き込まれたレミが、なんだかんだ言って、島の人達に受け入れられ、レアと成り行き上恋人になり、果ては結婚までしてしまうのは、まぁ笑って見れいればいいのだよね。

ストーリーはそれほどどうという事もない。
それよりも、コルシカ島の島民やら、島の自然やら、多分そっちの方が、見所としては面白いと思った。
映画だから、コルシカ人の気質を、少しオーバーに描いているのだけど、よそ者を極端に嫌ったり、島のワインを愛し、伝統の歌を歌い、特産のサラミをかじり、ちょっとコルシカ島の観光ガイドちっくな仕上がりになっている。
フランス領だから日常はフランス語だけど、コルシカ語というものあったり、島の伝統や暮らしぶりが何気なく取り込まれていたり、レミとレオーニが逃亡している様子を空撮しているのだけど、そのままの自然が分かりやすく映し出されて、やはり島の宣伝しているようだよ。

ジャン・レノに、銃や正体不明の怪しい雰囲気は、やはり似合うのだけど、今回は銃は持っていても、発砲したのはほんの数回。
結局、レオーニって、ただの横領犯だった訳っしょ?
どうもジャン・レノが、コルシカ島の宣伝部長に見えて仕方ないわ。
いや、多分、そういう狙いなんじゃないの。この作品自体はさ。
それはそれでいいのかもね。
作品としては、まぁ、そこそこというか、取り立ててどうというものもなかったけど、これを見て、島に行ってみたいと思う人がいたなら、それで成功なのじゃないかと思ったわ。

ちょっと気になったのは、テーマ音楽が、ちょっとミッション・イン・ポッシブル風だったって事。
似てないかい?
なんて思って聞いてたら、そのうち「古畑任三郎」のテーマっぽく聞こえてきちゃった。
トランペットの高音でのビブラートなんかが、雰囲気似てたってトコだと思うけどね。

非常に取りとりめのない話だった気がするけど、エンドロールの間に、小さな映像で、島民達のインタヴなんかが流れてて、島民気質を少しおおげさに描いているところなんかをツッコミながらも、映画だからいいんだよって撮影なんかを楽しんでいる年配の方達を見てたら、これはこれでちょっと卑怯な映像だとは思ったけど、ま、こんな映画も、たまにはいいか、って思っちゃったわ。
昔ながらの伝統が残っていたり、独自の言語がまだ使われているとか、島の魅力紹介の媒体に、映画を選んだっちゅー事なんでしょう。
でももし、見て行きたいと思ったら、島の中は交通手段が不便らしいから、気をつけた方が良さそうだよ。

コルシカン・ファイル

コルシカン・ファイル

  • 出版社/メーカー: ハピネット・ピクチャーズ
  • 発売日: 2006/08/25
  • メディア: DVD


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ここにもおバカな二人組みが 【ゾルタン★星人】 [映画日記<2006年>]

「ゾルタン★星人」をレンタル&視聴。

アシュトン・カッチャーの、映画初主演作。
なんちゅータイトルをつけるのかと思いきや、邦題だったりする。
原題は「DuDe,Where's my car?」
「ねぇ、ボクの車は?」てトコかな。その通り、ひたすら車を探してるもんね。

いわゆる、アメリカ大得意の、ちょーおバカコメディ。
ジェシー(アシュトン・カッチャー)とチェスター(ショーン・ウィリアム・スコット)は、昨夜の記憶が一切ないが、どうやら楽しい思いをしたらしい。
ところが、付き合い始めて1年の双子の彼女から電話がくると、彼女達は家をめちゃめちゃにされたとカンカン。
二人の機嫌を直そうと、用意していたプレゼントを渡そうと思うが、それを乗せたままジェシーの車がない。
仕方なく二人は、ジェシーの車を探し始める。が・・・

その過程で、いろいろ起こるのよ。
いい思いも、悪い思いも、次々起こる。
冷蔵庫の中がプリン1年分だったり、犬がヤク中だったり、車の中にあるらしいゾルタン星人の多連続変形体を求めて宇宙オタク達がやってきたり、ゾルタン星人の多連続変形体を求めて管理者という男が現れたり、ゾルタン星人の多連続変形体を求めてちょーホットな美女達がやってきたり、間違って逮捕されたり、ダチョウに追いかけられたり・・・

言葉で並べても、訳分かんないね。きっと。
とにかく、脈絡なく、いろんな事が起こるのよ。
それをジェシーとチェスターが、なんやかんやで解決したりしてね。
キーワードは、ゾルタン星人。
なんの事やら(笑)
おバカコメデイだから、そのなんやかに意味がある訳じゃない。
ただ、面白そうな事を、並べただけよ。つまりはね。
それを笑えるか否かは、見た人のセンス次第、なのかな。
アメリカ人、こういうの好きだからなぁ、とりあえずそう言っておこう。

もうちょっと解説すると、
男の子二人組みの、ちょーおバカコメディと言えば、1989年の「ビルとテッドの大冒険」がある。
これはキアヌ・リーヴスとアレックス・ウィンターの、ホントにバカ話なのだけどね。
どうもこの「ゾルタン★星人」は、その焼き直しのように見えて仕方ない。
二番煎じというか、「ビルとテッド」シリーズの大成功から約15年たって、
それじゃまたオイシイ思いでもしよっか、と思えなくもないという事。
当時、子供だったファンは、とっくに大人になっているだろうしね。
でもその割りに、たいして面白いと思わなかったわ。
なぜかと言うと、「ビルとテッド」シリーズが、ちょーおバカコメディなのに、なかなか良くできた作品だったから。
思いっきりチープな作品のくせに、脚本や構成が、上手かった。
ビルとテッドに、ちゃんとした目的を持たせて行動させていたから、めちゃくちゃな展開でも、見ている方はついて行けたのよ。
それに、スピード感があって、メリハリがあった。
それに比べ、「ゾルタン★星人」は、スピード感やメリハリが甘く、ストーリー展開が、あまりに唐突過ぎる時があってね。
おバカな二人と、一緒に楽しまなきゃいけないのに、置いていかれちゃってるのよね。
それと、エロを入れた事で、だいぶ品がなくなっているね。
ボン、キュッ、ボンのお姉ちゃんがたくさん出てくるあたり、いかにもアメリカンだけどさ。
今一歩な感じで、ちょっと残念だったな。
上手くハマれば、それはそれで楽しい作品になるはずなのにね。
ま、アシュトンのおバカな笑顔だけは、キアヌの本当におバカなあの笑顔に負けてなかった気もするけど。
あ、アシュトンやキアヌがバカだって言ってる訳じゃないからね。
あくまで役柄。あしからず~(笑)
そういえば、アシュトンとキアヌ、髪型まで似てるよ。マッシュルームカットな感じで。
コンビに身長差があるあたりも、似てるね。
ボケとツッコミじゃなくって、ボケボケコンビなのも、そっくりだね。
「ビルとテッド」シリーズは、「EXCELLENT」と「BOGUS」という流行語まで作ったらしいけど、
「ゾルタン★星人」もそれを狙ってか、「SWEET」と「DUDE」を連呼してる。
けど、今回この目論見は、成功したとは思えないな。残念。
途中、ジェシーとチェスターが、赤と青のジャージ姿になるシーンがあって、まるでテツ&トモそのままだったよ。
多連続変形体が、ルービックキューブで、妙に懐かしかったわ。
そうそう、ジェシーとチェスターが、日本語をしゃべるシーンがあるのよ。
日本人の私が聞いても、何をしゃべってるいるかほとんど分からなくて、何度か聞いてやっと分かったよ。
「おいこら、オレたち???日本語話すぞ」「スゲーな」
果たして、これで合ってるだろうか・・・
英語の字幕が入るあたり、シュールだわ。

こういうおバカコメディが、ボックスオフィスで初登場1位になるって、それはそれで驚く。
やっぱりアメリカ人って、よほどのコメディ好きなのだね。
ま、オースティンパワーズとか、ミスター・ビーンとか、シリーズ化しているもの、他にもたくさんあるものね。
日本も、安っぽい恋愛映画ばかり作っていないで、たまにはおバカコメディでも作るか?
いや、多分、ダメだな。売れないな、きっと。
たしいて身のないコメディ作品だけど、主人公二人のファンにとっては、なかなかオイシイ作品じゃないかな。
ま、その程度だよ。

ゾルタン★星人

ゾルタン★星人

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • 発売日: 2006/08/18
  • メディア: DVD



にわかファンとして、アシュトン・カッチャーという俳優には、シリアスな演技を、もっとたくさん見せて欲しいと思う。
コメディもいいけど、重みのある演技にも、魅力があるもの。
来年2月に、ケヴィン・コスナー共演の、「守護神」が公開になるね。
沿岸警備隊、海上レスキューのお話。
短髪、ヒゲなしで、お子ちゃまに見えるけど、今週ボックス・オフィス初登場2位のようだから、日本公開も、楽しみにしとこ。
ちなみに1位はソニー・ピクチャーズ初のアニメ「オープン・シーズン」。実はこれもアシュトン、声の出演してる。
注目されてるね


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すれ違いの美学 【イルマーレ】 [映画日記<2006年>]

「イルマーレ」を見たよ!

