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映画日記<2006年> ブログトップ
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そこそこと言う定番 【エラゴン】 [映画日記<2006年>]

「エラゴン」を見たよ!

ああ、またイギリスのファンタジーが原作かぁ・・・
などと思いつつ、結局見に行っちゃった。
「LotR」から全く影響が抜け切れていない私だけど、ブロム役のジェレミー・アイアンズ見たさがあったからかもしれないね。

遥か彼方・・・アラゲイシア帝国。
民に圧制を強要するガルバトリックス王(ジョン・マルコビッチ)の下、国は危うい均衡を保っていた。
叔父と従兄弟と共に、農家のせがれとして育ち、狩りが得意なエラゴン(エド・スペリーアス)は、ある日森で、青い石を手に入れる。
エラゴンが石だと思っていたものは、やがて割れ、そこからドラゴンが孵る。
彼女の名はサフィラ。
だが、ドラゴンの誕生は、エラゴンだけの秘密ではいられなかった。
何故かそれを知ったガルバトリッマス王の刺客が、エラゴンの命を狙う。
巻き添えで叔父を殺されたエラゴンは、村の変わり者ブロム(ジェレミー・アイアンズ)に導かれるまま、サフィラと共にガルバトリックス王に反旗を翻す事になる。
目指すは反乱軍ヴァーデンの隠れ里。
エラゴンは、無事にヴァーデンの集う里へたどり着けるのか。
そして時々夢に現れる美女アーリア(シエンナ・ギロリー)は誰なのか。
エラゴンを導くブロムは何者なのか。
サフィラとエラゴンの運命は。
今、壮大な冒険が始まる・・・

イギリスのファンタジー3部作。
選ばれし者にドラゴン。
剣に魔法。
あぁ、またか・・・と思ったのは、きっと私だけではないはず。
イギリスのファンタジーは、何故か共通に登場するキャラクターがいるところに、歴史を感じる。
人間とドワーフとエルフ。
ゴブリンやトロルなんかの怪物もでてくる。
「ロード・オブ・ザ・リング」、「ハリー・ポッター」、「エラゴン」もしかり。
全て同じじゃないけど、同じ匂いがするというか、剣とか魔法の類もそうだけど、似ているのは確かだよ。
選ばれし者(Chosen one)といえば、「STAR WARS」のアナキン・スカイウォーカーが有名だけど、イギリスだけじゃなく、アメリカや日本でも、ある日突然、あなたは選ばれし者です、悪と戦う使命があるのです、さぁ、旅に出なさい。
なんて物語は、あるよね。
これって、以外と世界の共通認識として、人の憧れというか、ヒーロー像としての定番なのかもしれないね。

で、今作の主人公、選ばれし者のエラゴンは、農家のせがれの17歳。
それこそ、何にも知らない若者が、ある日突然、悪と戦う使命の為、旅に出なさいという訳だ。
この場合は、彼を選んだのは、ドラゴン自身で、ドラゴンが自ら、乗り手であるドラゴンライダーを選んだという設定。

立ち向かう敵は、強ければ強いほど、物語が面白くなるなるのだろうけど、
今作も例にもれず、敵は王と、その軍、そして配下の怪物達。
そんな強敵に、何にも知らない農家のせがれが立ち向かうには、やはり協力者が必要で、
それが何故の美女アーリアだったり、ブロムだったりする訳だね。
最近は、マスターという言葉で通じるけど、
これは非常に「STAR WARS」影響が強くて、主人公を導き、鍛える年配者が必ずいて、
そうじゃないと、何も知らない主人公が、すでに力も魔力も持っている敵と戦うには、あまりにも弱いのと、同等に戦えるだけの知識と力が必要で、それがないと、ストーリーやキャラクターにリアリティがなくなっちゃうからね。
それを手っ取り早く行うには、皮肉な言い方をすれば、約2時間の映画の上映時間を考えてっいう事も、もちろんあるだろうけど、
とにかくマスターという導き手の存在が、一番良いという結果に、これは必然でなったのでしょうね。
「STAR WARS」なら、
オビ=ワン・ケノービのマスターは、クワイ=ガン・ジンで、
アナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)のマスターは、オビ=ワン・ケノービで、
ルーク・スカイウォーカーのマスターもまた、オビ=ワン・ケノービだ。
「キングダム・オブ・ヘブン」なら、
バリアンのマスターは、ゴッドフリー。
「バットマン・ビギンズ」なら
ブルース・ウェインのマスターは、ヘンリー・デュカード。
「ロード・オブ・ザ・リング」なら、
フロド・バギンズのマスター、この作品はマスターではないけど、同じ立場の人物として、ガンダルフがいる。
ある雑誌で書かれていて、ものすごく納得しちゃったんだけど、マスター役には、イギリス人が多いんだって。
イアン・マッケラン(ガンダルフ)、アレック・ギネス(オビ=ワン)、ユアン・マクレガー(オビ=ワン)、ジェレミー・アイアンズ(ブロム)、
リーアム・ニーソン(クワイ=ガン、ゴッドフリー、デュカード)なんかは永遠のマスターだよ。
しかも、ほとんどの場合、志半ばで倒れるあたりも共通していて、これはこれで、主人公が成長するのに必要不可欠で、乗り越えなければならない障害なんだけど、マスターの死は、悲しいよね。

以外と勧善懲悪ちっくなのも、共通項かな。
悪役が悪役らしくて、分かりやすい。
権力を求めて、力でねじ伏せるあたり、悪役の共通理念だったりするんたけど、
見た目でも悪役って分かりやすくていいね。
イメージカラーは“黒”と決まっていて、
怪物達は気味が悪いし、ガルバトリックス王にしても、腹心のダーザにしても、おどろおどろしい恰好や、鋭い眼光で睨まれた日にゃ、目覚めが悪そうだ。

「LotR」も「ナルニア国物語」も、「エラゴン」も、冒険ファンタジーは、美しい自然の中で進む物語なので、これは嬉しい特徴だよ。
前2者はニュージーランドの自然を満喫できたし、「エラゴン」の撮影が何処で行われたか、探せなかったので分からなかったのだけど、本当にスクリーンに映し出される森や空は、美しい。
どうやってロケハンしたのか感動するような、山の細い尾根を、馬で進んだり、特に今作は、ドラゴンのサフィラが自由に空を飛び回るし、またサフィラに乗ったエラゴンの視線でも空を飛ぶから、かなりのスピード感を持って、自然が見れるのは、二重に良かったよ。
今はもう、視覚効果の技術が、進みまくっているから、実写の映像と、手を入れた映像の違いも素人には分からんし、しかも「LotR」のWETA社と、「STAR WARS」のL&M社が作っているのだから、なんだか安心だよ。

ドラゴンももちろん、フルCGだけど、サフィラのイメージが、想像とちょっと違っていたな。
メスなのを知らなかったのだけど、すごく優しい顔をしてるんだよね。
母のような視線で、エラゴンを見ているしね。
身体も、もっとゴツゴツしているのかと思ったら、そうでもなくて、より生物ぽく爬虫類とか恐竜に近いって言ったらいいのかな。
動きや表情なんかは、もうさすがとしか言いようがないけど、空を飛ぶドラゴンもまた、美しかったよ。
大地に影がさすシルエットも、いい効果だったと思う。
メスだけあって、声が、エラゴンの心に聞こえる声だけど、かなり女性的で、これもどちらかというと母みたいなのかな。
エラゴンには、最初から母親の存在はないのだけど、家族は叔父と従兄弟だけでね。
母の不在を埋める存在でもあるのかな、サフィラは。
ドラゴンとドラゴンライダーは、特別な信頼関係にあるようだし。
ドラゴンが死んでも、ライダーは死なないけど、ライダーが死んだら、ドラゴンも死んでしまうらしい。
かつてドラゴンライダーだったブロムは、ドラゴンをなくしたライダーは死んだも同然、そんなようなセリフがあった気がする。

エラゴン自身の成長物語とすると、
これはちょっと軽いというか、弱いと思う。
「ナルニア国物語」で違和感があった、いわゆる主人公が、ほとんど何の修行もしていないのに、選ばれてすぐ、強くなったり、剣が使えたりする場合があるけど、
エラゴンは、すぐには強くならないけど、魔法はすぐに使えたね。
ま、これは、元から才能があった訳だから、それほどの違和感はないけど、強くなっていく過程は、あっさり気味かな。
最初はブロムがめちゃくちゃ助けているけど、ブロムも案外早めにお亡くなりになるし、しかもエラゴンをかばってと言う定番でね。
エルフのアーリアは、そういう面では助けにはなってないし、ラストで対決したガルバトリックス王の腹心ダーザとの戦いは、やはりあっさり勝てたなぁ、という印象が残ったな。
エラゴンが、どうして自分が選ばれたのか、納得するというか、受け入れる瞬間とか、エピソード的なものがあってしかりなのだけど、それもちと分かりづらかったのは、すこし残念だわ。
「LotR」と比較するのは、本当に申し訳ないと、毎回思うのだけど、ま、同じジャンルという事で、諦めてもらうとして。
「LotR」のあの重厚感は、なかなかそれ以降の作品では、まだ出せないでいるよね。
「エラゴン」も微妙な軽さから抜け出せなかったし。
「LotR」は、主人公のフロドが、決して強くならなかったって事も、関係しているのかも。
心はとてつもなく強かったフロドだけど、戦闘という意味では、全くの戦力外だもんね。
だから違和感がないし、他のキャラクターは、元々戦闘能力があったから、強くてもそれほど変な気はしなかったんだよね。
あの重厚感は、どうやって出したんだろう。
返ってその方が、知りたいかも。
CG技術は今の方が良いだろうし、小道具や衣装に、それほど差があるとは思えない。
演出や脚本なのかなぁ。
キャストだって、そうそう変わるもんじゃないもんね。
ファンタジー界の課題は、多分そういうところにあるのかな。
みんな分かっているんだろうけど、「LotR」の壁は、まだまだ厚いね。

課題、ではないかもしれないけど、
ファンタジーというのは、独特の言葉とか名前が多くて、それだけでもとっつきにくいのは、どうにもならないんだよねぇ。
国の名前くらいならどうにでもなるけど、
人間ですらないキャラや、組織やら魔法やらが、当たり前にばんばんでてくるから、多少の予備知識がないと、?になりかねない。
よほどの人じゃないと、見に行く前に予習なんてしないだろうし、逆に、何も知らないで見に行くのがいいという人いる。
説明的なセリフが多いのは、見ていて楽しくないし、これって難しいよね。
子供向けか大人向けかってのも、また違うだろうし、「エラゴン」は上映時間が2時間弱だったから、その点では、省きすぎていないか、心配ではあったんだ。
上手くまとめたなぁ、という感想だったけど、その分、軽さが残ったのと、あっさり感があったのだろうね。
主要な登場人物達は、そこそこの活躍で、キャラが見えてきていたけど、
それ以外の、特にヴァーデンの組織としての立場や、ヴァーデンにいる人物達は、まだまだ存在があやふやで、弱かったな。
エルフの役割もまだ見えてこないし、サブキャラのマータグもまだ何者って感じだし、あぁ、そうやって思い返してみると、弱い部分が、まだまだあるって、気付くね。
でも、子供が見るには、2時間以上の上映時間は長いよね。
「LotR」は、非常に長い作品だけど、完全に大人向けのテイストに仕上がっていたからなぁ。

