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叙事詩の憂鬱 【ベオウルフ】 [映画日記<2007年>]

「ベオウルフ」を見たよ!

フロースガール王(アンソニー・ホプキンス)の治める古代デンマーク王国。
彼らの生活は、グレンデル(クリスピン・グローバー)という怪物により脅かされていた。
ある酒宴の夜、グレンデルは館を襲い、たくさんの人が殺されてしまう。
そんな王国に、一人の勇者が部下を引き連れ現れる。
彼の名はベオウルフ(レイ・ウィンストン)。
そして明言通りグレンデルを見事退治してしまうのだった。
ところが、息子グレンデルを殺された怪物の母(アンジェリーナ・ジョリー)は、ベオウルフを許さず、彼の部下を皆殺しにしてしまう。
ベオウルフは、一人、グレンデルの母に立ち向かう。
洞窟、グレンデルの母と対峙するベオウルフ。
ところが、グレンデルの母は世にも美しい姿を現すと、ベオウルフを誘惑、とある取引を持ちかけるのだった。
そして、ベオウルフの取った行動が、彼を呪いへと導いてゆく・・・

「ベオウルフ」は、現存する最古の英語叙事詩。
それを映画になるように、解釈され脚本化された訳だけど、
そもそも、その古代叙事詩自体がそうなのかもしれないけど、
どうもスッキリしないんだよなぁ。

怪物に怯えていた古代デンマーク王国に勇者ベオウルフが現れ、
すぐに怪物グレンデルを倒し、
そのせいで今度はグレンデルの母の怒りを買い、
退治しに行ったは良いが、逆に美貌に誘惑され、子を残す事と引き換えに、王位や富や名誉を与えられる。
長い王位を謳歌した果てに、結局は前王も同様であったのだけれど、
グレンデルの母からタイムアップをくらい、
再び怪物の脅威にさらされ、しかもその怪物は、母に誘惑されてしまった自分の子で、
再び、怪物と、そして自分自身の過去の過ちと対決しなければならない、
というお話なのだけど。

なんとなく辻褄が合わないというか、すっきりしない部分は、
古代人の教訓になるのだろうけど、
英雄であろうとも、美しさの誘惑に勝てないとか、
富や名誉には勝てないとか、
どんな人物でも、欲には勝てない、だからこそ、勝たなければならない、
ま、そういう事なのだろうけどさ。
これって、冷静に考えたら、過去から未来へ続く、欲の連鎖で、
みんな自業自得の罪で、
何故それが英雄伝なのか、
根本からして、納得できていないんだわね。私。

性、富、名誉、
結局全て、抗えないんじゃん。

しかも、怪物の母は何故、タイムアップの期限付きなんだろう。
これって、欲に負けていい思いをしたものは、
いつかはその報いを受ける時が来るって、やはり教訓なのかしら。
そもそも、この母のタイムアップがなければ、物語の後半はなくなってしまうのだから、母の気まぐれは教訓なんでしょうね。
盛者必衰の理、なのかしら。

さらに言えば、
グレンデルは前国王が誘惑に勝てず、怪物の母と取引してできた子で、
その姿の醜さから、クリーチャー好きにはたまらないのかもしれないけど、
それなら、どうして、ベオウルフが前国王と同じ過ちを繰り返したのに、
彼の子は、美しいドラゴンなのか。
これも、納得できない。
主役だからだよ、って言われたら終わりなんだけどさ。

叙事詩なんて、そんなもの?

ついでに言えば、
主演はベオウルフを演じたレイ・ウィンストンなのに、
宣伝は相変わらず、大々的にアンジェリーナ・ジョリー。
また、主演が置いてけぼりだ。

影の主役と言えば、アンジェリーナ・ジョリーが演じたグレンデルの母なのだろうけど、
やはりベオウルフありきの、怪物であり、
この母イコール人を惑わす欲、なのだから、どんなに美しくても、人気があっても、演技力があっても、
母役は“影”の主役でなきゃ。

以上の事が、私がスッキリできなかった理由。
英雄なのに、俗っぽ過ぎなのよ。
でもこれって、古代の叙事詩をどう解釈するかにもよるのだろうし、
研究家が大勢いるのだろうから、スッキリしないからと言って、一概にダメとは言えないし、
脚本家のせいだけじゃないだろうし、
この映画における表現と、個人的見解がかみ合わなかった、て事だよね。きっと。