キアヌ・リーヴス&サンドラ・ブロックの方ね。
ちなみに、元になった韓国版の方は、未見。韓国映画は、特に恋愛は苦手なのでね。

シカゴ郊外の湖の家から、都心に引っ越す事になった医者のケイト(サンドラ・ブロック)は、郵便箱に郵便の転送をお願いした手紙を残す。
それを受け取ったのは、建築家のアレックス(キアヌ・リーヴス)。
彼がその湖の家を買ったが、それ以前の住人はいないはず。
不思議に思ったアレックスは、ケイトへ、その疑問を手紙に書いて、郵便箱へ入れておく。
それを受け取るケイト。
二人は手紙のやり取りをするうち、二人の間に、2年の月日の差がある事に気づく。
2006年を生きるケイト。
2004年を生きるアレックス。
だがその手紙は、二人を少しずつ近づけ、お互いなくてはならない人物へと、変えていった。
なんとか会おうとする二人。
2年の月日を越え、果たして二人は会えるのか。
そして二人の恋の行方は・・・

大人な恋愛が、とても心地良かった。
特に、医者という仕事に忙殺され、一人孤独なケイトが、なんとも言えず可愛い女性に見えた。
犬に話しかけ、バーでも一人で飲んで、仕事は好きなのに、そのストレスを休日に湖の家に行って癒す。
それをサンドラ・ブロックが演じているのが、とても合っていると思った。
妙にさばさばした性格だし、余計なフェロモン醸し出している訳でもないし。
だから、2年という年月に阻まれ、アレックスになかなか会えず、待ち合わせしたレストランでも待ちぼうけで、孤独を募らせてやりきりないケイトを、応援したくなるのよ。
同じ女性として、ガンバレってね。
モーガンという恋人がいるのだけど、なんとなく彼女には合わない雰囲気がしてた。
だから余計に、アレックスと上手くいって欲しいって思っちゃった。

すっかりアクションづいてるキアヌだけど、私はこういうほんわかした役を演じるキアヌが、結構好き。
アレックスには父親との確執があるのだけど、それでも同じ建築家という職業を選んでいて、そのループから抜け出したさそうなんだけど、アレックスの板ばさみの精神的な閉塞感があって、不思議な魅力があるキャラクターになってた。
短い手紙だけのやり取りで、どうして二人は愛し合うのか、疑問に感じるかと思っていたのだけど、この二人のキャラクターのおかげで、それなら惹かれあうだろうなぁ、と納得してしまったからね。
それに、手紙のやり取りが、会話しているみたいに表現されていたのも、納得した原因かな。
個々に読む感じではなくってね。
ケイトからもらった、2年後に出版される父親の写真集を見て、号泣するアレックスに、キアヌの号泣姿に、やっぱりキアヌは、こういう役もいいなぁと思ったよ。

以外と早く、アレックスがケイトに会えるとは、正直思わなかった。
もちろん2004年のアレックスがケイトに会っても、2004年のケイトだから、アレックスとの手紙のやり取りなんて知っているはずがない。
声をかけられないアレックスが、もどかしいね。
それに、2004年に、つまりケイトは、手紙のやり取りの2年前に、実際にアレックスに会っていたのには、びっくりだよ。
アレックスはケイトだと知っていて会うけど、もちろんケイトは手紙の2年前だから、知るはずもない。
この感覚が、もどかしい感じが、この映画のポイントなのだよね。
ファンタジックなすれ違いだね。

恋愛モノには、すれ違いの美学ってものが、あるよね。
多分韓国ドラマはやりずきだけど。
すれ違いを、観客はスクリーン上で見ているから、余計に会えた時の感動が、増していく訳だ。

ストーリー展開としては、いかにも韓国映画っぽいなと思った。
ケイトの、レストランでの待ちぼうけの理由が分かった時とかね。
実を言うと、私、その前に、分かっちゃったんだよね。
オープニングでの、交通事故の映像が、急にフラッシュバックみたいに思い出して、
あぁ、あれがそうだったんだぁ、だからアレックスは、レストランに姿を現さなかったんだぁ、ってね。
服装が同じだぁ、って思った。
ただ、それでどうするのかと思って。
ま、予想通りというか、そうしなきゃならんだろうって展開になって、これを受け入れられるか否かが、この映画が良かったか、そうでなかったか、分かれるところだろうね。
ハッピーエンドは、ハリウッドの常識。
結果、私は感動できたけど、他の人はどうなんだろう。
タイムパラドックスとしては、なんの弊害もないから、ちょっとしたツッコミ入れたくもなるけど。

個人的な泣きのポイントは、ラストではなくて、ケイトがアレックスの事故に気付いたあたりかな。
実は、自分が看取っていた事に気付いて、なんとか事故を未然に防ごうと、夢中で湖の家に向かうケイトに、泣きポイントを刺激されたわ。
自分を捜して、アレックスがあの広場に来たって事にも気づいただろうし。
やりきれなさすぎる展開に、なんとかアレックスを助けて欲しい。
ケイトに会わせてあげたい。
そう思ったね。

“イルマーレ”は、イタリア語で“海”だったかな。
韓国版が、海の家だったから。
今作は湖なのだから、別に“イルマーレ”じゃなくても良かった気がするのだけどね。
原題の“The Lake House”で充分。もしくは、全く違う、お得意の邦題とかね。
“イルマーレ”は、二人が最初に出会う約束をした、予約がなかなか取れないレストランの名前に使われていたね。
2年先の予約を、ちゃんと覚えていたレストランは、エライ!
湖の家も、前面ガラス張りで、変わっているというか、丸見えというか、それでも充分美しい家だと思った。
湖の全景もよく見えて、癒される場所なのは、分かる気がするよ。

変な言い方だけど、普通に面白かった。
ちゃんと泣いたし、ラストのアレックス登場に、感動もしたし。
モーガンがフラれてしまった事は、ま、ご愛嬌って事で。
恋愛映画に、フラれ役ってのは必要不可欠なのだから、仕方ないって。
キアヌの映画かと思ったけど、見終わってより印象に残ったのは、サンドラの方だったね。
私が同姓だからかな。
結局、ずいぶん過去を変えてしまっているけど、タイムパラドックスものというよりは、すれ違いの美学の映画なのだろうね。
アレックスは、結果4年も待ったのだから、さすが。
待つという行為は、いかにもアジアっぽい。
欧米人のやり方ではないと思う。
そんなところを踏まえて見ると、良いかな。
比較的軽めの印象だけど、見た後さっぱりできるから、幸福な気分を味わうには、良いと思うよ。
面白かったと感じてくれる人が、たくさんいるといいなぁ。


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ウソとホントの境い目は? 【ユージュアル・サスペクツ】 [映画日記<2006年>]