これはオマケだけど、
サフィラとエラゴンが並んでいるところを、横から撮っているシーンがあったのだけど、
これがちょっと、宮崎吾朗氏の「ゲド戦記」の、イメージ画と似ているなぁ、と思ったんだ。
それ以外にも、ガルバトリックス王の下、見た目の黒いアーガルっいう敵が、土くれの中で、鉄を精製して武器を作っているシーンなんかは、「LotR」でサルマンが、ウルクハイ達に武器を作らせているアイゼンガルドのシーンと、ほとんどおんなじだと思ったんだ。
必要なシーンだし、武器となれば、製鉄シーンはあるだろうし、ダメではないけど、あぁあれと同じだぁ、って思われるのは、本当なら心外だろうね。作り手からしてみればね。
どうも、悪役イコール製鉄っていうイメージが、できちゃったよ。

今作、3部作の1作目。
という事で、ひとまずエラゴンがドラゴンライダーとして、反乱軍ヴァーデンの仲間として、活躍したところで、お開きとなったけど、
ガルバトリックス王は、腹心を失くした訳だし、ドラゴンライダーの復活は、自分の歯向かう敵が出来たのだから、王の活躍は、これからでしょう。
せっかく怪優ジョン・マルコビッチが演じているのだから、にっくき敵役を、嬉々として演じて欲しい。
エラゴン役のエド君の、童顔具合がなんとも気になるところだけど、後の2作、良い作品となれば、いいなぁ。
ブロムから譲り受けた剣も、謎のままだし、サフィラとエラゴンの関係も、これからって感じだし、何よりエラゴン自身が、剣も魔法も、もっともっと強くならないと、ガルバトリックス王と、同等なキャラクターにならないでしょうしね。
対決する時に、力に差がありすぎる感じがしたら、台無しだもん。
是非、また見に行きたくなる作品を、作って欲しいよ。


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伝統芸能で、吉本新喜劇 【犬神家の一族】 [映画日記<2006年>]

「犬神家の一族」を見たよ!

市川崑監督の、セルフリメイク。
オリジナル版は、1976年公開。
長く生きていると、こういう事もできちゃうんだね。すごい。

昭和22年。
東京の私立探偵、金田一耕助(石坂浩二)の元に、信州は那須から依頼が届く。
犬神財閥の創始者、犬神佐兵衛(仲代達也)が死去。
彼の遺産をめぐり、何か悪い事が起きると予感した、遺言書を預かる法律事務所の若林からのものだった。
予感は的中する。
金田一と会う前に、若林が何者かによって殺害されると、
金田一は、同じ法律事務所の古舘弁護士(中村敦夫)と共に、遺言を発表する犬神家に同席する。
遺言の内容は、一族にとって、衝撃的なものだった。
犬神佐兵衛に正妻はおらず、みな違う女に産ませた娘が3人、松子(富士純子)、竹子(松坂慶子)、梅子(万田久子)がいた。
が、しかし、3人の名は一切触れず、
財産の全ては、佐兵衛の恩人の孫、野々村珠世(松嶋菜々子)が、佐兵衛の3人の孫で、松子、竹子、梅子それぞれの長男、佐清(尾上菊之助)、佐武(葛山信吾)、佐智(池内万作)のうち一人と結婚を条件に、全て相続するというものだった。
その資産は、計り知れず。
やがて、犬神家と、珠世の周辺で、血なまぐさい事件が次々起こる。
果たして、犯人は誰か・・・?
金田一耕助は、事件を解決できるのか・・・

1976年版は、後のテレビで見た記憶があるのだけど、
映像が古く、しかも小学生だった私には、あの不気味なマスクをした佐清がどうしても怖くて、最後まで見れなかった記憶がある。
ちゃんと見れたのは、もっと後の事で、誰が金田一耕助を演じたドラマか忘れちゃったけど、とにかく一度は、「犬神家の一族」を見ている訳だ。
なので、私的には、犯人も知っているし、結末も知っている状態での鑑賞って事になる。
なのだけど、ね、それを分かってても、見に行きたいと思ったんだ。

まず、キャストがすごいよね。
主人公の金田一耕助を演じるのは、石坂浩二。
なんと、30年前の金田一を演じた張本人。
今はもう60歳すぎた石坂氏が、また同じ役を演じている事自体に、興味があったんだ。
水戸黄門すら演じた初老の俳優が、金田一ねぇ・・・気になるっしょ?
しかも金田一耕助は、よく走る。下駄で走る。
石坂氏、頑張ってたよ。ちゃんと走ってたもん。

松子、竹子、梅子を演じた3人の女優さんも、大御所ぞろい。
珠世には松嶋菜々子だし、那須ホテルの女中はるは深田恭子だし、
加藤武も等々力刑事役で「よし、分かった」ってやってるし、
三谷幸喜やら、林家喜久蔵やら、中村玉緒やら、
とにかく贅沢なキャストなのは、偏に、市川監督の人徳っちゅー事かな。

横溝正史の世界観といえば、
田舎の旧家で起こる、血なまぐさいお家騒動や、猟奇殺人、愛憎劇が中心。
この世界観は、大事だよ。特に「犬神家の一族」はね。
いかにも、終戦直後の日本って感じが、ぷんぷん匂いたつでしょう。
日本家屋は基本的に薄暗くて、あの独特な感じで、障子とか襖とか床の間とか、気味悪いでしょう。
しかも、人間関係が、相関図を書かなけりゃ分からんほどに複雑で、
恨み辛みがギジギシしてるしね。
それに遺産相続が絡んでいるのだから、パーフェクトだよね。
ドラマでなくて、映画、しかも監督のおかげでというか、とにかく予算があったのか、スタッフが丁寧だったのか、衣装、美術、セット、ロケと、粗がなくて良かったよ。本当に。
どうもドラマの金田一は、キレイすぎる気がするからさ。
しかも昭和20年代初頭の町並みやら、小道具やら、本物らしく見せるには、やっぱり手間がかかるだろうしね。
そういう点では、あまり障害はなかったんじゃないかな。
よれよれの着物を着た金田一は、ぼさぼさの頭からフケが落ちても、違和感ないよ。
広い畳敷きの部屋に、佐兵衛の遺影を背に、
一族がずらりと並ぶ光景には、ぞぞっとくるのもがあったよ。
あの家長制度というか、人物の並びとか、そういう日本の伝統的な習慣って、外国人には理解できないんだろうなぁ、なんて思いながら見てたわ。

この映画、というか、金田一耕助シリーズが、伝統芸能で、すでに吉本新喜劇状態でしょう。
いわゆる“お約束”を楽しむ作品って事。
ある意味、007も同じ。
田舎の旧家も、金田一も等々力刑事も、“お約束”の産物だ。
でも、それが魅力の一部なのだよね。
かく言う私だって、それを楽しみにしているようなものだもん。

で、映画を見終わっての感想というか、出来はというと、
それほど感激するほどの事はなかったかなぁ・・・
よくできた作品だよ。
でも、それ以上ではなかった。
金田一の活躍が、いまいちはっきりしてなかったし、ちょっと全体的に、ぼやけた印象が残ったわ。
ま、そんなものなのかなぁ。
でもさ、分かってはいてもさ、いざスクリーンで、
佐清のマスク姿とか、菊人形の首と挿げ替えられた佐武の生首とか、
湖に突き刺さって、足が水面から伸びているあの映像を見たら、
そんなの全部ふっとんじゃうよね。
なに野暮な事言ってるんだよぉ! って、自分にダメ出しするわ。
“佐清”“青沼静馬”これは永遠に不滅っしょ。

一つ、佐兵衛の亡霊、松子の背後に浮かぶ佐兵衛の顔、これは怖かったねぇ。
松子は、佐兵衛の亡霊に操られるように、今回の殺人を犯した訳だけど、
よく考えると、松子は、何もしなければ、財産を手に入れる事ができたんだよね。
確かに、福岡の港で、顔に傷を負った佐清を、本当の佐清だと思ってしまった事が、全ての間違いなのかもしれないけど、
わざわざ殺して回らなくったって、本物の佐清と、野々村珠世は、本当に愛し合っていたのだから、
松子のした事は、勇み足以外、何ものでもないんだ。
佐清さえ本物であったなら、珠世は彼を選んでいたでしょうね。
最初から彼女は、ニセモノだと見抜いていたんだし。
そこが、この物語の、悲劇なポイントなんだよね。
悲しいねぇ。
確かに、松子たちが青沼親子にした事は、酷いことだけど、
母子の愛情がすれ違ってしまったばかりに、こういう結果になったのだからね。

こういう悲劇を解決するには、金田一耕助ってキャラは、どことなく軽くて、ふわふわしてて、憎めないキャラクターが、いい効果を上げているから、長続きする愛される作品になったのだと思うな。
自信たっぷりに推理を語る探偵だったら、まずこうはいかないよ。
今作だって、金田一と、ホテルの女中はるのやりとりなんて、漫才みたいだもん。
送別会を逃げだいちゃう彼は、カワイイかもしれない・・・ね。

石坂氏、いやぁ、年取ったね。
30年前の彼は、多分、正に、金田一耕助だったのだろうね。
2006年、石坂金田一は、うーん、ちょっと違和感アリかなぁ。
ギリでセーフから、ちょいアウトの間くらい。
そう思う。
でも、横溝正史の世界観を知らない方、若い方には、機会があったら、見て欲しいな。
今の邦画界、どうもお涙ものの恋愛映画が、氾濫ぎみだと思うんだ。
ま、簡単に撮れるし、客も呼べるんだろうから、それはそれでいいんだけどね。
でも、佐清のマスク姿が夢にでそうとか、こういう伝統芸能みたいな映画も、いいぞぉ~。
そう思う。


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一見の価値あり 【硫黄島からの手紙】 [映画日記<2006年>]

「硫黄島からの手紙」を見たよ!