あと、これも触れない訳にはいかなくて、
映像が、CGではないのだけど、実写と3Dアニメ、その中間のような作りになっている事。
俳優たちのパフォーマンスキャプチャー・データを用いた、新しい映像作り。
俳優たち本物そっくりでありながら、決定的に違う人物。
これは最後まで、ずっと不思議な感覚が消えなかったな。
「300」より、データっぽかったよな。
ファイナル・ファンタジーを、もう少し実写に近づけた感じって言うのかな。
この映像も、賛否分かれそう。
ともすると、ウソくさくなる時もあり、
でもその効果が、戦闘シーンや、クリーチャーに対して、最大限に発揮されていたとも思う。
人物に関しては、まだまだぎこちなさが残っていたように思う。
でも、背景とかは、ほとんど気にならないし、逆に効果的な部分もある。
これから、こういった類の映像が増えるのかしらん。
悪い事じゃないけど、使い方を間違えると、ウソくさいし、子供だましみたいになりかねないから、良い方向に進んで欲しいな。
SFやファンタジー向きでしょうね。

見ている時はそんなに感じなかったけど、いざ思い出して、何か書こうとすると、上に書いたようなマイナスの要因しか思いつかなかったりするのは、なんでだろうね。
アンジーのオーラに、レイ・ウィンストンが勝てなかったからかな?
アンソニー・ホプキンスやジョン・マルコビッチ、ブレンダン・グリーソン(歴史コスチュームものには欠かせない方)とか、いい役者さんはたんさん出演しているのにな。
ロバート・ゼメキス監督も、有名人だし。
そういう意味では、もったいないのかしらね。
もうちょっといい感じになりそうなのに、その手前、みたいな。
そのもうちょっとが、難しいんだけどねぇ。


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もう一度、咲く 【ロッキー・ザ・ファイナル】 [映画日記<2007年>]

「ロッキー・ザ・ファイナル」をレンタル&視聴。

ボクシング界において、2度のベビー級チャンピオンに輝き、栄光の絶頂にいたロッキー・バルボア(シルベスター・スターローン)も、それは30年も昔の話。
数年前に愛する妻エイドリアンに先立たれた後は、イタリア・レストランを経営し、客に乞われるまま昔話を聞かせる毎日。
一人息子のロバート(マイロ・ヴィンティミリア)は、父の影に霞むのを嫌い、彼に寄り付こうとはしない。
何度目かのエイドリアンの命日。
ロッキーは昨年と同じように、エイドリアンの兄で親友でもあるポーリー(バート・ヤング)をつき合わせ、エイドリアンとの思い出の場所を巡り歩く。
その途中、懐かしいバーに立ち寄ると、昔、ロッキーに喫煙をたしなめられ、送ってもらった事があるという女性、マリー(ジェラルディン・ヒューズ)に再会する。
マリーや彼女の息子ステップスとの交流を楽しむかたわら、ロッキーには心にくすぶり続ける密やかな思いがあった。
もう一度、ボクシングを。
ロッキーが、再びプロライセンスを取得した事を嗅ぎつけたのは、現ヘビー級キャンピオン、ディクソン(アントニオ・ターヴァー)を擁する事務所だった。
毎度の瞬殺KO勝ちのキャンプに、世間は飽き飽きしており、
老獪ボクサーとは言え、かつての英雄とのエキシビジョン・マッチは、人気低迷のキャンプにとって、格好の話題作りで、ビジネスとしても大きなチャンスだったのだ。
かくして、現チャンプ、ディクソンと、かつてのチャンプ、ロッキーとの一戦が決まる。
リングはラスベガスのホテル。
あくまでエキシビジョンの豪華なスパーリングだと余裕なディクソンを横目に、
ロッキーは真剣に、かつ厳しい肉体作りに励んでいた。
果たして、ロッキーとディクソンの試合の結果は?
ロッキーは、心にくすぶり続ける思いを、吐き出す事ができるのだろうか・・・

ストーリー展開、ラストのオチまで分かっているのに、
どうしてこういうお話に、弱いんだろうね。
ロッキーを応援するしかないじゃん。
ロッキーに、賞賛の拍手を送りたくなるじゃん。
もう、製作陣の術中にハマりまくり。
それでも、心地良いのだけど。