「ユージュアル・サスペクツ」をレンタル&視聴。

ブライアン・シンガー監督にケヴイン・スペイシー。
どこかで聞いた組み合わせ(笑)、シンガー監督がこの作品で評価されたって事で、見たのよね。

ある夜、大爆発した船は、コカインの取引で、組織とそのコカインを強奪しようとした一味の抗争の果てであった。
27名死亡。生き残ったのは2名。
1名は重傷で組織のハンガリー人、もう1名は無傷のヴァーバル・キント(ケヴィン・スペイシー)。
捜査官は、黒幕だという“カイザー・ソゼ”を異常に恐れるそのハンガリー人から、ソゼの似顔絵を作成する一方、同時にキントの尋問も始める。
キントが語るところによると、話は遡る事6週間前・・・
銃を大量に積んだトラック強奪の容疑者5名が集められていた。
メンバーは元悪徳警官のディーン・キートン(ガブリエル・バーン)、いかにもなコンビのマクナマス(スティーヴン・ボールドウィン)とフェンスター(ベニチオ・デル・トロ)、トッド・ホックニー(ケヴィン・ポラック)、そして半身が不自由な障害者でもあるヴァーバル・キント。
結局はキートンの恋人である弁護士によって釈放されるが、5人は獄中で、マクナマスが持ち込んだある計画を実行する為に、参段をしていた。
汚職警官が小遣い稼ぎに犯罪者のボディガード兼運転手をしていたが、そこを襲い、死者なしでまんまと宝石商からエメラルドを盗む事に成功する。
それを売りさばく為、レッドフットと呼ばれる犯罪集団と会い、エメラルドと金を交換する。
その際、レッドフットから次の犯罪計画を仕入れるが、次に襲った宝石商は、頑として言う事を聞かず、結果、宝石商も二人のボディガードも殺してしまう。
しかもその宝石商が持っていたのは、麻薬だった。
計画が違うとレッドフットに問いただすが、彼らはコバヤシという、伝説の犯罪者カイザー・ソゼの代理人から依頼された仕事だと話す。
コバヤシと接触しなければならなくなった5人は、そのコバヤシから、とんでもない話を聞く事になる。
5人は、知らずのうちに、カイザー・ソゼから何かしら盗みを働いており、知らぬ事ゆえ許すが、代わりに、ライバル組織のコカインの取引をぶち壊し、船をコカインごと焼いて欲しいという。
命の保障はしないが、その船にある9100万ドルは山分けしても良いとの条件。
それでカイザー・ソゼに借りを返せるが、5人の意見は食い違う。
何故ならソゼは、一切存在が謎で、冷酷無比、架空の人物とさえ言われている犯罪者。
ソゼを恐れ、一人逃げ出したフェンスターが殺されてしまうと、残った4人は、拒めない計画を、実行せざるおえなくなる。
そして、計画決行当夜、その船で起こったのは・・・

いきなりだけど、話がややこしくなるので、ネタバレというかオチというか、結末をバラしちゃうと。
全てはキントの作り話。
キントは、最初から、詐欺師だと説明されているのよ。
口先三寸の詐欺師。
つまりは、キントがカイザー・ソゼ、もしくは、ソゼすらキントが作り出したエスケープ・ゴート的な存在。
ソゼが素晴らしいのは、犯罪暦や非情な性格ではなく、存在自体を謎にした事。
そう劇中、誰かが話すセリフがあるのだけど、これは正に、キント自身の事だね。
キントの徹底したキャラクター作りに、登場人物は皆、騙されているのだよね。
半身の障害ですら、キャラ作りの要素。
いつも弱腰で、猫背ぎみで、キートンに至っては、キントを擁護すらしていた風。
捜査官は、キントの釈放の為に出てくるコネの多さに不信を抱きながらも、キントの容貌と話にすっかりハマってしまっていて、以前同じような手口で逃れているキートンが、ソゼだと思い込んでいるしね。
実を言うと、ケヴィン・スペイシーの演技の絶賛と、作品のキャッチコピーなんかから、どんでん返しがあるのを知っていて、途中でオチに気付いてしまったのよね。
やっぱりそうかぁ、ってね。
あ、でも、全てが作り話だとは、思わなかったか。
それでも、ラストの描写は、気分爽快、キントの見事さに、うなってしまうよ。
それこそ、まんまと再び釈放されたキント。
捜査官は、キートンがソゼ説でなんとなく納得しているが、ふと目にとまった壁の書類を見て、自分の目を疑う。
さっきまでキントが話していた内容、それに登場する固有名詞、人物名、出来事、全てが壁の書類に書いてあったのだから。
コバヤシは、コーヒーカップの裏の、陶器会社の名前。
そりゃ、驚くっしょ。
すっかり騙されていた事に気付く捜査官。
キントの姿を求めて外へ飛び出したが一歩遅く、キントの姿は、もうどこにもなかった。
その少し前、急ぎ足で歩くキント。
引きずっていた左足が、徐々にまっすぐ伸び、こわばっていた左手が、突然動き、何事もなかったからのように、颯爽と歩くキント。
コバヤシが運転する車に乗り込んで、キントは去っていった。
調度同じ頃、FAXが一枚の紙を吐き出していた。
ハンガリー人から聞き出したソゼの似顔絵が完成し、送られてきた紙には、キントそっくりの顔が、描かれていた。

回想場面の映像は、基本的には“嘘”はいけないのが暗黙のルール。
安っぽい2時間サスペンスドラマだと、このルールが無視されていて、時々憤りを感じるのだけどね。
視聴者を騙したいのなら、例えば犯人を特定できないような、映像の工夫が必要な訳だ。
性別や年齢、背格好とかしゃべり方とか、人物を特定できるような要素は、できるだけ映さない事。
犯人が分かった後、犯行の映像がでた時、それが回想シーンででた映像と、明らかに違っていたら、犯人当てが楽しみの推理ドラマのはずなのに、視聴者をバカにしているものね。
映像のない推理小説なんかも、このルールは当然あって、特に性別をラストの犯人当てのオチにするような場合は、絶対に一人称で“ボク”や“オレ”は使っちゃいけないのよね。
それが男性を現す言葉だからね。
だから、最初、私はそれを踏まえての映像だと、思っていたのよ。
キントが捜査官に語る回想シーンは、そういう意味での回想シーンだろうとね。
いやぁ、これには私も、騙されたのだな。
キントの回想は、全て嘘だったのだから、これらのルールは、全く当てはならないものね。
作り話に、嘘もホントもない。
嘘だもん。
だから、見せている映像も、嘘の映像。
キントが、最後の船の襲撃の時、物陰から、キートンを撃つソゼを覗き見しているような映像があるけど、つまりこれも、キントでなくていい訳だ。
もしかしたら、キートンを撃ったのすら、キント自身でないのかもしれないし。
というか、こんな銃撃戦が、ホントにあった事なのか、それも謎。
う~ん、それなら凄すぎ。
オチを知っても、どこまでが本当にあった出来事で、どこからがキントがついた嘘なのか、分かんない。
ともすると、最初にトラック襲撃の容疑者で、キントを含めた5人が集められた事すら、作り話のうちじゃないかと、疑ってしまうよ。
船の大爆発は、本当の事だけどね。
キントが、本当に望んでいたのは、この組織に匿われていた、ソゼの秘密をバラそうとしていた男の始末だけかな?
その為に、4名を選び、ついでに始末したかったコカインからみの男を宝石商と偽って始末させ(というかキント自身が撃ったのには気付いた)、最後にその4人も組織も始末しちゃう。
なんて巧妙な計画なのかね。
それを映像にしたブライアン・シンガー監督の、構成力は脱帽モノだよ。
当時、若干29歳だとか。
ケヴィン・スペイシーの演技も素晴らしいけど、みんな個性的だったよね。
ちなみに、ベニチオ・デル・トロは、最後まで彼だと分からなかったよ(笑)

この作品、どうせ見るなら、事前情報全くなしで、見て欲しい。
変にキャッチコピーが、ネタバレっぽくなってるから、何も知らないで見たほうが、騙されがいがあるってもんだよ。
ここで、思いっきりネタバレしていて、今さら言うのもなんだけどね。
そんでもって、ケヴイン・スペイシーの、あの前髪ちょろりが、どうしても忘れられない作品(笑)だよ!