やっと見れた・・・

クリント・イーストウッド監督が綴る、硫黄島2部作の2作目。
日本の側から見た硫黄島の戦いを描いた、この作品。
なにやら、すでにショーレースにも名を連ねているようだけど、それは静観してますよ。
でも、評価されれば、それはそれで嬉しいね。

硫黄島の総指揮官として赴任してきたのは、栗林中将(渡辺兼)。
彼はアメリカに留学経験もある、博識な人物。
彼が率いた硫黄島の戦いは、当初5日でアメリカが勝つと言われた戦闘を、
約1ヶ月近くも持ちこたえさせた。
そんな栗林中将と、運命的な関わり方をするのは、一兵卒の西郷(二宮和也)。
西郷の目から見た硫黄島は、果たしてどんな場所だったのか・・・
そして栗林中将の最期は・・・

最初と最後に、2005年、硫黄島から、本当に手紙が発見された時の、再現映像のようになっていたのは、良かったと思う。
これは事実で、実際に、栗林中将が書いた手紙も、発見されているらしいし。
そう思えば、西郷という人物が、例え作り出されたキャラクターだとしても、ゆるぎようのない事実が、そこにはあるのだからね。

「父親達の星条旗」の時も書いたけど、悲惨な戦場の描写は、極力抑えてあると思う。
手榴弾での自決シーンも、それほど目を背けたくなるほどではなかったよ。
だから、目を背ける事なく、スクリーンを見れたのには、感謝しなきゃならんのかな。
そういうシーンばかりだと、そっちの印象が強すぎて、監督が伝えたい事が、分からなくなりそうだもんね。

西郷が見た戦場、まだ戦場になる前のそこは、穴掘り。
海岸線の塹壕堀りは、栗林中将の作戦で中止されたが、
兵士達が掘ったのは、後々、徹底抗戦する時の洞窟。
米軍の空爆が始まった頃には、すでに立派な洞窟が、たくさん出来上がっていた訳だ。
西郷曰く、それで死ねと言われているような、穴。
墓穴を掘っている・・・そう彼は言った。

今は硫黄島に住人はいないが、当時はまだ、島には住民がいたのだね。
名の通り、硫黄の匂いと、地熱で熱い島。
水には硫黄の成分が混じり、本土からは遥かに遠い。
よくそんな島に、住んでいたと思う。

アメリカ帰りで、ややフランクな印象の栗林中将には、
いやまぁ、そうだろうなとは思うのだけど、内部にも敵は多い。
階級が高いだけに、露骨ないやがらせとかじゃないけど、
堅物で、玉砕主義で、規律第一の軍部は、そりゃあやりずらかっただろうなぁ、と思う。
スマートでカリスマ性もある栗林中将だけど、
それ以外の仕官や兵には、多彩なキャラクターがそろっていたんじゃないかな。
まず西郷からして、彼はぼやきの天才。
今どきの言葉遣いに、ツッコミを入れている人もいるだろうけど、私はそれほど気にならなかったよ。
西郷のぼやきは、多分、人としての本音だったように思う。
もうイヤだ、とか、こんな島なんかアメ公にやっちまえ、とか、投降しようか、とかね。
ただ、内心そう思っていたとしても、それは絶対に口に出せない環境だったのは、間違いないね。
憲兵っていう、非国民取締りのような輩がいるし、まず教育からして天皇は神様なのだから、どう逆らうって言うのかね。
栗林中将以外で有名人といえば、バロン西(伊原剛志)。
ロサンゼルスオリンピック、馬術競技の金メダリストで、彼も仕官だったのだね。
しかも、栗林中将以外で、英語がしゃべれた人物。
彼が捕虜にしたアメリカ兵から情報を聞き出そうと、負傷した米兵の治療を命じ、その負傷兵と話すシーンがあるのだけど、結局死んでしまったサムという米兵が持っていた、彼の母親からの手紙。
西はそれを、自分の部下達に読んで聞かせるのだけど、このシーンは、多分、この映画で、クリント・イーストウッド監督が、見ている私達に伝えたかった事の、かなり重要な部分を担っていたはず。
死んだ米兵が母親からもらった手紙、それは、今そこにいる日本兵達が、自分達の母親からもらった手紙の内容と、なんら変わりがなかったから。
鬼畜米兵と教育されて、アメリカ人は腰抜けで根性がないから、弱い。
そう教えられて訓練された日本兵達が、初めて、米兵も自分達も、それほど変わらないのだと、気付くシーンなのだからね。

一方で、昔からの考え方を貫く兵士もたくさんおり、栗林中将を取り巻く士官の中にも、それはいる。
玉砕を良しとせず、生きて戦えと教える栗林とは正反対に、伊藤中尉(中村獅童)などは、退却するくらいなら、潔く自決すべし、という考えの持ち主。
いや、当時の軍人には、そういう人の方が多かったのでしょうね。
一人ずつ、手榴弾自決しているシーンなんかは、見ていて非常に心苦しいよ。
伊藤中尉は、退却してきた兵士の首を落とそうと、本気で刀を抜くのだから、始末が悪いよね。

西郷というキャラクターの役割は、ストーリーテラーだけど、
彼は多分、奇妙な国民性を持った日本というものを見るアメリカ人の為の、ファインダーだったのではないかな。
だから、ぼやく。
ぼやきたくてもぼやけない環境でも、彼はぼやく。
きっと彼みたいなキャクターがいなかったら、玉砕主義ばかりが集まったキャストでは、アメリカ人は受け入れられなかったでしょう。
西郷が最後まで生き残るのは、やはり監督がアメリカ人だったからと、妙に納得しちゃったよ。
西郷が、結果捕虜として助かったのは、栗林中将との運命的な関係があったから。
栗林は2度ある事は3度あると言ったけど、
西郷は、まず上官からの体罰を止めてもらい、次に伊藤中尉に首を切られそうになったところを止められ、最後は、玉砕覚悟の突入の際、軍と栗林の個人的な書類を燃やせと、突入からはずされる。
こんな偶然は、実際には起こるはずないけど、西郷が手紙も埋めたし、栗林中将の遺体も埋めた。
実際に、栗林中将の遺体は、見つかっていなかったんじゃないかな、確か。
しゃべる一つ持って、銃をかまえた米兵に囲まれる西郷を見ていたら、
日本人の愚かさを、痛感してしまったよ。
なんでこんなになってしまったのか、とね。
60数年を経て、掘り返された手紙には、当時の兵士達の、心が宿っているのだろうし、
それが今出てきたって事を、多分もっと、大事に思わなくちゃならないんじゃないかな。
兵士だと言ったって、みんな普通の人なのだよね。
普通の人が、召集令状一枚で、兵士になる。
家族に当てた手紙は、彼らが普通の人だったっていう、証拠なのだよね。
栗林中将も、しかり。

この映画は、アメリカ人の監督と、スタッフと、メイドインアメリカな作品。
それをとても実感できた。
クリント・イーストウッド監督は、常に一歩引いたところから、この戦争を撮っている。
主演は渡辺兼演じる栗林中将で、ストーリーテラーは二宮君演じる西郷。
それはそうなんだけど、決して西郷の一人称で撮っている映画じゃないんだ。
誰の視線でもないの。
“そこ”と“ここ”には、距離が作ってあるんだよ。
でもそれは、日本人じゃ、絶対に作れない距離だと思う。
だって、私達は日本人だもん。
日本人としての感情が邪魔をして、イーストウッド監督みたいな距離は、開けられないでしょう。
いい戦争映画はたくさんあるだろうけど、もっとエモーショナルなんじゃないかな。
そういう意味では、少し冷めた部分がある作品に思うわ。
どこか静観している感じがある。
「父親達の星条旗」は、アメリカ人が作った、アメリカ人の視線で撮った作品だよ。
だから、国債を集めるために、戦場の英雄から、マスコミの英雄にされた兵士達が主人公だったんだよね。
徹底的に内部から戦争のいやらしさを描いていたのに対し、「硫黄島からの手紙」は、アウトサイドから撮った作品だよ。
必要以上にエモーショナルにならず、でも「父親達の星条旗」より、感情に訴えるものが多かったように思う。
違う国の人間に、ましてや日本に住んだ事もなく、言葉もしゃべれない人物に、これだけの作品を作られちゃ、脱帽するしかないのかな。
多少残る違和感を差し引いても、まだ余るこの感覚は、きっと本物だよね。

これが、まだ60年とちょっとしか前でないって、ちょっと信じられないかも。
私の、母方の祖父は二等兵として満州から戻ってきているし、
父方の祖父は、職業軍人で、毎朝部下が、馬で迎えに来るほどの人物だったらしい。
どららももう話を聞く事はできないけど、今、こういう映画を見て、何か感じるものがあったのだから、
当時のというか、自分のおじいちゃんが、戦争でどう戦ったのか、一度真剣に聞いておけば良かったなぁ、と思っちゃった。

ラスト。
突入後、負傷しどうにもならなくなった栗林中将は、
その昔、アメリカ留学でできた友人からもらった、45口径のコルトで、自決をする。
その際、海岸線を見つめながら、側にいる西郷に、「ここはまだ日本か?」と聞く。
西郷は、「はい」と答える。
2006年12月22日現在。
硫黄島は、今でも日本ですよ。
そう、栗林中将に、伝えたくなった。


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碧眼に殺られる 【007 カジノ・ロワイヤル】 [映画日記<2006年>]

「007 カジノ・ロワイヤル」を見たよ!

見て参りました。
新生ジェームズ・ボンド。
過去の作品だと、ピアーズ・ブロスナンしか見ていないかもしれないけど、
今作のダニエル・クレイグ、なかなかいい味出してるよ~。

オープニングは、ボンドが“00”(ダブル・オー)になる瞬間が、モノクロームで描かれている。
二人殺したら“00”の資格が与えられる。
そうボンドに言った男は、その二人目となった。
すでに、このオープニングから、ダニエル・クレイグの、人も殺せるような視線が、なんとも言えず、カッコイイ。

忘れていたんだけど、オープニングに、テーマ曲というか、歌詞のついた、普通の曲が使われているのも、お約束だったのよね。
今作も、カジノに関連して、カードの4種のマークが、乱れ打ち。
ちょっと古臭く見えて、でも絶妙にセンスの良さが伺えて、カッコ良い。
このセンスは、日本人からは、どうひっくり返っても、出てこないだろうなぁ。

ストーリーは、
晴れて“007”に昇格した、ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)の、初仕事。
軽く、爆弾男を射殺したり、航空機を爆破しようとした男を阻止したりした後、
世界のテロリスト達に、資金提供しているル・シッフル(マッツ・ミケルセン)を、カジノのポーカーで負かし、破産させる事が任務。
ボンドの資金源は、イギリス政府の国家予算、1500万ドル。
今回は、その政府の金庫番として、一人の女性が、ボンドの元に送り込まれた。
彼女の名は、ヴェスパー(エヴァ・グリーン)。
ル・シッフルとのポーカーでの駆け引き、さらにその裏で動く、命の駆け引き、
ル・シッフルから資金調達を約束したテロリスト達。
金を巡って、それぞれの思惑が交錯する中、
ボンドは、始めこそ反目し合っているように見えたヴェスパーと、
次第に仲を深めていく。
ボンドがヴェスパーを、本気で愛した時、二人の運命は、過酷な真実へと、加速してゆく・・・

