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一見の価値あり 【硫黄島からの手紙】 [映画日記<2006年>]

「硫黄島からの手紙」を見たよ!

やっと見れた・・・

クリント・イーストウッド監督が綴る、硫黄島2部作の2作目。
日本の側から見た硫黄島の戦いを描いた、この作品。
なにやら、すでにショーレースにも名を連ねているようだけど、それは静観してますよ。
でも、評価されれば、それはそれで嬉しいね。

硫黄島の総指揮官として赴任してきたのは、栗林中将(渡辺兼)。
彼はアメリカに留学経験もある、博識な人物。
彼が率いた硫黄島の戦いは、当初5日でアメリカが勝つと言われた戦闘を、
約1ヶ月近くも持ちこたえさせた。
そんな栗林中将と、運命的な関わり方をするのは、一兵卒の西郷(二宮和也)。
西郷の目から見た硫黄島は、果たしてどんな場所だったのか・・・
そして栗林中将の最期は・・・

最初と最後に、2005年、硫黄島から、本当に手紙が発見された時の、再現映像のようになっていたのは、良かったと思う。
これは事実で、実際に、栗林中将が書いた手紙も、発見されているらしいし。
そう思えば、西郷という人物が、例え作り出されたキャラクターだとしても、ゆるぎようのない事実が、そこにはあるのだからね。

「父親達の星条旗」の時も書いたけど、悲惨な戦場の描写は、極力抑えてあると思う。
手榴弾での自決シーンも、それほど目を背けたくなるほどではなかったよ。
だから、目を背ける事なく、スクリーンを見れたのには、感謝しなきゃならんのかな。
そういうシーンばかりだと、そっちの印象が強すぎて、監督が伝えたい事が、分からなくなりそうだもんね。

西郷が見た戦場、まだ戦場になる前のそこは、穴掘り。
海岸線の塹壕堀りは、栗林中将の作戦で中止されたが、
兵士達が掘ったのは、後々、徹底抗戦する時の洞窟。
米軍の空爆が始まった頃には、すでに立派な洞窟が、たくさん出来上がっていた訳だ。
西郷曰く、それで死ねと言われているような、穴。
墓穴を掘っている・・・そう彼は言った。

今は硫黄島に住人はいないが、当時はまだ、島には住民がいたのだね。
名の通り、硫黄の匂いと、地熱で熱い島。
水には硫黄の成分が混じり、本土からは遥かに遠い。
よくそんな島に、住んでいたと思う。

アメリカ帰りで、ややフランクな印象の栗林中将には、
いやまぁ、そうだろうなとは思うのだけど、内部にも敵は多い。
階級が高いだけに、露骨ないやがらせとかじゃないけど、
堅物で、玉砕主義で、規律第一の軍部は、そりゃあやりずらかっただろうなぁ、と思う。
スマートでカリスマ性もある栗林中将だけど、
それ以外の仕官や兵には、多彩なキャラクターがそろっていたんじゃないかな。
まず西郷からして、彼はぼやきの天才。
今どきの言葉遣いに、ツッコミを入れている人もいるだろうけど、私はそれほど気にならなかったよ。
西郷のぼやきは、多分、人としての本音だったように思う。
もうイヤだ、とか、こんな島なんかアメ公にやっちまえ、とか、投降しようか、とかね。
ただ、内心そう思っていたとしても、それは絶対に口に出せない環境だったのは、間違いないね。
憲兵っていう、非国民取締りのような輩がいるし、まず教育からして天皇は神様なのだから、どう逆らうって言うのかね。
栗林中将以外で有名人といえば、バロン西(伊原剛志)。
ロサンゼルスオリンピック、馬術競技の金メダリストで、彼も仕官だったのだね。
しかも、栗林中将以外で、英語がしゃべれた人物。
彼が捕虜にしたアメリカ兵から情報を聞き出そうと、負傷した米兵の治療を命じ、その負傷兵と話すシーンがあるのだけど、結局死んでしまったサムという米兵が持っていた、彼の母親からの手紙。
西はそれを、自分の部下達に読んで聞かせるのだけど、このシーンは、多分、この映画で、クリント・イーストウッド監督が、見ている私達に伝えたかった事の、かなり重要な部分を担っていたはず。
死んだ米兵が母親からもらった手紙、それは、今そこにいる日本兵達が、自分達の母親からもらった手紙の内容と、なんら変わりがなかったから。
鬼畜米兵と教育されて、アメリカ人は腰抜けで根性がないから、弱い。
そう教えられて訓練された日本兵達が、初めて、米兵も自分達も、それほど変わらないのだと、気付くシーンなのだからね。