ユージュアル・サスペクツ

ユージュアル・サスペクツ

  • 出版社/メーカー: パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
  • 発売日: 2006/09/08
  • メディア: DVD


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父性の欠如と理想 【オーロラの彼方へ】 [映画日記<2006年>]

改訂版です。初稿をすでに読まれた方、ごめんなさい。

「オーロラの彼方へ」をレンタル&視聴。

ニューヨークに36年ぶりのオーロラが現れた時、それは奇跡が訪れる合図・・・

警官のジョン(ジム・カヴィーゼル)は、幼い頃に殉職した消防士の父フランク(デニス・クエイド)の命日の前日、恋人のサムに家を出て行かれてしまう。
どこか上手くいかず、傷心ぎみのジョンだが、幼馴染が無線機を引っ張り出してくると、自然と幼い日の思い出が甦る。
その夜、一人何気なく無線機をつけるジョン。
ネット社会の今日、果たして無線機から聞こえてきた声は、フランクと名のり、無線コードは、何故かジョンと同じ。
やがてジョンは気がつく。
無線機の向こうで話している相手は、どういう訳が30年の時を経て、まだ殉職する前の父フランクその人であると。
信じないフランクを余所に、ジョンはフランクの殉職を止める為、彼に警告をするのだった。
父さえ生きていてくれれば・・・
ジョンの行動は、彼と彼の父と、家族と周りの人々を巻き込んで、今をも変えてしまう運命が動き出す・・・

渋いです。
ストーリーもデニス・クエイドもジム・カヴィーゼルも、渋い。
最初、ただジョンが、フランクの殉職を止めるだけの映画かと思っていたのだけど。
裏切られたわ。いい意味で。
実は、殉職を止めて、フランクの運命が変わってからが、本番だったのね。

この作品、ジョンとフランクが、無線のやりとりで過去を変えてしまうと、必然と現在も変わるのだけど、その変わり方がとてもスタイリッシュ。
スムーズなのよね。
家のインテリアや、周りの人たちの記憶とかも、すーっと変わっちゃうの。
ジョンだけは、前の記憶と今の記憶と、両方持っているのだけどね。
その行為が良いとか悪いとかではなくって、すごく自然なの。
でもその弊害が当然起こる訳で、フランクが命拾いすると、今度は何故か、健在のはずの母親が、死んだ事になってしまう。
それが現在ジョンが警官として追っている事件と結びついて、ジョンとフランク、30年の時を経て、未解決の同じ事件を解決しようと、二人調べ始めるのだよね。
フランクが生きている事で、変わってしまった運命の埋め合わせの為にね。

30年という、ようは時差を、結構上手く利用していて、感心しちゃったところがある。
二人は、“ナイチンゲール”と呼ばれた、看護師連続殺人事件の謎を追うのだけど、フランクが過去を変えるたびに、すっと現在が変わっていって、現在の捜査の為に、フランクが証拠を隠すと、その場所にその証拠が埃まみれで出てきたりしてね。
フランクが一人助けると、現在では被害者の人数が突然減ったり、なかなか上手くいってるじゃん、といった感じ。
にしても、フランク、警官でもないのに、よくぞここまで、行動したよなぁ、と感心しきり。

事件解決の為に、二人が動き出してから、それがラストへ向けてのクライマックスになるのだけど。
正直、あまり派手な展開にはならず、フランクの立ち回りはちょっとあったけど、ジョンなんかはほとんど動きなしで、しかもフランクとジョンの会話も無線だから、動きが乏しいのよね。
渋いのだけど、逆にその渋さが、単調な印象になってしまっていて、事件を追うサスペンスとしての効果は、少々物足りなさがあったと思うわ。
あのラスト10分間がなかったら、きっと平凡な作品で終わっていたと思うよ。
だから、ラスト10分は、この作品の命の部分なのだよね。

終盤、フランクが残した証拠によって、ジョンが犯人を特定し、フランクと犯人との格闘の末、事件は解決したかに思える。
のだけど、実はこの犯人、ちゃっかり逃げ出していて、フランクの家族を狙いに、家へ押し入るのだよ。
調度、同じ頃。
現在のジョンの元へも、発破をかけられていた犯人が、家に押し入る。
つまり、二人は同時に、同じ犯人、もちろん30年の差はあるのだけど、正に同じ人物に襲撃されるのだよ。
しかも、あの無線機がつながったまま。
フランクと犯人、ジョンと犯人、格闘する“音と声”が、無線機から同時に聞こえてくる演出は、良かった。
そして、絶体絶命のジョンを救ったのは、フランク。
フランクが犯人の右手を粉々に吹っ飛ばすと、ジョンの頭に突きつけられていた犯人の銃は、腕ごと消えてしまう。
そして、ジョンの目の前で、犯人に発砲した人物こそ・・・
年老いたフランクが、ジョンの側で銃をぶっ放した姿が見えた時、あぁ、この瞬間の為に、この映画はそれまでの時間があったのだなぁ、と思ったよ。
30年前に殉職した父フランク。
彼はそれから運命を変えに変え、今、息子の最大の危機に、生きて駆けつけられた訳だ。

ここまで書いておいて何なのだけど、私が一番ぐっときたのは、実はこの衝撃のラストではないんだな。
もっと前、無線機が偶然つながって、ジョンとフランクが本物だと気付いて、30年の時を経て、充分に思い出を作れなかった親子が、再びそうして会話を交わす様子の方が、印象深いのだよね。
無線のマイクに向かって話すだけだから、映像的には、すごく地味なのだけどね。
また、この父フランクが、ものすごくいい父親なのよ。
典型的なアメリカの、良父。
父と息子、なんか今どきこんなのアリって思うほどの、理想的な父親像が、そこにあるのだよ。
それを体験できなかったジョンが、空白を埋めるように、話に夢中になる姿が、ほっとするね。
それに、当時6歳だった自分と、会話するのだよ。
驚異的だよ。これ。
6歳の自分と、36歳の自分が、「おやすみ」なんて言ってさ。
なんかすごくない?

amazonのレビューを見てたら、やはり同じテーマの作品だからだと思うのだけど、「バタフライ・エフェクト」と比べている人が何人かいたね。
過去を変えると、現在も変わる。
「バタフライ・エフェクト」は、過去を変えるたび、現在はどこか上手くいかなくなって、結果、とても切ないラストになるけど、この「オーロラの彼方へ」は、そうはならなかったね。
過去を変えて、現在が変わってしまっても、どこかのんびりしているというか、切羽詰った感じはない。
途中、上手くいかなくなるのだけど、ラストに向けて、幸運がスピードアップでやってくる感じかな。
多分、ジョンが物事に動じなく見える性格で、フランクが非常にポジティブで前向きな行動派である事が、暗さが全く感じられない作品に仕上がった理由ではないかな。
どっちが好きかって事は、人それぞれでしょう。
「オーロラの彼方へ」は、ありきたりなハッピーエンドと感じるかもしれないけど、あのラストの温かさは、決して「バタフライ・エフェクト」では感じる事はできないからね。
ラストの円満さ具合はさ、父母、ジョン、妻のサム、ジョンの子供達と、野球を楽しんでいる姿はさ、鼻がむずがゆくなるくらいの理想だよ。
オープニングで、孤独な影を持っていたジョンが、嘘のようだから。
こういう運命の変え方だったら、いくら過去を変えても、許されるのかなぁ。
都合良すぎ?
う~ん、良すぎる気がしないでもない。
多分、こう感じる私の方が、天邪鬼だな。素直に喜べよ、と自分にツッコミ入れてみる。

今、はたと気付いたのだけどね。
これって、父性欠如のストレスから解放される為の物語だったのではないかな。
ジョンが恋人と上手くいかないのは、父性や男性の未熟な証拠で。
それは、幼少期から現在にかけて、“父”が足りなかったからに他ならないのだし。
その為に、必死になって、時にムリまでさせて、父親を手に入れようとしてるのだからね。
結果、過去を変えて、現在まで変えて、ジョンはようやっと、足りなかった父性を手に入れるのだよ。
父性、母性、どちらが欠けても不完全。
だから、ラストの大円満は、その全てがそろっているのだよね。
どちらも手に入れたジョンの、完成系。