ダニエル・クレイグという俳優を、あまり良く知らなかったのだけど、
この方、アクションが本物で、実に気持ちいい!
オープニング曲の後、ボンドは、爆弾男を追いかけ、ひたすら走っている。
どこかアフリカか南米だか分からんけど、
とにかく、ひたすら走って走って走って、その男とチェイスしているのだけど、
この出来が、素晴らしい。
ものすごく速く走るのもそうだけど、
高い場所も物ともせず、登って飛び降りて、また登って。
この二人の走るチェイスは、かなりの見もの。
ダニエルもすごいけど、逃げている男もすごい。
高所での追いかけっこは、恐怖症でない私も、思わず手に汗かいてたよ。

一転して、
カジノでのポーカー勝負は、あくまでもル・シッフルとの心理戦。
何千万ドルという金が、一勝負で簡単に動く。
ただ、ル・シッフルも、勝負に負ければ破産し、
そうなると、資金提供を約束したテロリスト達から、逆に狙われる事になる為、
どちらも必死。
表では、あくまで正装でスマートにきめ、イカサマなしのカード勝負なのだけど、
裏では、何としてでもボンドを負かしたいル・シッフルは、
少々汚い手も使うのだよね。
その際、以外とあっさり毒を盛られたボンドが、
必死で助かろうとするシーンは、色んな意味ですごかったかも。
今回、ボンドカーの活躍があまりない為、
このシーンでは、少しだけボンドカーもお役立ち。
塩を飲んで吐いて、車まで戻ってきたボンドは、
腕に仕込まれた発信機からイギリスのMI6本部に連絡をとり、
その指示で、自分でアンフェタミンを注射し、除細動器を自ら使っちゃうあたり、
うーん、なんともすごい。
しかも、除細動器の電源がはずれてて、毒のせいで心停止までして、
で、ヴェスパーのおかげでなんとか助かるのだから、彼女が来なかったら、
ボンド君、あのままご臨終してたね。

カジノでの勝負は、一度は不利になりかけたボンドの、逆転勝ち。
で、任務は終了。
ではこれから、ヴェスパーとの熱い夜が・・・
となりかけた時、
ヴェスパーはル・シッフルによって拉致され、
それを追ったボンドも、あえなく捕まってしまう。
ものすごいカー・クラッシュするのだけど、不死身のボンド君だから、生きてて当然(笑)
ル・シッフルは、ボンドに、勝負で手に入れた金の、口座の暗証番号を聞き出す為、彼を拷問にかける。
この拷問の方法は、ちぃーとねぇ、あまりにストレートすぎて、どうかと思うのだけど・・・
スミマセヌ、ワタクシはオナゴにて、ホントウのイタミは、リカイデキマセヌ・・・

ボンド最大の試練は、ヴェスパーの存在でしょう。
このあたり、ジェームズ・ボンドは、まだまだ青いって事だよね。
女に騙されるのは、きっとこのヴェスパーで最初で最後のなるのは、間違いないやね。
本当に愛した女が、どうにもならぬ理由で、実は裏切っていたら、アナタならどうする?
そういう疑問を突きつけられたボンドは、もっと早く気付けていたら、果たしてどうしていたかね。
でもヴェスパーが、最後、あんな結末を選んだっつー事は、彼女もまた、ボンドに本気だったって事だよね。
悲しい結末は、似合わぬジェームズ・ボンドだけど、
最初に、そういう事があったから、あのボンドができたって理由付けが、上手く当てはまるのだね。
これは制作側の、してやったりかしら。

前評判はともかく、
蓋を開けてみれば、評判以上の、ジェームズ・ボンドが出来あがっていた訳だ。
どうもいままでの印象としては、
カッコつけで、スカしている感じで、紙芝居っぽいというか、シャレっぽいというか、
新喜劇も真っ青なお約束っぷりなのは、それは変わらないのだけど、
人間味が増して、見やすくなったよ。
それに、ダニエル・クレイグも、立ち居姿が、威風堂々していて、存在感があるし、
金髪&碧眼も、なんら邪魔になんてなっていない。
むしろ、するどい視線を放つ青い目は、それを強調して映像にしているフシもあるけど、
とても絵的に効果的だったと思うな。
それに、女性が席を立つ時には、必ず自分も立つとか、英国紳士の態度も、ちゃんと拝めたしね。
イギリス人というよりは、北欧人ぽい・・・あんまり変わんない?

ジェームズ・ボンドには、海と砂浜が似合うね。
今作は、いわゆる女遊びはほどほどに、真実の愛に目覚めるボンド君ってのが、イイ味してる。
ポーカーのルールは、まぁ一応知っているけど、
このカジノのポーカーは、最初、いまいちやり方がピントこなかったわ。
ポーカーの、カードの集め方を知らないと、ちっとも楽しくないかもね。
完璧に作られたジェームズ・ボンドを望むなら、きっと満足できないかも。
でも、まだ完璧になる前の、ちぃーとばかり青臭いジェームズ・ボンドてのも、悪くないよ。
アクションは想像以上に良かったし、美女との濡れ場もあるし、
海も砂浜も、空もキレイだったよ。
お約束を楽しむのが、007の正当な見方だもん。
今回はちょっとした切ない恋模様も織り込んで、お腹一杯になれる事うけあい。
歯の浮くようなセリフも、今回は少なめかしらね。
だから、007の独特なケレン味みたいのが苦手な人も、
結構楽しめると思うな。

ま、これはオマケだけど、
映画とかドラマとかを見てて、主にアクションものでだけど、
男性が、銃の、グリップのところに弾倉を入れて、
1発目をセットして、安全装置を外すっていう、一連の行動を見るのが、
私がすごく好きだって事に気づいたよ。
「カジノ・ロワイヤル」見てて、何故か急に気付いちゃった。

ジェームズ・ボンドが、あれだけ大暴れして、
結局、ル・シッフルはCIAに譲る形になって、
ル・シッフルが資金を約束していたテロリストの方が、ヴェスパーを利用していた訳だけど、
あの金は、どうしたっけ?
ボンドは回収できなかったはず。
イギリスの国家予算を使って、ボンドがカジノで勝って、
女の裏切りで持ち出された金は、結局どこいった?
あれ?どうしたっけ・・・
その他の出来の良さにすっかり忘れてたけど、金が結局どうなったか、分かんなくなったわ。
でも、面白かったから、ま、いいっか。・・・良くないか?

この分なら、次作も、ダニエル・クレイグで、良いんじゃない。
次は、きっと、もっと、クールなボンドとして、戻ってくるでしょう。
今回は、愛にパッションがあったからね。
ボンド役の、金髪&碧眼が初めてって記事に、驚いたけど、全然悪くないよ。
イギリス人は、何をそんなにこだわっていたというか、何が変わるのを恐れていたんだろうね。
ブラウンヘアー&ブラウンアイズが、イヤだって訳じゃないけどさ。
ボンドの上司のMも、相変わらずいつもの女優さんで、嬉しいよね。
シリーズ最高作っていううたい文句も、あながちウソじゃないなぁ、と思った次第。


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不妊と希望 【トゥモロー・ワールド】 [映画日記<2006年>]

「トゥモロー・ワールド」を見たよ!

公開してまだ間もないし、ネタバレしているので、ご注意下さいね。

未来の世界を描いた作品は、数多くあれど、“不妊”がテーマになった事は、今まであったのかな?

2027年。
世界は18年間、子供が生まれていなかった。
世界は乱れ、唯一、政府が何とか機能している都市ロンドン。
徹底的に移民や外国人を締め出し、強制所へ送る政府。
人間は生殖機能を失って、滅亡へのカウントダウンを始めていた。

エネルギー省へ務めるセオ・ファロン(クライブ・オーエン)は、人類の未来も、世界の未来も、自分の未来さえ、興味を見出せない男。
ある日、彼は、何ものかに拉致される。
着いた先にいたのは、20年前に別れた妻ジュリアン(ジュリアン・ムーア)だった。
活動家のジュリアンは、地下組織FISHのリーダー。
ジュリアンはセオに、通行証を用意して欲しいと頼む。
それは、その通行証を使って、ある女性を、“ヒューマン・プロジェクト”なる、世界の極秘組織に引き渡す為。
その女性キー(クレア=ホープ・アシティ)は、妊娠していた。
キーを“ヒューマン・プロジェクト”の船へ。
混乱を極める世界で、セオは彼女を連れて、その船までたどり着けるのか・・・
そして船は、“ヒューマン・プロジェクト”は、本当に実在するのか・・・

冒頭、世界で一番若い、18歳の男性。
その彼が死んだニュースから始まるのだけれど、人々の反応の異常さに、この作品の世界観が、すぐに分かるように、作られていたよ。
みな、我が子のように、悲しみ嘆くのだから。
しかもその男性は、生まれた時から、一番若いとの理由で、世界的に有名人で、しかもファンに刺殺されたのだから、異常でしょう。
そのニュースに興味のなさそうな主人公セオが、カフェから出ると、いきなり爆弾テロに巻き込まれそうになる。
で、すぐに、この世界が、すでに崩壊している事が分かるのだな。
世界はどこも無政府状態で、ロンドンが唯一の自治政府が存在する都市。
それでも、政府が擁護するのは、市民のみ。
市民証を持っていないものは、みな、収容所行き。
荒廃した世界を、未来に設定して、そういうSF映画は、数多くあるけど、2027年という中途半端に近い未来ってトコが、ドキリとさせられたね。
人間が、突然、生殖機能を失って、妊娠できない女性ばかりって、辛くない?
突然変異とか、未知のウィルスとか、遺伝子操作とかなら、何となくSFちっくな題材で、フィクションだろうと思えるけど、不妊ってものすごくリアル。
リアルに作ってあるのではなくって、ただリアルなの。
妊娠って、自然な事でしょう。
そりゃ、する事はするけど、あとは運を天に任せて、というか、妊娠する時にはする、しない時にはしない、って。
する事はしても、できないって、すごく虚しいよね。

主人公のセオは、巻き込まれ方の典型。
ジュリアンがセオしか信用できなかったのには、訳があったのだよね。
活動家の地下組織FISH、ジュリアンには、多分、組織の裏切りを知る機会があったのでしょう。
ジュリアンは、ただキーを、安全に出産させたかったのでしょうけど、FISHには、キーを使って、人権を取り戻したいという大義があったのだからね。
キーを道具にしたくなったジュリアンは、、信用できるセオに、キーを託したかった訳だ。
そのおかげで、というか、結果セオは、キーを連れて、政府から追われ、FISHからも追われる事になるのだよね。
人生ヤル気ゼロのセオが、巻き込まれたとはいえ、幻に近い存在の、“ヒーマン・プロジェクト”に、キーを送り届けようと決めたのは、ジュリアンの存在かな。
ジュリアンはFISHの裏切りで殺されてしまうけど、かつてジュリアンとの間に、子供まで儲けていたセオには、妊娠8ヶ月で、お腹の大きなキーが、今まで見出せなかった“希望”に見えたのかな。