過去の作品をちゃんと見た事はないのだけど、
冒頭から、ちゃんと年を取っており、一人孤独で、ぼそぼそと特徴的なしゃべり方なのだけど、
嬉しそうに過去の試合の話をするロッキーに、何か同情めいたものを感じちゃった。
かつてのライバルも、ただの老人で、ロッキーの店の居候状態だったりしてね。
何か、やりきれないもやもやを抱えていそうな感じ、それもちゃんと感じられた。
そのもやもやを、もう一度ボクシングで吐き出したいと、親友ポーリーに話し出すうち、涙が溢れてくるシーンには、分かってはいるのだけど、ヤラれるよな。

ストーリーを解説するまでもなく、
この作品には、いわゆるおじさん、細かく言えば、もう一花咲かせたい、人生、もう一度輝きたい、なんて思っている男性には、もう手放しで食いつくだけの見事なトラップが、たくさん仕掛けてあると思うんだ。

まず、死んだ女房をいつまでも愛し続ける夫としての、ロッキー。
まぁ、ロッキーと言えばエイドリアン、なのだろうけど、
亡くなって数年たっているのに、未だに墓参りを欠かさず、美しい赤いバラを手向け、
イスに座り話しかけるロッキー。
見ていて可哀想になるよね。
命日には、遠い昔の思い出の場所を巡り、しかも毎年同じ事をしていると、親友に呆れられても、彼にとっては、大事な時間。
思い出にすがって生きているのだけど、それでも普段家では肩身の狭い思いをしているお父さんにとって、
いつもでも妻を愛し、美しい思い出として大事にしているロッキーは、ものすごく羨ましく思えるのじゃないかしら。

これも考えれば、過去の栄光や思い出にすがっている事に変わりはないけど、
自ら経営するレストランに、昔のチャンプだった自身の写真を飾ったり、
エイドリアンの写真を飾ったり、
そもそも店の名前からして、“エイドリアンズ”だし、
ここまでくると、イタイなと思うのだけど、それでも客に乞われるまま、昔話ができるっていうのは、
なんだかとても羨ましい日々な気がする。

そして、新たな女性、マリー。
シングルマザーで、あまり素行の良くなさそうな一人息子を育てており、
彼女自身の生活も、たいして良いものではない。
そんな親子に、手を差し伸べるロッキー。
ともすれば、エイドリアンの穴埋め、と見える気もするけど、
それでもうぶなロッキーの、新しい胸のドキドキが聞こえてきそう。
少しやりすぎなくらい優しいロッキーだけど、無償で人を助ける潔さ、なんて、やはり憧れるのではないのかな。
世間一般のお父さんには、まず、できない事だろうし。

そして、いい具合いのトラップだなぁと思ったのは、ロッキー自身の一人息子、ロバートの存在。
彼は、父がいまだに人々の間で英雄扱いを受けている事に、ある種の嫉妬というか、
親の七光りや、親の影に霞んでしまうとか、
有名人を親に持った者の、宿命というべき問題に、すっかりヤラれており、
いい訳がましいのは、その先の展開で、全て効果になるのだけど、
ともかく、純粋で真面目で、挑戦する事に何の疑問も持たない父を、敬遠している息子なんて、
ベタベタでありがちで、何とかホイホイみたいなトラップだと思うよ。
でも、このトラップが、いい効果なんだなぁ。
私は男じゃないし、しかも子供もいないから想像だけど、
親なら、自分の栄光は子供にも誇りを持って欲しいし、
その栄光に、負けて欲しくないと思う。
自分はこれだけやったけど、自分の子供なら、それ以上の事ができるんじゃないかと、希望を持ちそうな気がする。
だから、最初は父を敬遠していた息子が、次第にロッキーの心を理解し、
ついには応援、セコンドについたりする姿を見ると、それそこ父と息子の理想像な気がしてならないよ。
男って、男じゃなくてもかもしれないけど、そういう気がする。