デニス・クエイドは、地味だけどいい俳優さんだと思った。
彼が出演している作品で見たのは、「デイ・アフター・トゥモロー」は見てないから、「容疑者」という80年代の作品だけかな。
主演がシェールという歌手兼女優さんで、デニス・クエイドが共演。あと、リーアム・ニーソンが重要な役で出演しているのよね。
弁護士(シェール)と陪審員(デニス・クエイド)が、本当は会ってはいけないのに、協力しながら、殺人容疑をかけられた聾唖の男(リーアム・ニーソン)の、無罪(窃盗はしているけど、殺人はしてない)を証明する話。
この時のデニスは、まだ若くて、茶目っ気たっぷりのキャラを演じていたのだよね。
なんかナイスミドルになったのだね。
ちょっとハリソン・フォードっぽいけど、地味なのが玉にキズ・・・なんだろうかね。

オーロラが、随所にでてきます。
無線が、時間を越えてつながっていたのは、オーロラが見えていた、決して長くない何日かだけ。
オーロラが、奇跡を呼んだのだよね。
なのだから、もっとジョンが、オーロラを見上げて欲しかった。
ジョンが見上げたオーロラ、それが見たかったのかもしれないね。
例えば、何かの理由で凹んだ時とか、明るい気持ちになりたい時は、こういう温かいお話を見た方が、絶対いい。
それは間違いないよ、ね。

オーロラの彼方へ

オーロラの彼方へ

  • 出版社/メーカー: 松竹
  • 発売日: 2001/07/21
  • メディア: DVD


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友情<愛情 【ホワイト・ライズ】 [映画日記<2006年>]

「ホワイト・ライズ」をレンタル&視聴。

原題は「WICKER PARK」
「White Lies」は、実は邦題。
直訳だと白い嘘だけど、転じて、悪意のない透明な嘘、という意味らしい。

ストーリーは、現在と2年前。
シーンが何度も切り替わり、しかし、ある人物を中心に、全てはつながりを持って、ラストに向け刻々と進んでいく。

2年前。
カメラマンのマシュー(ジョシュ・ハートネット)は、一目ぼれから交際し始めた、ダンサーのリサ(ダイアン・クルーガー)と、幸福な時間を過ごしている。
マシューは、NYへ仕事の誘いがあり、それをキッカケにリサと離れ離れの生活を送りたくないと考え、一緒に暮らして欲しいとプロポーズをする。
リサは、時間がないから明日、と約束をし、その時は返事をしなかった。
だが、その後、リサから連絡は一切なく、姿もなく、マシューは訳が分からないまま、一人取り残されたのだった。

現在。
マシューは恋人への婚約指輪を悩む。
その兄の会社で働くマシューは、翌日から中国への出張を控えていた。
ある日、商談をした店で、マシューは2年前に姿をくらました元恋人のリサの後姿を見つける。
そこで見つけたわずかな手がかりを頼りに、中国行きも極秘でキャンセルし、何かに取り付かれたようにリサを捜し出し始めたのだった。
だが、ようやっとたどり着いたアパートには、別の女性(ローズ・バーン)が住んでいた・・・

この邦題を考えた人は、誰なんだろう。
“悪意のない透明な嘘”
そういうタイトルだけど、私には、彼女のした事が、“悪意のない透明な嘘”とは、
到底、思えない。
ストーリーのカギを握っているは、マシューの前ではリサと名のり、
マシューの友人ルークの前では、アレックスと名のる女性。
彼女のした事は、例え、“愛”に囚われ他のものが全く見えなくなっていたとしても、
“悪意のない嘘”だとは、思えない。
そうしたくてした事、でしょうに。
友人を裏切り、恋人を利用し、嘘をついて出会い、それで幸福になれると本気で思っていたのかな。
甚だ疑問だわ。
だって、それで得られたものは、たった一晩寝た事だけじゃない?

これじゃ、なんの事を言っているのか、さっぱり分かんないよね。
カギになる女性とは、ローズ・バーン演じる、アレックスの事。
マシューの前では、リサと名のって、本物のリサと、わざと間違われるようにしていたのだけどね。
必死の思いで、リサのアパートにたどり着いたと思ったマシューが、その部屋で出会ったのが、アレックス。
全ては、彼女の、計算のうち。
遡る事、2年。
マシューがリサに一目ぼれをする、ほんの少し前。
アレックスはマシューに、一目ぼれをしていたのだよ。
でも、マシューはリサに夢中。
アレックスにとっても、リサは友人だけど、カッコ良い憧れの女性に違いなかった訳だし、彼女には、どこにも付け入るスキが、全くなかったのだよね。
そんな彼女が、この機会にとばかりに理由したのが、リサの急のイギリスでの仕事。
連絡がつかなかったマシューへの手紙を託されたアレックスは、むくむくとマシューへの思いが湧き出てくるのを、どうしても止められなかった訳だ。
手紙を見て、それをマシューには渡さないという事を選んだのは、アレックスの大きな罪。
アレックスは、ただ、リサとマシューの仲を、引き裂きたかっただけかもしれないけど、
結果、2年の時を経て、アレックスはついに、マシューとの出会いまで、仕組んでしまう。
それは確かに、偶然が重なって、リサとアレックス、そしてマシューとが、同じ店にいたからなのだけど。
さらに、マシューの友人ルークまで巻き込んで、
アレックスは、自分を含めた四人を、自分の望むように、コントロールしようとするのだよね。
でも、嘘を重ねて、マシューと出会ったアレックスが、唯一できた事は、偽のリサとして、一晩、マシューと寝た事だけ。
しかも、本来の自分とは違う人間として、ね。
ついに、彼女の嘘がばれ、リサとマシューが再び会う時まで、アレックスの嘘はどこまでも積み重なるだけ。
女性の“愛”は、恐ろしいね。
友情<愛情
女性の中で、程度の差はあれ、この向きが変わる事は、決してないんだろうな。
このアレックスの嘘と、一連の行動を、
切ない恋心だと思って同情するか、
卑怯だと思って軽蔑するか、
それは、見た人それぞれでしょうね。
私は、後者。
邦題をつけた方は、前者、という事なのだろうね。
やっぱり私は、“愛”で、何か大事なものを見失うような事は、でき得る限り、したくないと思うな。
この“愛”、理解してあげられなかったわ。

確かに、アレックスという女性は不運だとは思うけど、
一番貧乏くじを引いたのは、現在マシューの恋人の女性でしょう。
結婚まで匂わせておきながら、結局はマシューに、この2年間は間違いだったなんて言われちゃうのだからね。
マシューも本当の事を知らなかったのだから仕方ないけど、それまでの2年間が、あっさり否定されちゃうなんて、残酷だわ。

アレックスを演じたローズ・バーンだけど、「トロイ」の時とは、印象が全然違って見えたよ。
ある意味、ものすごく大人だし、見た目も大人。
ずる賢くも見えるし、儚くも見える。
必死で取り繕っているようにも見えるし、どこか狂っているようにも見える。
ダイアン・クルーガー演じるリサが、普通の女性だったから、余計にアレックスのキャラが強烈に感じたのだよね。きっと。

ジョジュ・ハートネットは、切ない表情が、意外と良い感じ。
マシューのキャラとしては、もう少しこらえ性が欲しかったけど、男性とはそういうものでしょうから、仕方ないか。
据え膳食わぬは、何とやら・・・だよね。
マシューとリサには、すれ違いの美しさがあるけど、韓流ほどしつこくもないし、ほど良いすれ違い加減だったと思うよ。
ラストの空港での再開の場面は、否がおうにも、ぐっとくるってもんだよ。
やっと、やっと、会えたのだし。
お互い、離れ離れになったのは、誤解だったと、分かっていたのだしね。
正面から向き合うのではなく、後ろから抱きしめる演出も、切なさ倍増で良かった。
全てを失ったアレックスは、これからどうするのだろうね。
それが唯一、気になるところだよ。

ホワイト・ライズ

ホワイト・ライズ

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2006/07/19
  • メディア: DVD


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ラブコメと人種問題 【ゲス・フー 招かれざる恋人】 [映画日記<2006年>]

「ゲス・フー 招かれざる恋人」をレンタル&視聴。

アシュトン・カッチャー主演作、見たくなってね。
「招かれざる客」アカデミー賞受賞作のリメイク。
詳しくは調べていないけど、設定が“逆”、らしいよ。

サイモン(アシュトン・カッチャー)は、恋人のテレサ(ゾーイ・サルダナ)の両親の銀婚式に合わせて、初対面&婚約を報告するつもりだ。
なのに、上司の理不尽な考えに反抗して、正にテレサの両親に会う当日、会社を辞めてしまう。
無職では、きっとテレサの両親に信用してもらえない。
サイモンは、結局、テレサに本当に事は言えずじまい。
それより何より、もっと重要な事があった。
それは、サイモンは白人、テレサは黒人、という事。
サイモンは、果たしてテレサの両親に、快く受け入れてもらえるのだろうか・・・
そして、サイモンとテレサの愛は、どうなるのか?