セオを演じるクライブ・オーエンが、疲れた中年がよく似合う。
昔はセオも活動家だったらしいけど、今はその影すらない。
そんなヒーロー像からかけ離れたセオが、命がけでキーを守る姿が、痛々しくもあり、頼もしくもあるのだな。

追われるセオとキーが逃げ込んだのが、収容所の中。
そこから船へ乗るはずが、そこでキーは、出産せざるおえなくなる。
出産シーンを、真正面から映した、
はっきりいうと、女性の足の方から映したシーンを見たのは、初めて。
ごまかしやぼかしなしでね。
産道から、赤ちゃんがスルリと出てきて、泣き出し、へその緒がついたまま、母親の腹の上に抱かれるシーンてのは、今まで見た事ないよ。
しかも、これだけメジャーの作品でね。
多分、あんだけ汚い場所で、しかも初産で、キーですら妊婦なんて見た事なくって、出産の手伝いが男性のセオだけで、いくらセオが、かつて子供を育てた経験があるったって、あんなに簡単に出産できるものではないでしょう。
その点は完全にツッコミところなのだけど、それ以上に、出産シーンが神聖なものに見えたのだから、制作側の勝ちって事かな。

生まれた子供を連れて、さぁ、船へってところで、収容所内は、一斉蜂起が起こり、大混乱になる。
一斉蜂起の移民と、それを鎮圧する警官隊と、セオを追ってきたFISHの面々。
銃弾が飛び交う、正に戦場から、セオはキーと子供を連れて、ひたすら船を目指す。
もうダメか・・・ってところで、大声で泣き出した赤ちゃんに、一瞬周りは、静寂に包まれる。
敵味方なく、みな、18年ぶりに聞く赤ちゃんの鳴き声に、唖然とし、何か神でも見るような視線を、ただ黙って送る面々。
十字を切るもの。赤ちゃんに手をかざす人々。祈りの言葉。
死の中の、希望。
必要以上の演出に、赤ちゃんの存在の神々しさが、際立っていたね。
それだけ、人類にとっての、希望、未来なのだよね。
このまま不妊が続けば、その原因が分からないままであれば、
近い将来、50年、60年もすれば、地球上から人間は、誰一人いなくなる。
それが現実のものとなるつつある世界で、赤ちゃんの泣き声ってのは、きっと神以上の存在だったのでしょうね。

このクラマックスのシーン。
監督のこだわりで、長回しで撮影されたらしい。
ハンディカメラで回しっぱなしの映像だったよ。
あくまでもセオの視線でね。
で、その中で、少し気になったのだけど、銃撃戦の途中で、セオの目の前で撃たれた誰かの血が、カメラのレンズに付いて、そのまま、フレーム内に血が付いたままで、シーンは進んでいくのだよ。
ものすごく臨場感はあるのだけど、その後、ちょっと待てよ、って思って。
ずっとセオの視線で、臨場感たっぷりに、銃弾の雨の中、キーを守ろうと、命をかけるセオなのだけどね。
そのレンズに血が飛び散って、そのまま映像が続いた瞬間ね、セオの一人称だった映像が、急に第三者、三人称の映像に変わってしまったのだよ。
誰かが、セオを撮っている。そういう映像。
セオの視線だったものが、誰かの視線になった瞬間だよね。
すごくもったいない。
長回しの映像も素晴らしいと思う。リアリティがあって、臨場感があって、でも、ずっとセオの視線だったんだもの。それで通さなきゃ。
そう思っちゃった。

ついにボートに乗って、船に乗る為に、海に出るセオとキー。
セオが、多分助からないだろうってのは、予測できたわ。
セオと引き換えのように、姿を表す“ヒーマン・プロジェクト”の船、トゥモロー号。
セオは、その船を見る事なく、戦いを終える。
キーは船に拾われて、幸福になれたのかな。
そして、不妊の原因はつかめたのかな。
人類は、まだ、未来を諦めてないのかな。
エンド・ロールを見ながら、ちょっとそんな事を考えてたわ。
この作品、絶望の中の希望というものが、ものすごくはっきりと目に見えるものだったよね。
赤ちゃんという存在でね。
で、キーはきっと聖母マリアで、それを守るセオは、典型的なヒーローだ。
それほど宗教っぽくなくて、分かりやすい構造も、たまには必要だよね。
ややこしい設定や、隠させた希望とかより、はっきり見せてくれるのは誰が見ても分かるから、いいのかもね。

途中、どのあたりだったかな。
弦楽器の、ものすごい不協和音が、突然流れるのだけど。
不安をかき立てるのには、いい効果だけど、ちょっと耳障りで、気になったわ。
それと、ロンドンの高官、セオの従兄弟がいる、すごい豪勢な屋敷の壁画に、ピカソの「ゲルニカ」が飾ってあって、ちょっと笑った。
「ゲルニカ」って、確か、ピカソの反戦への気持ちだったと、習った記憶があるのだけど。
皮肉かしらね。

この先、書く事は、本当は、私がどこの誰だか知っている人には、ちょっと読んで欲しくない内容かも。
映画を見終わって、妊娠、出産って事について、ちょっと考えちゃった。
そういう年齢だし。
今は、結婚を誓った恋人もいないし、子供を作る予定もないけど。
妊娠・出産だけが、女性の責務だとは、決して思わないよ。
でも、妊娠・出産は、女性のできる責務の中の、一つだとは思う。
今、ニュースで、我が子の虐待の話が、毎日のようにあふれているでしょう。
そのニュースを見て、大概の人は、信じられないって思うのかな。
腹を痛めて生んだ子に、そんな仕打ちができる訳がないって、思うのかな。
でも、私はね、時々、こう思うんだ。
もし、誰かと結婚して、子供を生んで、育てて、ある日突然、自分の子が、可愛いと思えなくなったら、どうしようって。
生んでみたものの、可愛く思えなかったら、どうしようって。
母親に、向いていなかったら、どうしようって。
周りの人は、生んでみれば、可愛いって思えるから大丈夫って言うけど、
実際、生んだ事ないのだから、私に分かるはずない。
そう思う私を、オカシイと思っても、それはそれでいいのだけどね。
でも、この映画を見て、ちょっと、子供を生む事に、何か神聖なものが、見えた気がする。
いつの日か、そういう日がくるのも、悪くないと、思えたよ。
それだけでも、見たかいがあったって事かな。
キャラになく、感傷的な気分になっちゃったよ。

他の人は、どんな感想を持つかな。
とりあえず見てみてね。


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イメージにないキャラクター 【ジャッカル】 [映画日記<2006年>]

「ジャッカル」をレンタル&視聴。

あんまり良くないレビューが多い気がするこの作品だけど、
見たらなんて事ない、結構楽しかったよ。
めずらしく冷酷な悪役に徹しているブルース・ウィリスも好演。

ロシアのチェチェン・マフィアのボスは、ロシア当局とFBIに殺された弟の復讐の為に、ジャッカル(ブルース・ウィリス)と呼ばれる、正体不明で凄腕の殺し屋を雇う。
一方、その動きを察したロシア当局&FBIは、ジャッカル逮捕、暗殺阻止の為、元IRAで現在服役中のテロリスト、デクラン・マルクイーン(リチャード・ギア)に取引を持ちかける。
ジャッカルの顔を知る者は少なく、同じIRAで現在引退して隠遁生活を送るイザベラという女性と、そしてデクランも、ジャッカルの素顔を知る一人だった。
待遇の良い刑務所への移動、イザベラの身の安全、それを条件に、FBIはデクランをジャッカル逮捕に駆り出す。
過去の個人的な恨みもからみ、ジャッカルとデクランの攻防は、静かに始まる。
果たしてデクランは、ジャッカルのターゲットを暴き、暗殺を阻止できるのか・・・

まず、ジャッカルという殺し屋の存在が、面白い。
正体不明で、神出鬼没、暗殺の腕はピカイチで、未だにその正体を知る者は少ない。
変装の名人で、偽造パスポートで、国家間も軽々行ったり来たり。
用意周到で、その上、とてつもなく冷酷。
頭も使うし、身体も使う。
これ、ちょっとカッコイイよ。ムダのない計画が、淡々と実行されてて、手際の良さに、う~んとうなっちゃうから。
ただ、派手な殺しもするし、以外と証拠なんかも残したままで、何で今まで捕まらなかったのか、ツッコミ入れたい部分はあるけどね。

一方、FBIが最後の手段のように連れ出してきたのが、元IRAのデクラン。
要人暗殺やら、テロ行為なんかで、8年前から服役中。50年の刑だったかな?
連れ出せちゃうあたり、ちょっとムリヤリっぽいのだけど、デクランのキャラが、なかなかのGood Guyなので、次第に感情移入できちゃうから、まぁいいのかな。
IRAのテロリストといっても、祖国を大事にするあまりの行為というか、熱い愛国心の塊みたいなキャラで、高感度が高いのよね。
半分白髪を、思いっきり短髪にして、鍛えた身体がまぶしい感じの、リチャード・ギアは珍しいのかな。
この人に、手錠姿は似合わないと思った。似合う人ってもの変だけどさ。

ジャッカルのと言うか、演じるブルース・ウィリスの変装が、見ごたえあったよ。
何パターンかあるのだけど、肥えた下っ腹に、額の汗をふきふき、メガネの陽気なおっちゃんとか、必要に迫られてなのだけど、ゲイになってゲイバーに行ったり、そのゲイに化けた時のブルース・ウィリスは、かなりそれっぽくて、笑っちゃったよ。
それに、ヨットレースの時はヨット好きな海が似合うナイスガイっぽいし、短髪をプラチナブロンドに染めた時は、一層冷酷さが増して見えたよ。
ビジネススーツもアロハシャツっぽいのも、謎の中国人も、みんなそれっぽくて、この変装だけでも、結構楽しいよ。
いつもはヒーローを演じる事が多いブルース・ウィリスだけど、冷酷な殺し屋って役も、たまにはいいね。
デクランの姿を発見して、ちろっと微笑んで見せたり、
表情一つ変えず、撃ち殺すシーンなんか、なんかイイかもって思っちゃうよ。

ブルース・ウィリスの殺し屋ってのは、それほど悪くないのだけど、
リチャード・ギアが演じるデクランはね、ちょっとイメージに合わないかなぁとね。
あまり彼の出演作を見た事がないから、上手く比べられないのだけど、
タフガイを演じるのはいいのだけど、彼に犯罪者ってのが、イメージないからなのかな。
IRAそのものに、女子供関係なく、何でもかんでもテロで爆破してしまうってイメージがあるからかもしれない。
デクランはセリフで、爆弾テロはしないって言っていたけどね。
物腰が柔らかいイメージなんだよね。だからかなぁ・・・
いまいちしっくりこないものが残っちゃったね。