一方で、昔からの考え方を貫く兵士もたくさんおり、栗林中将を取り巻く士官の中にも、それはいる。
玉砕を良しとせず、生きて戦えと教える栗林とは正反対に、伊藤中尉(中村獅童)などは、退却するくらいなら、潔く自決すべし、という考えの持ち主。
いや、当時の軍人には、そういう人の方が多かったのでしょうね。
一人ずつ、手榴弾自決しているシーンなんかは、見ていて非常に心苦しいよ。
伊藤中尉は、退却してきた兵士の首を落とそうと、本気で刀を抜くのだから、始末が悪いよね。

西郷というキャラクターの役割は、ストーリーテラーだけど、
彼は多分、奇妙な国民性を持った日本というものを見るアメリカ人の為の、ファインダーだったのではないかな。
だから、ぼやく。
ぼやきたくてもぼやけない環境でも、彼はぼやく。
きっと彼みたいなキャクターがいなかったら、玉砕主義ばかりが集まったキャストでは、アメリカ人は受け入れられなかったでしょう。
西郷が最後まで生き残るのは、やはり監督がアメリカ人だったからと、妙に納得しちゃったよ。
西郷が、結果捕虜として助かったのは、栗林中将との運命的な関係があったから。
栗林は2度ある事は3度あると言ったけど、
西郷は、まず上官からの体罰を止めてもらい、次に伊藤中尉に首を切られそうになったところを止められ、最後は、玉砕覚悟の突入の際、軍と栗林の個人的な書類を燃やせと、突入からはずされる。
こんな偶然は、実際には起こるはずないけど、西郷が手紙も埋めたし、栗林中将の遺体も埋めた。
実際に、栗林中将の遺体は、見つかっていなかったんじゃないかな、確か。
しゃべる一つ持って、銃をかまえた米兵に囲まれる西郷を見ていたら、
日本人の愚かさを、痛感してしまったよ。
なんでこんなになってしまったのか、とね。
60数年を経て、掘り返された手紙には、当時の兵士達の、心が宿っているのだろうし、
それが今出てきたって事を、多分もっと、大事に思わなくちゃならないんじゃないかな。
兵士だと言ったって、みんな普通の人なのだよね。
普通の人が、召集令状一枚で、兵士になる。
家族に当てた手紙は、彼らが普通の人だったっていう、証拠なのだよね。
栗林中将も、しかり。

この映画は、アメリカ人の監督と、スタッフと、メイドインアメリカな作品。
それをとても実感できた。
クリント・イーストウッド監督は、常に一歩引いたところから、この戦争を撮っている。
主演は渡辺兼演じる栗林中将で、ストーリーテラーは二宮君演じる西郷。
それはそうなんだけど、決して西郷の一人称で撮っている映画じゃないんだ。
誰の視線でもないの。
“そこ”と“ここ”には、距離が作ってあるんだよ。
でもそれは、日本人じゃ、絶対に作れない距離だと思う。
だって、私達は日本人だもん。
日本人としての感情が邪魔をして、イーストウッド監督みたいな距離は、開けられないでしょう。
いい戦争映画はたくさんあるだろうけど、もっとエモーショナルなんじゃないかな。
そういう意味では、少し冷めた部分がある作品に思うわ。
どこか静観している感じがある。
「父親達の星条旗」は、アメリカ人が作った、アメリカ人の視線で撮った作品だよ。
だから、国債を集めるために、戦場の英雄から、マスコミの英雄にされた兵士達が主人公だったんだよね。
徹底的に内部から戦争のいやらしさを描いていたのに対し、「硫黄島からの手紙」は、アウトサイドから撮った作品だよ。
必要以上にエモーショナルにならず、でも「父親達の星条旗」より、感情に訴えるものが多かったように思う。
違う国の人間に、ましてや日本に住んだ事もなく、言葉もしゃべれない人物に、これだけの作品を作られちゃ、脱帽するしかないのかな。
多少残る違和感を差し引いても、まだ余るこの感覚は、きっと本物だよね。