ラブコメよ。
テーマは、思いっきり社会問題だけど、作品のテイストは、いたってドタバタ、ラブコメディ。
そんで、大方の人が予想できるように、当然のごとく、サイモンがテレサの両親に受け入れてもらえず、あれやこれやと、奮闘する姿に、笑いを誘われて・・・
ま、その通りだよね。
母マリリン(ジュディス・スコット)は、寛容な人で、サイモンが白人でも、それほど気にしていないよう。
大ボスで、最大の敵は、父親のパーシー(バーニー・マック)
パーシーは、どちらかというと、古風な考えの持ち主。
黒人の嫁には、黒人の婿が当然だと思っている。
しかも、テレサが、彼が白人だという事を、会った時まで隠していたものだから、余計に気持ちが整理できてないんだ。
で、黒人らしく、スポーツができて、もちろん、仕事もしっかりしていて、なんてぇのが、理想ときた。
白人、スポーツなんにもできない、オマケに無職。
そんなサイモンが、OKなはずないよね。

ストーリーは、バタバタと進んでいくよ。
何とか、パーシーと、上手くいきたいサイモンの、小細工というか、うっかりついたウソとかが、コメディらしいと言えば、らしいしね。
それが、ほとんど裏目にでるあたりも、期待を裏切らないコメディっぷりに仕上がっていると思う。
ま、その分、予想の範囲内で、それ以上のものではなかったと思うけど。

途中から、展開としては、ちょっと変化があって、
婿VS父だったのが、ちょっとした事から、母のマリリンとテレサが、銀婚式を翌日に控えているにも関わらず、家出をしちゃうのよね。
男達の不甲斐なさに、腹を立ててね。
で、取り残された、パーシーとサイモンが、何となく手を組みだすんだわ。
で、仲良くなる、というか、やっとお互いを理解し合うって感じかな。
手を取り合ったパーシーと、サイモンが、女性陣に謝りに行くところなんかは、
女性が強い強い。
しかも、マリリンの姉や、友人などなど、取り巻きが山ほどいたしね。
どこの国でも、おんなじだと思って、可笑しかった。
ま、サイモン&テレサの仲直りは、ラストまでお預けなのは、お約束かしら。

何故、サイモンがテレサに、会社を辞めたのを言えなかったのか、だけど。
もちろん、テレサの両親の事もあるけど、
妻が黒人だと、後々損をするから別れなさい、って上司に言われたから。
それに腹を立てて、サイモンは会社を辞めたのよね。
だから、テレサに、言いづらかった訳だ。
これがさ、テレサとの仲直りではなく、サイモンとパーシーの、絆の方に役立ったのよね。
パーシーもアホじゃないから、サイモンが会社辞めた理由に、気付くのだよ。
で、サイモンを、愚かだと言いながらも、認めるんだよね。
その件が、ちと弱いのが、残念。
もっと、利用できたはずなんだけどなぁ。
会社より、お金より、テレサの方が大切だった訳でしょう。
かなりやり手の証券マンだったんだから、サイモンはさ。
なのに、感情が先立ってしまって、辞めちゃったのだから。
パーシーがサイモンを認める時に、もっと上手く、感情的に盛り上げるのに使えば、ラストの銀婚式までの展開が、ぐっときたんじゃないかと思ってね。

ラストの銀婚式は、お祭りだから、ドンチャン騒ぎでOKでしょう。

にしても、一番残念なのは、
私が、この作品の真髄を、最も大事な部分を、本能的には理解できないって事だと思う。
何故かと言えば、私が、黒人でもなく、白人でもないって事。
それに、日本人だという事ね。
これほど、黒人白人の間に、溝があるとは、正直、感覚的に分からないよ。
そういう状況を経験した事がないからね。
知識は、つまり、紙面や、TVの中でしか、得られないって事だから。
いつの日か、結婚相手が外国人で、自分の両親に猛反対された、なんて事があれば、やぶさかではないとは思うけど。
それが一番、残念なところ。
ラブコメというベールに包んで、本当は、人種差別だとか、肌の色の違いで起こる社会的な、またはもっと家族的なトラブルをテーマにしている作品なのだから、そこが他人事としか感じられないのが、本当にもどかしいよ。
パーシーがラスト近くで、サイモンに言うのだけどね。
テレサと結婚したら、何でも、テレサを正しいと言わなくてはいけない。
その覚悟ができてるか?
って言うのよ。
これがすごく印象深かった。
白人と、黒人の立場の違いというか、やっぱり白人の方が、変な言い方だけど、上だって事なのだよね。
日本に、差別が全くないとは、絶対言わないけど、
大変だよね。
こういう問題を日常的に抱えている国はね。
私が言うと、軽く聞こえちゃって、イヤだね。

サイモン演じるアシュトン・カッチャーだけど、
調べるとこの方、コメディとかTVとかが、元々の出所なのね。
ちょっと以外。
その前は、モデル。
これは納得。
でも、コメディを演じている彼より、メイキングとかで、素に近い状態で話している姿の方が、魅力的に見えたのは、どうしてだろう・・・
それと、髪は長めで、ヒゲがある方が、私好みだったのは、ご愛嬌。
多分、「バタフライ・エフェクト」で、怯えた目をしている演技が、印象深いからかな。

テレサ演じるゾーイ・サルダナだけど、
彼女は、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の1作目で、アナマリアを演じていたのだよね。
キャプテン、ジャック・スパロウに、船を奪われて怒っていた、ブラック・パール号の船員になる彼女ね。
黒人の割りに、って書き方すると誤解されそうだけど、さっぱりした感じの顔してる。
「マトリックス」シリーズで、ナイオビ船長を演じた、ジェイダ・ピンケット・スミス(ウィル・スミスの奥さんでもある)も、けっこうさっぱり顔。
今やブラック・ビューティーの代表ハル・ベリーは、なんだかんだ言っても、黒人白人のハーフだからさ、ゾーイとかジェイダとか、印象に残りやすくて、良い感じ。
ゾーイは、もう少しで幻の作品になるところだった、オーランド・ブルーム主演&プロデュース作「HAVEN」(10月公開)で共演してるのよね。
楽しみだ!