実を言うと、一番印象が強かった登場人物は、主役の二人より、
ロシア当局の、しかも女性であるコスロヴァ少佐(ダイアン・ヴェノーラ)だったのよね。
ロシア国内では、チェチェン・マフィアとの戦いで、顔に傷を負っていて、女を捨てた、真面目でお堅い軍人かと思えば、デクランに少しずつ女性としての魅力を引き出されていく感じが、何とも言えなかった。
最初、デクランにファーストネームを聞かれても答えないのに、後になって、ぼそっと教えるシーンなんか、思わずニヤッとしちゃった。
なので、彼女が途中で、ジャッカルに殺されちゃったのは、すごく残念だったわ。

ラストは、気になっていたのよね。
デクランの協力で、ジャッカルを逮捕できたとして、それじゃその後、デクランはどうなるの・・・ってね。
刑務所に戻すのがスジなのだろうけど、デクランのナイスガイぶりが分かると、戻して欲しくないなぁって思い始めていたし、コスロヴァ少佐とのやりとりとか、FBIの捜査員との信頼関係なんかができてきてたからさ、このまま終わったのじゃ、面白くないんじゃない?ってね。
実際、あそこまで、自由に行かせるとは思わなかったなぁ。
FBIの彼が、どうにか手を回して、どうこうなるのかと思っていたら、そうかぁ、いい場所にコーヒースタンドはあったのだね。
しかも、FBIの彼は、ジャッカルのターゲットだったファーストレディを救ったという事実があるから、万が一、デクランを逃がしてしまうって失態を演じても、解雇だけは、ないって分かっていたのだもんね。
ニクイねぇ~。
こういう演出、嫌いじゃないなぁ。
男同士の、静かなる友情みたいのって、いいよね。

派手なドンパチがそうそうある訳じゃなく、どちらかというと、頭脳戦が本筋かな。
あくまで一歩先を行くジャッカルと、それを追うデクラン。
二人が直接対決をするのは、本当に最後だけ。
だから、二人のアクションを期待するのは、間近いだね。
でも二人の、追いつ追われつは、なかなか引き込まれるものがあったよ。
死なない男ブルース・ウィリスの、死に姿が見れるってのも、レアでいいね。
評価は人それぞれだろうけど、私は楽しかったよ。
ブルース・ウィリスもリチャード・ギアも、あまりイメージにないキャラを演じているのが見れるから、特にファンの方なら、一見の価値はあるのじゃないかな。

ジャッカル デラックス版

ジャッカル デラックス版

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 2004/06/25
  • メディア: DVD


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評価が難しい・・・ 【父親たちの星条旗】 [映画日記<2006年>]

「父親たちの星条旗」を見たよ!

監督のクリント・イーストウッドや、制作サイドのスティーブン・スピルバーグには申し訳ないけど、
「硫黄島からの手紙」との2部作、しかも監督や制作が同じじゃなければ、
多分見なかったであろう作品。

1945年・・・
太平洋戦争末期、日本の領土、硫黄島での戦い。
その島で撮られた1枚の写真がある。
星条旗を掲げようとする6人の兵士。
ジョン・“ドク”・ブラッドリー(ライアン・フィリップ)もその一人。
彼を含めて、写真の中の帰還できた3名、ドク、アイラ、レイニーは、戦費を稼ぐ為の国債キャンペーンで、全米を回るツアーに駆り出される。
国民に、“英雄”に祭り上げられる3人。
だが、彼らの思いは、あの島の戦いから、逃れられるものではなかった。
過酷な戦場と、華やかなキャンペーン。
彼らの心に、二つの異なる戦場が、苦悩となってのしかかる。
物語は、人生を今まさに終えようとする、年老いたドクの、彼が語らなかった硫黄島の真実を、彼の息子が明らかにしてゆく・・・

まず始めに、硫黄島の戦いを映画で描こうと思った、監督クリント・イーストウッドに賞賛を。
太平洋戦争で、日本での唯一の陸上戦となった沖縄は有名。
それと、悲惨な戦いとして記憶される硫黄島も、時折、紹介されているのを見た事がある。
その硫黄島の戦いを、片方の視線ではなく、アメリカ、日本と、両方の視線から描いた事に、意味があると思う。
それも同じ人が作った作品。
これは前代未聞ではないのかな。
比較という意味でも、興味をそそられたし、アメリカ人が、当時の日本兵をどう描くのか、それも興味の対象だったわ。
今作は、まだアメリカ視線のみなのだけれどね。

この作品には、二つの戦場が描かれている。
一つは、硫黄島での、本当の戦い。
流れ弾が飛び交い、あちらこちらに転がる死体。
衛生兵を呼ぶ声。
止む事のない銃声。
作品の半分は、そういった戦場描写。
スティーブン・スピルバーグが監督した「プライベート・ライアン」の、ノルマンディー上陸作戦、映画の冒頭、実に20分にも及ぶ、悲惨、それ以外形容し得ない戦場を描いたシーンと比べている人が多いようだけど、
私は「プラシベート・ライアン」は、途中降参組なのだけど、それに比べたら、まだまだ柔らかな描写だったと思う。
ストーリーテラー役の通称ドクは、海軍の衛生兵。
ドクが、流れ弾の雨の中、呼ばれればどこへでも駆けつける衛生兵として、ある意味、とても“英雄”な姿を見せているのよ。
彼の、戦場での勇気は、並大抵のものではないよ。
弾に当たらないのは、ただの運。
他の人より、ほんのちょっとツキがあるだけ。
それが、シーンからよーく分かる。
日本兵の徹底交戦が、怖いくらい。
ドクが、負傷兵として下げられ、星条旗を掲げる写真に写った一人として帰還し、硫黄島から生きて帰れたのは、やはりただ運が良かっただけ。
ドクにとっての本当の戦場とは、やはりこちら以外、考えられないのでしょうね。

そして、もう一つの戦場。
それは、アメリカ国内。
戦時中のアメリカに、足りないものがある。
それは、戦争資金。
それを稼ぐ為の、戦時国債。
国債を買ってもらう為、勝利への希望として人々の“英雄”に祭り上げられたのは、星条旗を掲げる写真に映っていた、無事に帰還できた3人。
金がなければ、戦争はできない。
金属がなければ、弾は作れない。
アメリカ人がするイベントやらキャンペーンは、すごく正直でその分ワザとらしくて、華やかすぎてウソ臭くて、本当に怖い。
吐き気がするような、ド派手さがあるよ。
当たり前の事だけれど、本物の戦場を知っている3人には、特にドクとアイラには、そのギャップというか、感覚のズレが、どうにもこうにも、消化できなかったのでしょうね。
その結果、ドクはのちに、硫黄島を語らず、
アイラは、キャンペーンツアー中から酒に溺れ、
レイニーは身分不相応の夢を描く。
戦場を、どうもダシに使っているようで、戦友の死体を踏みつけて、金儲けをしているようで、それがスクリーンからも伝わってきて、非常に心苦しい気持ちにさせられたわ。

ここでもまたかと思ったのだけれど、
アイラがインディアンの出であった為に、差別を受けるのは、本当にアメリカの腐った部分を見せられているようで、不愉快になる。
アイラの存在に、“英雄”と“差別”が同居しているのが、不思議でならないよ。

この二つの戦場を交互に、さらに過去と現在を織り交ぜて、
硫黄島は淡々と語られてゆく。
星条旗を掲げる写真。
この皮肉とも思える事実もまた、見ている私達の記憶に、人の卑しさを教えてくれたのかも。
最初に命がけで掲げられた星条旗は、部屋の飾り物にされるのをどうしても避けたかった上官によって、掲げ直される事になる。
最初に撮られた写真。
そして、掲げ直された2枚目の星条旗。
その写真。
世の中に、“英雄”を作り出した写真が、その2枚目の星条旗だと知っていたのは、果たして何人いたのだろうかね。
原題が「Flags Of My Fathers」なのは、その為。

「硫黄島からの手紙」見たあと、比較はしてみるつもりだれど。
この映画を見終わったあと、
実はそれほど感動はしていなかったのだよね。
物語そのものより、エンドロールで流れていた、当時の硫黄島の写真や、
当時の兵士たちの姿を映した写真。
その方が、とても印象が深かった。
それが私の中の事実。
ノンフィクションとフィクションの隙間のようなこの作品だけど、
本物のノンフィクションの写真数枚に、とても良く出来た映画約2時間は、やはり勝てなかったという事なのかなぁ。
映画のできが悪かったって事ではなくって、事実には何ものも勝てないって事なのでしょうね。
ドクたちにとっては、どちらも戦争で、どちらも勝たなければならなかったのに、どちらも冷静ではいられないって事なのだね。
評価が難しい作品な気がする。
とても良く出来た作品に間違いはないよ。
だけど、やはり難しい。
評価って難しい・・・そういう作品なのだよ、きっと。


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結構、秀作 【ダイ・ハード】 [映画日記<2006年>]

「ダイ・ハード」をレンタル&視聴。

ブルース・ウィリスついでに、きちんと見てみた次第。
素直に、これ、面白い!
ブルース・ウィリスを、世界的なトップスターにした一作。
キアヌ・リーヴスでいうところの「スピード」みたいな作品だよね。
でも、「スピード」より、面白かったかもね~。

クリスマス・イヴ。
NY市警のジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)は、仕事の関係で別居中の、離婚の文字が目の前をちらつく別居ではあるが、妻ホリーの勤め先、ナカトミ通商のパーティーへ出席する為に、LAに降り立った。
ナカトミビルの30階、パーティー会場。
ジョンとホリーは、久しぶりの再開。
だが、嬉しいはずの再開も、ジョンの口から出てくるのは不満ばかり。
パーティーがつつがなく進行する中、異変は始まっていた。
武装してビルを占拠する男達。
その頭ハンス(アランリックマン)。
彼らの目的は、ナカトミの保有する、換金可能な有価証券6億ドル。
外部との接触が一切遮断されたビルで、ジョンは一人、武装集団に戦いを挑む。

何度か、テレビで見ているはずの、「ダイ・ハード」シリーズ。
全く覚えていなくて驚いたのが、舞台になる妻ホリーの勤め先が、日系企業だった事。
その名も、ナカトミ通商。
グループの本社は、東京。
LAにあるこの会社の社長も、日系人のジョセフ・ヨシノブ・タカギ(ジェームズ・シゲタ)。
しかもナカトミグルーブの副会長ときた。
ハイテクで管理されたビル内も、そこはかとなく日本テイスト。
というか、アジアンテイストで、大陸の文化もちらほらしていて、ちょっと間違ったジャパネスクではあるけどね。
公開が1988年なのだから、この程度なら、まぁ許容範囲内でしょうね。
ホリーが、まだ離婚もしていないのに、旧姓に戻してしまっていて、それを夫のジョンに指摘された時、日本では働く女性は既婚だと・・・どうのこうのと、言い訳していたよ。
決して、日本のイメージが悪くない、むしろいい方に解釈してくれているみたいで、ちょっと嬉しい。
ハイテクの自社ビルで、かなり稼いでいて、社長は勇敢な人格者、ホリーは女性なのに営業部長、もっと皮肉っていてもいいと思うのだけど、意外といい感じ。