対戦相手は、現チャンプのディクソン。
彼も彼なりの苦悩を抱えており、彼の実力に見合う相手がいない事や、
事務所がビジネスにご執心だとか、
彼に良きアドバイスを送る事ができる、良きトレーナーは、事務所にはいなかったりでね。
普通に考えれば、現ヘビー級のチャンプだもの。
ちょっと鍛えたからって、ロッキーが勝てるとは、到底思えない。
でも、そこに、良きトレーナーがいない事や、彼自身がロッキーを甘く見ているとか、
エキシビジョン・マッチだから、鍛え方がゆるいとか、
そういう要素を持ってきたのは、上手いね。
もしかしたら、ロッキーが?と思えそうだものね。
ディクソンが悪者ではなく、苦悩する若者であったところも、ラストの清清しさに結びつくのだと思うな。
善人VS悪人じゃなくって、年の功VS若気の至り、だった訳だから。

結局は、ロッキーが自分自身に向き合う、というお話だったのだね。
選んだ方法が、ボクシングの復帰だった訳で。
若い頃、一度何かを成し遂げた事があると、
ある種の達成感みたいものを経験してしまうと、
それがいざなくなった時、非常にもやもやが溜まっていく気持ちは、分かるのだな。
なんだかシルベスター・スターローン自身にもカブるなんて、批評もあったくらいだもの。
人生枯れかけたおじさんが、もう一度頑張る姿に、すっかり惹きこまれてしまいましたよ。
まぁ、あえてうがった見方をすれば、
あり得ない復帰戦に、あり得ない試合展開、
ベタベタの人間関係に、全て上手くいくラスト、
でも、あり得ない、の一言で片付けてしまうには、もったいないくらいの、作品に仕上がっていたと思うよ。
陳腐な言葉すぎて恥ずかしいけど、ロッキーを見て勇気をもらいました、なんて感想、書きたくなる。
少なくとも、何かをしたいけど勇気がでない、キッカケがない、なんて悩んでいる方には、調度いいと思うな。
そうじゃなくても、なんだか勇気がでてくる気がするから、
落ち込んだ時なんか、また見たりしたらいいんじゃないかと、思うな。
そんな1本。

ロッキー・ザ・ファイナル (特別編)

ロッキー・ザ・ファイナル (特別編)

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • 発売日: 2007/10/05
  • メディア: DVD


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アホなシチュエーション映画 【アドレナリン】 [映画日記<2007年>]

「アドレナリン」をレンタル&視聴。

フリーのヒットマン、シェブ・チェリオス(ジェイソン・ステイサム)は、中国マフィアのドンを殺した事から、宿敵のベローナに自宅を襲撃され、中国製の合成毒を打たれてしまう。
ベローナによれば、シェブの命は、あと1時間。
ベローナに復讐しようと自宅を飛び出すシェブだが、体調は最悪。
なじみのドクターに話をすると、おそらくアドレナリンを放出し続ければ、作用器官との結合を阻止でき、毒の作用を遅らせる事ができるという。
シェブは死を遅らせ、自分の命を救う為、そしてベローナへ復讐する為、走り出す。
アドレナリンを出し続けようと、猛ダッシュ、カーチェイス、ドラッグ、処方薬、セックス・・・
シェブの命は、あと1時間・・・

アメリカとは、なんと懐が大きい国か・・・
これほどまでに、アホなシチュエーション映画が作れるのだから、さすが、としか言いようがないわな。

シェブが、アドレナリンを放出し続ける為に、あれやこれやと試していくのが、この作品の面白いところ。
アドレナリンは、興奮や快楽を感じた時に分泌される脳内物質だから、
興奮や快楽を求めて、
でも本人は命がかかっているから、大真面目に取り組む姿が、なんともオカシイ。

まずは、猛ダッシュ。
単純だけど、なんか笑っちゃう。
元々身体能力の高いジェイソン・ステイサムが演じているから、ただ走っていても、様になるね。
カーチェイスもお手の物。
車のままショッピング・モールに突っ込んだり、
警察のバイクを失敬して、爆走する姿は、確かにカッコイイ。
でもさ、バイクに乗った時、病院で警察に追われていたシェブは、
患者用の入院着に着替えていたから、
バイクに乗る後姿は、お尻が半見え!
日本の病院提供の入院着って、確か前開きだけど、
アメリカのって、後ろだよね。
しかも、ヒモで3ヶ所とか結ぶやつだから、その隙間から、お尻がチラッチラッと見えるの。
冷静に考えると、バレない為の着替えなのだから、パンツまで脱ぐ必要は、全くないのだけど、
どう見ても、バイクに乗る後姿は、キレイにお尻の肌が見えて・・・
笑わせて頂きました。
ご馳走様。