同じコメディでも、「ズーランダー」みたいなおバカコメディよりは、ずっと親しみやすいかな。
いやさ、私、コメディって苦手でね。
それに、アメリカ人のセンスは、分からん時もあるし。
この映画でも、サイモンが、黒人ネタのジョークを話すシーンがあるのだけど、
はっきり言って、分からんもん。
白人が、黒人を、それまで差別する気持ちも、分かっていないしね。
その逆も、しかり。
コメディ映画を見て、悩むってーのも、どうなんだろうね。
映画としての出来は、そこそこだと思うよ。
ラストの大円満も、お約束だけど、それなりに感動的だったし、
サイモンが、何より、家族になれて、すっきりしたしね。
ま、ともかく、こういう類の映画が、そういう状況の人たちの勇気になって、ほんの少しでも考えるキッカケになれば、それが一番だと思うよ。
うーん、やっぱり他人事っぽいレビューで、自分で書いててなんだけど、ちょっとイヤだなぁ・・・(苦笑)

ゲス・フー 招かれざる恋人 特別編

ゲス・フー 招かれざる恋人 特別編

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • 発売日: 2006/08/18
  • メディア: DVD


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作り直しの幸福 【バタフライ・エフェクト】 [映画日記<2006年>]

「バタフライ・エフェクト」をレンタル&視聴。

まず、タイトルについて。
「バタフライ・エフェクト」とは、“バタフライ効果”の事。
北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる、というふうに例えられ、最初のわずかな差が、結果、大きな違いをもたらす、という“カオス理論”を端的に表している、一つの表現。
“カオス理論”とは、もう専門的すぎて、簡単に書けないや。
予測できない複雑かつ不規則な様子を表す現象を扱う理論。
という事らしい。難しいな・・・
似たような言葉だと、「風が吹けば、桶屋が儲かる」という日本の慣用句みたいなのがあるけど、これは、まさか有り得ないという事を、少し揶揄した言い方だけど、これの真剣バージョンみたいやつだね。
作品の内容が、まさにこの“バタフライ効果”を扱っているので、冒頭から変に小難しい解説になっちゃったよ(苦笑)

主人公はエヴァン(アシュトン・カッチャー)。
彼は記憶に関する心理学を専攻する大学生。
そして幼馴染のケイリー(エイミー・スマート)と、兄のトミー(ウィリアム・リー・スコット)。
もう一人、レニー(エルデン・ヘンソン)。
この四人が、物語の中心で、全て。

エヴァンは、普通の大学生だが、子供の頃から、時々記憶がなくなる症状があった。
その治療の一環で、ずっと日記をつけている。
7歳、エヴァンとケイリー、トミー、レニーは、近所の幼馴染同士。
遊ぶのも、悪い事をしてイタズラするのも、一緒だ。
13歳、ケイリーとトミーの父親が持っていたダイナマイトを使って、近所の家の郵便ポストを吹っ飛ばそうと、悪巧みしていた四人は、思いもよらない結末を迎える事になる。
その家の住人が帰ってきてしまい、レニーは病院に運ばれるし、何か恐ろしい事が起こったのだが、エヴァンには肝心なその時の記憶がなくなっていた。
そして、エヴァンの母親は、引越しを決心する。
引越しの日、恋心を抱いていたケイリーに、エヴァンは必ず迎えに来ると約束をする。
そして、大学生になったエヴァンは、その頃の事はすっかり過去の事になっていた。
記憶が途切れる症状も、それから7年間は、なかった。
久しぶりに、過去の日記を読むエヴァンは、突然、不思議な体験をする。
日記の中の出来事が、今、体験してきたような感覚になったからだ。
その間、エヴァンは、どうやら気絶していたらしい。
そして彼は、どうやら自分の日記の、記憶がなくなっていた箇所を読むと、その時のシーンに戻り、もう一度、やり直せるという事実に、気が付く。
過去に戻れるのだ。
そしてそれは、現在を作り直していく。
彼の記憶も全て作り直され、新しい現在が出来上がる。
迎えに行くと約束したのに、実際にはそれができなかったケイリー、久しぶりに彼女の元を訪れたエヴァンは、田舎の地元で、すっかりクサってしまった彼女に、愕然とする。
さらに、過去の話をエヴァンとした事で、トラウマが原因でケイリーが自殺した事を知ると、彼は日記を使って、過去を変えようと、もっといい現在に作り直そうと、考える。
自殺したケイリー、暴力を振るう兄のトミー、自宅に引きこもりのレニー、そして自分。
もっと良い現在、それを実現する為、エヴァンは過去に戻り、作り直しをする決心をする。
作り直しの現在。
エヴァンの、この行動は、思わぬ現在を作り出していくのだった・・・

作り直した現在。
なんか魅力ある言葉に思えるね。
7歳当時から、現在まで、巧妙に伏線が張られていて、秀逸。
まず、エヴァンの父親ジェイソン。
ジェイソンは精神を病み、入院中。
母親は、エヴァンが時々記憶を失くすのは、父親の病を受け継いだのではないかと、心配している。
エヴァンとジェイソンが初めて対面した日も、肝心のところで、エヴァンは記憶を失くしていた。
そしてケイリーとトミーの父親。
母は離婚していて、父親との3人暮らし。
エヴァンの目にも、二人の父親が、何か良くない事を、二人にしているのは分かってたが、なにせ子供だったから、それ以上何もできない。
ケイリーは、そんな父親に怯え、兄のトミーは、逆に、暴力的な性格になっていた。
もう一人の幼馴染レニーは、3人に比べると、内気な少年だ。
さらに、エヴァンが記憶を失くしていて、ポイントとなる出来事が、いくつかある。
7歳、ケイリーとエヴァンが、彼女の父親に映画を撮ると言われ、地下室で服を脱がされた時。
父ジェイソンに初めて会った日。
13歳、トミーが、エヴァンが飼っていた犬を、袋に入れて燃やしてしまった日。
ダイナマイトでイタズラをした日。
その全てが、エヴァンが日記を使って、過去に戻る日、にもなる訳だ。
やり直しをする日にね。
その空白の時間を、“今”の意識で、作り直すのだね。

エヴァンは、結局、何回、過去に戻って、作り直しをしたんだろう。
皮肉な事に、何度過去に戻って、現在を作り直しても、どこか上手くいかないのだよ。
誰か、不幸になるのだよね。
一つ良くなれば、どこか必ず悪くなる。
まず、ケイリーの自殺を止めようと、過去に戻る。
せっかくケイリーとエヴァンは恋人同士になれたのに、襲ってきたトミーをエヴァンが殺してしまう。
それを変えようとしたら、今度は7歳のレニーがトミーを殺してしまう。
それを変えようとしたら、今度はケイリーが場末の娼婦になっていて、
それを変えようとしたら、今度はケイリーはレニーと恋人、トミーは真人間。
自分はダイナマイトで両手を失っていた。
それを変えようとしたら、今度は自分が父親と同じに入院していた。
それを変えようとしたら、今度は・・・

原因は結果になり、
結果はまた原因となる。
つまり原因と結果は、同じ。
一つ変えても、それは次の原因を生み、結果をもたらす。
そしてその結果は、また原因となり・・・
これが、タイトルの、“バタフライ効果”なのだね。
過去に戻り、変えたのはほんの少しの事なのに、作り直された現在は、大きく変わってしまう。
必ずしも、いい方向になるとは、限らない。
つまり、過去を作り直しても、現在が上手くいく訳ではない。
人生は、やり直しがきかない。
って事なのだよね。
当然分かっていて、言葉で書けばこんなに簡単な事を、実際にやって見せられると、酷だね。
エヴァンの父親ジェイソンは、それを分かっていたよう。
だから、息子が自分と同じ事、過去に戻って現在を作り直しているのを察知すると、息子の首に手をかけたからね。
自分と同じになる、と思ったからでしょうね。

確かに、過去を変えるとか、使い古されたネタかもしれないけど、今までとちょっと違っているのは、
過去を変えた張本人エヴァンが、新しい記憶になっても、過去の作り直される前の記憶も、ちゃんと持っている事だよね。
ケイリーの自殺も、自分がトミーを殺した事も、レニーがトミーを殺した事も、両手を失くした事も、全部覚えている。
だから、エヴァンは余計に、現在を作り直したかったのだよね。
ケイリーを幸福にしてあげたい。
自分が迎えに行かなかったばかりに、幸福になれなかったケイリー。
最初は、それをしたかっただけなんだよ。
それなのに、次々上手くいかなくなって、日記を多用するようになり、結果、エヴァンは追い詰められるのだから。
しちゃいけない事をした、当然の報いなのかもしれないけど、エヴァンが悪い事をしたという感じは、全くない。
というより、切ない結果に、次こそは、と期待しそうになったから。