1988年なら、まだCGは特別なものだったでしょうね。
合成映像のレベルじゃないかな。
だから、あまり、技術に頼っていないのが、またいい。
やっぱり、アクション映画は、生身と本物に限る。
何度も言っているけど、身体をはったアクションと、本物の火や炎、水には敵わんよ。
今から約18年前、まだ30すぎのブルース・ウィリスのアクションが、ステキだよ。
現実、今はCGで、どんなに危険なシーンも、完全に安全を配慮した場所で、俳優は思いっきり演技できるのでしょうけど、本当にちょっとしたスタント、ただ、大きなファンが回る場所を、ファンが自分の身体を傷つけないようにつっかえをして、気をつけながら通り抜ける・・・これだけのシーンでも、ハラハラできるのが、生身のいいところ。
流れる血に、リアルさが増す気がするよ。

実は、今回、「ダイ・ハード」シリーズの、1と2を立て続けに見たのだけど、そうしたら、何故1の方が面白かったのか、気付いた事が、いくつかある。
2も決して面白くなかったって事じゃないのだけど、充分面白かったのだけど、1の方がよりそうだった理由ね。

まず、舞台が、外部との連絡が遮断されたビルだった事。
それによって、主人公のジョンの隠れ場所もビル内だけで、犯人グループの行動範囲もビル内だけ。
これは大きいよ。
2は行動が自由だった分、規模はデカくなったけど、その分、緊張感が弛んでしまった気がする。
狭い場所でのハイド&シーク。
これはかなりの緊張感を生んで、効果バツグンよ。

次、ジョンが、犯人達を、一人ずつ倒していった事。
ようは、かくれんぼの要領で、一人ずつ、確実に倒していくのが分かるから、あと何人と、見ている方も確認できるでしょう。
だから、あと何人倒せば、勝てる、解放されるって、見ているだけで終わりが分かるから、安心できるのだよね。
ジェノサイドも気持ちいいけど、実際何人倒したのか、スローにでもしないと、確認できないもんね。

次、ジョン・マクレーンが、できる限り、自分の正体を隠していた事。
もちろん分かると思うけど、いつバレるか、いうドキドキ感ね。
そして、バレたらどうなるかって考えてしまう事だよね。

それにつながって、
奥さんが人質の中にいた事。
ジョンの正体にも関わる事だけど、
ジョンは、人質の中に、自分の身内、ましてや奥さんがいるのを、犯人に知られたくなかった訳だ。
利用されて盾にされたら、終わりだもん。
奥さんだけじゃなくって、自分が非番の刑事だって事も、できる限り知られない方が、やりやすかったはずだよ。
犯人達だって、邪魔をしている相手が、素人か玄人かって違いは、大きいと思うよ。
それなら、素人だって思わせている方が、有利ってもんでしょう。

次、外部の人間が、ジョンに非協力的だった事。
これは2もそうなんだけど、とにかく外部の人間、特に警察や関係者が、ジョンに冷たいんだな。
命張って頑張っているジョンなのに、ちっとも理解者がいないんだよね。
で、結局、一人なの。
自分しか頼れるものがない状況で、毎回ピンチを切り抜けるジョンが、逞しいんだなぁ。

それに関連して、
外部に理解者が、一人だけいた事。
パウエル巡査部長の事ね。
犯人にも聞こえているのだけど、外部の警官パウエルとジョンが、無線を使って話ができた事は、大きいよ。
だって、ボヤける相手がいたんだからね。
で、究極の状況で、身の上話なんかしちゃうのだから、始末が悪い。
だんだん理解し合って、いつしかパウエルはジョンを、無事脱出させたいと思っているのに、
でも、ジョンはパウエルに、妻に当てた遺書めいた言葉を残す訳だ。
お約束通り、パウエルはジョンに、「自分で伝えな」って言うんだ。
これって、うるっとさせる為の典型だよね。
それでも、ジョンのナイスガイぶりと、パウエルのいい人っぷりが、ツボをついてくるのだから、仕方ないよ。
パウエルが過去の失敗から、銃を抜けなくなっているっていうエピソードにも、ちゃんと決着をつけたのだから、グッジョブだよ。

上記以外でもあって、
ホリーとジョンが、あまり上手くいっていなくって、離婚か仲直りかってところも、引っ張ったねぇ。
シリーズでは、1は仲直り、2はラブラブ、3はケンカ中って、よくやるよこの二人。
あと、細かいけど、ジョンがずーっと裸足だった事も、印象深いよね。
裸足でビル内を駆け回り、ハシゴを登ったり、銃撃戦やったり。
裸足っていうオフな時間の象徴と、銃撃戦ていう思いっきりオンな状況との対比が、またいいんだよね。
しかも、後々、裸足なのがハンスにバレて、ガラスで嫌ってほど痛い目に合っているしね。

音楽で、ツッコミながら笑ってしまったシーンがあるのだけど。
やっとの思いで、犯人達が開けた金庫。
扉が開く時の音楽が、ヴェートーべンの第九だった事。
ちーとやりすぎ?
笑えたよ。
でも、FBIのテロ対策のマニュアルで、
ビル全体の電源を切らせたアイディアは、ナイスだった。
それがなかったら、犯人達は金庫のロックを、開けられなかったのだからね。

娯楽アクション大作。
それ以外の何者でもない作品なのだけど、
・・・面白かったねぇ。
どうにもなりそうもない状況で、主人公のジョン・マクレーンが、とにかく何とかしちゃうのが魅力なんだろうな。
今作、アラン・リックマン演じる、悪役のハンスが曲者だったのも、面白くなった要因だと思うよ。
アラン・リックマンって、あんまり悪役イメージないけど、
あの落ち着き払った犯罪グルーブのリーダーってのは、なかなかイイね。
粗野で乱暴で、頭が悪く、殺すだけ・・・
こういう犯人じゃなくって、本当に良かった。

トリビアの類だけど、
アメリカではかつて、警官や消防士など、危険を伴う職業には、移民たちが就いていた事実があるらしい。
差別等の理由から、就職もままならない移民たちは、危険だと分かっていても、職を選べないっていう歴史的事実があるらしいのだよ。
ジョン・マクレーン、彼のファミリーネームも、アイルランド方面の名前との事。
だから、移民の子孫であるマクレーン家、どうも警官という職業は、代々続くイメージだなのだけど、きっと代々、警官なのだろうと、想像できるよね。
そんなトリビアを、どこかで聞いたなぁ。

そんな理由から、ものすごく面白かったよ。
今の時代、いろいろやりつくした感があるけど、ちっとも古臭く感じなかったわ。
娯楽アクションだから、裏になにやらある訳じゃない。
見たままそのままだけど、楽しいよ。
簡単に見破れるCGも合成も、ご愛嬌。
汚れていって、見事、どんどん色づくティーシャツもご愛嬌だ。
ただ今、ブルース・ウィリスは、「ダイ・ハード4」を来年公開予定で撮っているみたい。
これはこれで楽しみ。
3から10年以上たって、さてはて、ジョン・マクレーンはどうなっているかな。
また、クリスマス・イヴに、事件は起こるのかな。
ジョンとホリーは、どうなったかな。
当時、小さかった二人の娘は、どんな美人さんに成長したかな。
楽しみがいっぱいだね。
シリーズ1~3なら、1がお薦めかな。
ちなみに、1も2も、最後の最後で、ツッコミ一つ。
ジョン・マクレーン、とりあえずあなたは、病院行きなさい・・・by天の声
そして、妻ホリー、イチャつくのは一向にかまわないが、とりあえずジョンを、医者に見せなさい・・・by天の声
なんて(笑)

ダイ・ハード [ベストヒット50]

ダイ・ハード [ベストヒット50]

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • 発売日: 2006/08/04
  • メディア: DVD


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またもや父子モノ 【スリー・リバーズ】 [映画日記<2006年>]

「スリー・リバーズ」をレンタル&視聴。

どうもブルース・ウィリス特集になるつつあるようで(笑)

よく原題と邦題の話を、最初にする事があるけど、
これも邦題を決めた理由がいま一つ分かりづらい。
原題は「STRIKING DISTANCE」・・・攻撃有効距離というような意味。
ピッツバーグが舞台のこのお話。
3本の河川が合流するこの街を、そう呼ぶらしいけど、あまり知名度ないんじゃないかな。

女性を拉致、絞殺して河に遺棄するという事件が、連続して起こっていた。
5代続く警官一家のトム(トミー)・ハーディ(ブルース・ウィリス)は、パーティーへ出席する為、同じ殺人課の主任で父のビンス(ジョン・マホーニー)と車で出かけるところだった。
その車内で、警察と犯人のカーチェイスの無線を聞いたハーディ親子は、そのまま追跡に加わった。
実はトミーは、従兄弟で警官のジミー(ロバート・パストレリ)の暴力捜査を証言し、同じく警官の叔父のニック(デニス・ファリーナ)、ジミーの弟でこれまた警官のダニー(トム・サイズモア)と、折り合いが悪くなっていた。
カーチェイスは大規模になった末、犯人を追いかけたハーディ親子の乗った車は、犯人の車もろ共、丘を転がり落ちる。
トミーが、車内でケガをして動けないでいた間に、犯人は逃げ、父は射殺されていたのだった。
数日後、有罪が確定するジミーは、ニック、ダニー、トミーの目の前で、河に投身自殺を図った。
そして2年後、河川レスキュー隊に配属されていたトミーは、新しい相棒ジョー・クリストン(サラ・ジェシカ・パーカー)が女性なのに戸惑いながらも、日々、河川の警らに当たっていた。
そんな中、またもや女性の絞殺死体が、河に上がる。
今度は、皆、トミーの知り合いの女性ばかりだった・・・

冒頭は、犯人が女性を河に捨てるところだけど、
その後のカーチェイスはちょっとした見もの。
20分くらいの、なかなか派手なチェイスだよ。
そんな激しいカーチェイスとは反対に、車内で軽口をたたきながらのハーディ親子が、ほのぼのしていてイイ感じ。
この映画、母性が欠けていて、父と息子ばかりが出てくるのだけど、ビンスとトミー親子は、同じ職業を選んで、そんな父を尊敬している息子の、なんというか、アメリカ的な理想の父子関係なのだろうなぁ、と思って見ていたわ。

父と共に、殺人課の刑事であった時は、真面目でまっすぐな印象のトミーだけど、ジミーの一件で揉めて、河川レスキューに異動になった後のトミーは、どこか拗ねていて、世の中ナナメに見ている感じで、そういう役をやらせると、ブルース・ウィリスは、本当に似合うよ。
本当はナイスガイなのに、いろいろあって、全然素直じゃなくなってる人物演じさせたら、ピカイチだね。
他の人物も、みなどこかナナメな人物ばかり。
ニックの妻、つまりジミーとダニーの母親は、昔、河で自殺していて、精神的に少し問題がある事が、伏線はってあるのだよね。
で、ジミーは暴力だし、ダニーもジミーの自殺以降、姿をくらましていて、2年ぶりに故郷に戻ってきたところ。
ニックも、かなりの頑なな人物で、ビンス殺害の犯人、つまりは女性続殺人犯が捕まると、この犯人自体がエスケープゴートなのだけど、トミーがいくら犯人だと信じられないと主張しても、全く取り合わず、しかもまた姿を現した女性連続殺人犯の存在も、決して認めない頑固さ。
これはラストのオチがからんでいるから、当たり前なのだけど、トミーが父を亡くしてから、孤独なのが分かるね。