これが、まだ60年とちょっとしか前でないって、ちょっと信じられないかも。
私の、母方の祖父は二等兵として満州から戻ってきているし、
父方の祖父は、職業軍人で、毎朝部下が、馬で迎えに来るほどの人物だったらしい。
どららももう話を聞く事はできないけど、今、こういう映画を見て、何か感じるものがあったのだから、
当時のというか、自分のおじいちゃんが、戦争でどう戦ったのか、一度真剣に聞いておけば良かったなぁ、と思っちゃった。

ラスト。
突入後、負傷しどうにもならなくなった栗林中将は、
その昔、アメリカ留学でできた友人からもらった、45口径のコルトで、自決をする。
その際、海岸線を見つめながら、側にいる西郷に、「ここはまだ日本か?」と聞く。
西郷は、「はい」と答える。
2006年12月22日現在。
硫黄島は、今でも日本ですよ。
そう、栗林中将に、伝えたくなった。


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コメント 3

堀越ヨッシー

LICCAさん、こんにちは。
テレビとかで映像を見る限り、やっぱりフィルムで見なきゃなあと思わせる作品ですね。でも...多分見に行かないですね、きっと。「ラストサムライ」の時も思ったんですけど、なんか悔しいんですよね、外国人の手によって日本を描いた映画って。これをどうして日本の映画界が作らないんだ!?って思っちゃうんですよ。もちろんアメリカ映画で撮られるメリットはありますよね。予算が違うから迫力ある映像は撮れるし、日本ではまず触れらない“やんごとなき御方”の映像とか撮れちゃいますから。それでもやっぱり硫黄島の事は日本人が自らの手で映画にすべきでしょう。それが出来ない状況にある現状がすごくもどかしい。
おそらく数年後にはテレビでやってくれるだろうから、その時は素直な気持ちで見れるかな...。でも先日放送されてた「ラストサムライ」も途中で悔しくなって見るの止めちゃったからなあ...(苦笑)。
by 堀越ヨッシー (2006-12-23 16:56) 

Catcat44

ヨッシーさん、こんにちわ!
なにやらお忙しそうで、体調とか気をつけて下さいね。
ところで、“見ない”理由が、なんだかヨッシーさんらしいなぁと思って、妙に納得してしまいました。
こういう内容だと、感情的になりすぎない作品は、日本人が作るにはきっと大変だろうと思います。
お涙頂戴では、ちっとも面白くないですからね。難しいですね。
ただ、監督がクリント・イーストウッドで、それだけでなんとなく期待できるというか、ちょっと安心感みたいのがあったので、そうじゃなかったら見たかどうかは、微妙です。あと、2部作゛しゃなかったら、どうでしたかね(笑)
「ラスト・サムライ」の方が、エンターテイメント性が強い作品だったと思います。
by Catcat44 (2006-12-23 17:15) 

Catcat44

土方さん、はじめまて!&明けましておめでとうございます!
nice&コメントも、ありがとうです。
あちらこちらの受け売りですが、こんな記事でも楽しんで頂けたなら、私も嬉しいっす。
ウソだけは書かないようにと、気をつけているのですが、難しいですね。
是非、こちらこそ、よろしくお願いします!
by Catcat44 (2007-01-01 12:40) 

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