記憶が作り直される時に、エヴァンの脳自体にも、相当負担がかかっているっていう現実も、リアリティを出すのに、効果があったと思うな。
脳のMRI画像が、妙に現実的だった。
ファンタジーになり得なかったのは、多分、そういうところ。
でも、完全なファンタジーより、ミステリーちっくに作ってあるこういう作品のほうが、面白かったから、良かったと思うな。

後で思ったのだけどね。
エヴァンは、一つ、試さなかった事があるんだ。
それは、ケイリーを迎えに行く事。
日記になかったのかもしれないれど、もし、どの時点でかで、エヴァンがケイリーを迎えに行っていたら。
あの娘に性的虐待をしていた父親から、エヴァンが救えていたら、どうなっていただろうね。
約束は、果たされなかったのだけどね。

ラストの切なさに、思わず涙が出そうになったのだけど。
エヴァンがケイリーを幸福にする為、最終的に選んだのは、自分がケイリーとは幼馴染にならない、とう方法。
エヴァンのルームメイトはレニーで、レニーはケイリーなんて知らないと言う。
そうやって、エヴァンは、ケイリーの幸福を手に入れたのだよ。
レニーと、トミーのもね。
そして、そこで、日記も、過去の思いでも、全て処分するんだ。
これでもう、二度と、過去へは戻れない。
作り直しの現在も、もうない。
8年後、エヴァンは、偶然道でケイリーとすれ違う。
美しいキャリアウーマンとなったケイリーと会ったのに、エヴァンは少し振り返っただけで、そのまま歩み去るのだよ。
切ないねぇ。
久しぶりに、結末の切なさに、涙が出たよ。
わーっという感じではなくて、じわっとね。
人生、やり直しはきかないんだよって、説教じみて言われても、聞く耳持てないけどさ、こういう切ない映像で見せられると、変に納得してしまうよ。
それが良かったのか悪かったのかは分からんけど、エヴァンは幸福になれたのかな。

オマケだけど、すごいアメリカっぽいと思った事がいくつかあったね。
離婚とか、父親の性的虐待とか、子供が親に隠れてタバコを吸っていたりとか、刑務所の中がカマほり大会だったり、塀の中なのに白人とかユダヤ人とかにこだわったり、とかね。
エヴァンが両手を失っていた時、母親が肺ガンになったのは、自分の身体にせいで、母はタバコを吸いすぎて、ガンになった。
そう思い込んでいたあたりも、いかにもアメリカだよね。
喫煙の結果、肺ガンになるのは、売るタバコ会社が悪いからだって、訴訟を起こせる国だもん。
なんかすごい・・・

私の中の、久しぶりの、ヒット作。
どかんとハッピーエンドじゃないところも、気に入った。
でも、一人で見たい作品かもね。
恋人同士で見るのもいいけど、一人、しんみりと余韻に浸るのも、似合う作品だと思うな。
切ないだけに、その後ちょいと凹むのが、困った事だけどね(笑)
秋の夜長に、アルコール片手に、お薦めよ。
DVD欲しくなったわ。

バタフライ・エフェクト プレミアム・エディション

バタフライ・エフェクト プレミアム・エディション

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 2005/10/21
  • メディア: DVD


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バイオレンスなドタバタ劇 【処刑人】 [映画日記<2006年>]

「処刑人」をレンタル&視聴。

パッケージを見て借りて、シリアスムービーだと思い込んでいた。
仕事人みたいなやつかなぁとね。
ところがどっこい・・・(言い回しが古くてスマン)
バイオレンスムービーである事に間違いはないけど、何やらコメディタッチで、
久しぶりに、何だこりゃ?
出ました!

コナー(ショーン・パトリック・フラナリー)とマーフィー(ノーマン・リーダス)兄弟は、行き着けのバーで立ち退きを迫るロシアンマフィアをコテンパンにし、その後、仕返しに合うが、結果、殺してしまう。
自首し、拘留されるけど、すぐに正当防衛で釈放されるのだけどね。
二人は、その晩泊めてもらった留置場で、仲良く一緒に啓示を受ける。
“法で裁けない悪を、自らの手で処刑する”
早速、処刑人の任を実行する二人の、ドタバタな日々が始まる。

コナーとマーフィー兄弟だけど、とにかく仲良し。
何でも一緒。
タトゥも同じ、服も同じ、そして二人そろって、敬虔なクリスチャン。
ロザリオを首に下げ、礼拝は決して怠らない。
生肉加工の仕事をしていた兄弟が、神の啓示により、いきなり“処刑人”なってしまう訳だけど、まぁそう簡単にいかないところに、面白さがあるのだな。
知り合いから、たっぷり武器は手に入れるのだけど、いかんせん、計画がいまいち甘い。
そこが、ドタバタ劇たる所以なのだけど、何故かバツグンの運の良さで、毎回、上手くいっちゃうんだなぁ。これが。

この映画の、最大の魅力は、この兄弟。
ケンカしながら仲良しで、ほとんど慈悲なしで、バカスカ撃って、処刑しちゃう。
しかも、悪人っていっても、判断基準が、この兄弟の主観というか、知り合いからというか、周りから攻めていくあたり、すごく身内話なのよ。
でもね、それでも、この兄弟が、魅力的なの。
信仰深い証拠に、処刑の前には、キリスト教の教え(?)らしいセリフを唱和して、死体は腕を組ませ、目の上にコインをのせていく。
コインの意味は、三途の川の渡し賃ね。
ちょっと儀式じみているね。
でも、結構強烈な殺しも、暴力も、不快な感じは、何故かあまりしないんだな。
むしろ、すっきりする感じ。
やっぱり、仕事人か。こりゃ。
全然っ、プロらしくないけど。
むしろ、素人まるだし。
でも、すっきりするんだ。

一連の、事件を追うFBI捜査官(ウィレム・レフォー)が、これまた、強烈。
まず、この俳優さん自体が、ちょー個性的なお顔をしてらっしゃる。
で、ゲイっぽくって、捜査の為に女装までしちゃうし、イヤホンでクラシックを聞きながら、捜査をしたりね。
ちょっと、夢に出そう(笑)
惜しむらくは、クラシックを聞きながら何かをするといえば、「レオン」のゲイリー・オールドマンの方が強烈だった事かな。

それと、コナー&マーフィー兄弟と一緒に、イタリアンマフィアの使いっぱしりの男がずっと一緒なのだけど、彼、むさいし、顔は濃いし、言動ムチャクチャだし、またに兄弟より存在感があるんだ。
兄弟だけでも、面白かったかもしれないけど、彼の存在は、正直うるさいのだけど、またにプラスアルファの効果があったのかな。

ぶっちゃけ、主演のショーン・パトリック・フラナリーと、ノーマン・リーダスが、カッコイイ。
多分、それだけ。
バイオレンスドタバタ劇って、訳の分からないジャンルになっちゃったけど、
依頼人とかがいない、勝手な、仕事人。
そんな感じ。
悪人の後頭部に、二人仲良く、銃を突きつけて、教えを唱和し、引き金のを引く姿が、カッコイイのよ。
本国アメリカじゃ、暴力シーンのせいで、制限付きの上映になったらしいけどね。
内容としちゃ、それほど非道には見えなかったけどな。
軽~く、あくまで軽~く、人殺してます。

ちょっと興味深いのが、エンドロール。
いわゆるこういう内容の賛否、法で裁けない悪には、暴力を持って制するという事に対する賛否を、
街頭インタヴューしている映像が、ずっと流れているのよね。
これ、インタヴは、真面目にやったものみたいだよ。
それこそ、賛否両論。
実は、映画の内容より、よほど意味があったりしてね。
う~ん、笑えん。

もっと兄弟のカッコ良さを、前面に出しても良かったのにね。
強烈なFBI捜査官と、濃い顔のイタリアンマフィアの使いっぱしり、この二人の印象が残りすぎだもん。
顔だけで、反則ギリギリ。
カッコいいだけじゃ、印象に残らないのかなぁ・・・
確かに、思ったより、薄味だったもんね。
全体のイメージがね。
ま、そんな映画さ。

処刑人

処刑人

  • 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
  • 発売日: 2001/06/08
  • メディア: DVD


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