この作品、とにかくあらゆる要素がてんこ盛り。
冒頭のカーチェイスに始まって、銃撃戦、肉弾戦、ボートチェイス、線路に入れば、お約束で列車が突っ込んできて、河に落ちれば沈めあい、アクションに必要な要素を、ものすごく定番のお約束のシチュエーションを全部使っちゃいましたってな感じ。
さらに、相棒のジョーとのロマンスと裏切り、本当の犯人には、ちょっと反則ぎみだけど、ちょっと驚く人物が、再登場するしね。

犯人が分かってしまうと、究極の身内オチだった訳だね。
最初の女性連続殺人犯も、ビンス殺害も、後の女性連続殺人犯も、全部身内オチ。
女性殺害の方は、精神的に問題のあった、ジミーの犯行。
冒頭のカーチェイスの際の事故で、ニックは自分の息子が連続殺人犯だと気付いた訳だ。
でも、その時、ビンスもいた。
ニックは、思わず、つい思わず、ジミーをその場で見逃してしまう。
もちろん、ビンスは犯人を捕まえたい。それがジミーだと気付いていなくてもね。
で、もみ合ううち、ニックはビンスを誤って撃ってしまう。
他に目撃者がいない状況で、ニックの中の悪魔が、囁いたのかな。
その後、いろいろ嘘をついたんだね。保身の為にね。
分かってしまえば、なんて事はなかったね。
意外性という点では、やや肩透かしかなぁ。
投身自殺したばすの、ジミーが生きていたのには、やや驚きだったけど。
どちらにしても、父と息子の関係なのだよね。
ビンスとトミーは、理想の父子。
ニックとジミー&ダニーは、どこかで間違ってしまった父子。
どちらも、親子の愛情をもって接していたのに、どこで違っちゃったのかね。
それを対比させているのかな。
愛ゆえなのだけど、ニックがちょっと憐れ。
最初の時に、ニックが心を鬼にできたら、それ以降の事件は起こらなかっただろうにね。

アクション映画の必要要素をてんこ盛りにした割に、勢いがやや足りないのは、なんでだろう。
ブルース・ウィリス自体にも、やや迫力不足。
元気が足りない気がする。
いろいろレビューを読んでみたら、散々な事が書かれていたよ。
出来もあまり良くないとの評価が多かった。
それでも、私自信は、結構楽しめたよ。
ちょっと足りないところもあるのだけど、ご都合主義的な展開とかもあるのだけど、でも、てんこ盛りの内容に、それなりに楽しめた訳だ。
まぁ、もう少し言うなら、トミーをもっと追いつめて、それから犯人が現れて、さて対決、そして解決、となった方が、もっと面白くなったとは思うけどさ。
それとジョーのキャラが、活かしきれなかったのが、もったいないかな。
トミーの唯一の理解者で、協力者だった訳だし。
彼女、河川レスキュー隊員としてトミーの前に現れたけど、本当は内部調査員。
トミーの事を内偵していたのだけど、その際、トミーの人柄に触れて、嘘の証言までして、トミーを認めたのだから、もっとトミーとジョーを、愛の営みだけじゃなくって、事件の方にもからませた方が、良かった気がするよ。

映画館で見るには、ちょっと物足りないだろうね。
でも、休日に、ちょっと骨休めのアイテムとして見る映画であれば、そこそこだと思うわ。
人物描写や、内容の充実感を求める映画ファンには、向かないと思うけど。
たまに、全然難しくない、お気楽な映画が見たくならない?
ま、そういう時にでも、選択肢に入れてみて。
あとは、ブルース・ウィリスのファンは、見てみて。

スリー・リバーズ

スリー・リバーズ

  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • 発売日: 2006/09/27
  • メディア: DVD


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コテコテ西部劇なのだけど 【ラストマン・スタンディング】 [映画日記<2006年>]

「ラストマン・スタンディング」をレンタル&視聴。

言わずと知れた(?)、黒澤明監督の「用心棒」のリメイク。
設定を、禁酒法が施行されていた頃の西部劇に移して、テキサスの乾いた風が舞う街での、ある男のストーリーとしている。

その男は、メキシコへ逃げる為、テキサスの乾いた大地を車で走りぬけていた。
給油と食事の為に、その男が立ち寄った街、ジェリコ。
そこは地図にも載っていない、忘れ去られた荒れた街。
その街は、アイルランド系マフィアのドイル(デヴィット・パトリック・ケリー)一味と、イタリア系マフィアのストロッジ(ネッド・アイゼンバーグ)一味が、縄張り争いをしていた。
その男、ジョン・スミス(ブルース・ウィリス)、そう名のった男は、早速手荒い歓迎をしたストロッジの手下を血祭りに上げる。
銃の腕を買われて、ストロッジの用心棒として雇われたスミスは、だがしかし、この縄張り争いが金になると踏むと、ストロッジ、ドイル、両方からでき得る限りの金を巻き上げようと、スミスはストロッジを裏切り、今度はドイルの用心棒になる。
二組の抗争が激しくなる中、スミスは、ストロッジの情婦ルーシーと、ドイルの囲っている女フェリーナと親しくなり、争いに巻き込まれている女達を、憐れに思うようになるが・・・
果たして、スミスは計画通り、金を手に出来るのか、
そして、二組の抗争は、どう決着が付くのだろうか・・・

コテコテの西部劇の出来上がり。
二丁拳銃で、何人ものギャングを秒殺するスミスは、本物のガンマン・・・いやぁ、イイね。
本家の「用心棒」で、未見で申し訳ないのだけど、主人公が刀で秒殺するように、こちらは銃で秒殺。
銃声と共に、撃たれた男達が吹っ飛び、机の上の皿や食べ物が舞い上がり、後に残るは死体だけという、なんともお約束なシーンが、てんこ盛り。
ちょっとヤラレ役の人達、後ろに吹っ飛びすぎなのだけどね。
ボスはボスらしく、ナンバー2はナンバー2らしく、その他大勢はその他大勢らしく、女はそれらしく、みんな自分の役割を分かっているようなキャラ設定だよ。

ブルース・ウィリス演じるスミスは、寡黙で大胆不敵で、淡々と自分の計画を実行するタイプ。
セリフより、ナレーションで入る独白の方が、スミスの心情をよく表しているよ。
誰にも干渉させず、自らも誰にも干渉しない。
そういうスタンスなのかと思っていたら、実はそうでもない事があとで分かるよ。
金しか頭にない、万事金次第の男かと思っていたら、それぞれのボスの女を憐れと思い、ただ女に甘かったのかもしけないけど、この二人を逃がして、特にドイルの女フェリーナを逃がした事が原因で、ドイル一味から、フェリーナの居所を問い詰められ、酷い暴力を受けるはめになるのだな。
それまでは、それこそ淡々と、両陣営を手玉にとって、いけしゃあしゃあとやっていたのに、女に手を出した途端、スミスにしてみれば、予想外の展開になる訳だ。

ドイルにしても、ストロッジにしても、スミスにまんまとやられていて、ちょっと情けない。
手下共はいまいち愚かで、スミス一人に右往左往しているように見えなくもない。
ドイルVSストロッジだけのままであれば、似たもの同士、似たり寄ったり、どんぐりの背比べ状態だったのに、そこに偶然スミスが入ってきたのをキッカケに、二組の抗争は、休戦状態から一気に決着まで展開していくのだよね。
でも結果は、屍累々、スミスの一人勝ち。

フェリーナの一件で、ボロボロになったスミスが、それまで見て見ぬフリの保安官と宿屋の主人に助けられ、静養しようという矢先、ドイルは一気に、ストロッジ一味を総攻撃して、全滅させてしまう。
で、ドイルと決着をつけなければならなくなったスミスは、痛む身体をおして、一騎打ちの現場に乗り出す。
最後の撃ち合いは、それまでのようなたくさんの相手を秒殺するのではなく、スミス対ドイル、またはスミス対ドイルの右腕ヒッキー(クリストファー・ウォーケン)となるのだけど、
1対1の対決も、イイね。
緊張感がなんとも言えないよ。
それこそリボルバーの早撃ち、背中合わせに30歩進んだら同時に抜いて撃つ、みたいなやつじゃないけど、振り向きざまにドンと撃つのは、それらしくて良かったよ。

いまいち、どうものめり込めなかったのは、スミスのキャラクターの、ウラハラな部分かな。
結局、金の為の計画が、段々とスミスの情の部分が見えてくるようになるのだけど、それが弱い。
というか、最初、もの凄い冷静で、淡白なスミスのキャラが、少しずつ女に情が移ってとか、悪の大掃除とまではいかなくても、なんとなく問題解決をしちゃうのかなぁとか、後に引けなくなった感じというか、この抗争に自ら巻き込まれていっているような感覚がなければオカシイのだけど、それが弱いのよ。
どうしてスミスは、そこまでして女を逃がしたのか、とか、ケガしてそのまま逃げちゃえばいいのに、決着をつける為に街に残っていたのか、といった部分が、あんまり見えてこないのよ。
理由が見えてこないの。
もう少し、人情味があるところが見え隠れしていたら、納得できたのかもしれないけど、ちらっちらっとでも洩れてくるような温かみみたいのが、残念ながらあまり見えなかったのだな。
金大好きな冷酷人間が、いきなり女の為に身体をはったら、ちょっと納得できないでしょう。
そういう事よ。

本家「用心棒」と比べても仕方ないけど、どの道、未見だから比べられないのだけど、多分本家は、そういう部分が、クリアされていたのではないかな。
今度、機会があったら、一度本家も見てみたいと思うのだけどね。

ブルース・ウィリスものとしては、正統派の硬派なヒーローより、やはり一度は人生落ちぶれた、もしくは究極の巻き込まれキャラ、もしくはヒーローにならざるを得なかったキャラ、そういう方が面白いのかもしれないと思ったよ。
あの顔に、西部の荒野が馴染まなかったのかなぁ・・・
見終わって、あまりガツンとしたものが残らなかったのが、残念だわ。
私自身、ちょっと期待して見ちゃったのかな、ね。
ブルース・ウィリスが演じるのなら、もう少しお茶目で、コミカルさがプラスされてたら、ガツンとくるものになったのかなぁ。
分からんけど。
ま、あともう一歩が欲しかったよなぁ、といったところ。

ラストマン・スタンディング

ラストマン・スタンディング

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2003/05/21
  • メディア: DVD


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