人口アドレナリンを病院でもらおうとするシェブだけど、そう簡単に、もらえるはずがない。
そしたら、親切な人が、アレルギー用の鼻にプシッュとやる薬に、それが含まれていると教えてくれた。
もう、猛ダッシュしながら、点鼻薬をプシュプシュプシュプシュ・・・

つくづく、アホだなぁ、と感心しちゃったよ。

しかも、恋人のイヴと、公衆の面前で、セックス・・・
確かに、興奮するわな。
でも、シェブより、イヴの方が興奮してるし。
そこはチャイナ・タウン。
中国人と思われる人たちが、みんな楽しそうに見てるなぁ。
イヤがってないあたり、中国人、ナイス!

後半、もう薬やらアドレナリンの効果で、幻覚と話すエレベーターのシーンがあるのだけど、
その時、このエレベーターに同乗していたのは、実は日本人。
日本語しゃべっているのだけど、しかもその部分には、字幕もなかったのだけど、
それが日本語だって気づくのに、少し時間がかかっちゃったよ。
というか、最初、日本語だって分からなかった。
そのくらい、日本人サラリーマンを演じた方の日本語が、変なイントネーションだった。
お決まりの、中国人だったのかな・・・分からんけど。
それなら、ちょっと寂しいな。

前半、散々周りを引っ掻き回して、おマヌケなシェブだったけど、
実は、毒を打たれるキッカケになった中国人マフィアのドンを、シェブは殺してなかったのだよ。
シェブは、足を洗い、恋人イヴと暮らす為に、一芝居うっていた訳だ。
それなのに、ドクが言うには、治療はできない、
やがて昏睡状態になり、数日の延命はできるが、死は避けられない、と。
急に展開がクールになってきたぞ。
覚悟を決めたシェブが、ベローナや、シェブを使い捨てにしたボスなんかと、全面対決。
本当は解毒剤を手に入れたかったシェブだけど、
結局は、それも叶わず、
ラストは、はるか上空、ベローナと格闘の末、二人ともヘレコプターから落下。

落下しながら、青い空を眺めるシェブが、感傷にひたるシーン。
え?
これって、こんなシビアな終わり方?
墜落死しかないじゃん・・・
そんなふうに思って見ていたら、予想に違わず、シェブは車で一度跳ね返ってたら、アスファルトに激突。
鼓動の音が聞こえ・・・

あぁ、死んじゃって終わりなのか・・・はぁぁ、
なんて思ったけど、ちょっとした違和感が。
シェブ、ちゃんと死んだのかな?
もちろん、高度何百メートルとかから落下したのだから、死ぬだろうけど、
なんだか映像的には、しっくりこない。
ちゃんと死んだってところを、見せていない気がしたの。
そしたら、今日、この感想を書く前に、Wikipediaを検索したらさ、
続編が決まっているらしい。
それこそ、えっ?!

まぁ、基本的には、アホさが全面に出ていて、軽い気持ちで、わははっなんて見れて楽しかったよ。
イヴを演じたエイミー・スマートは、「バタフライ・エフェクト」のアシュトン・カッチャーが演じたエヴァンの恋人ケイリー役で出演していた女性なのだけど、
この時は、かなりシリアスな作品だったから、そのイメージが強くて、なかなか気づかなかったけど、
このイヴは、結構なアホ。
見た目もしゃべり方も、アホっぽい。
それが惚れた手前、全くイヴに弱いシェブという図が、イヴがアホなほどオカシしかった。

ジェイソン・ステイサムも、「トランスポーター」シリーズで知った俳優さんだけど、
アクション俳優として、その地位も確立しているし、カッコイイと思うよ。
ちょっと背が足りないと思うのは、私のワガママで。
あまりB級の作品ばかりに主演というのも、良くないと思うのだけど、
シリアスだけじゃなくて、ちょっとコメディ入った作品もいけるなら、いいんじゃないかな。

見る方は、軽い気持ちで、お楽しみ下さい。

アドレナリン

アドレナリン

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2007/11/23
  • メディア: DVD


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はちゃめちゃを楽しむ 【スターダスト】 [映画日記<2007年>]

「スターダスト」を見たよ!

ウォール村。
外の世界と壁で隔たれたその村に住む青年トリスタン(チャーリー・コックス)には、出生の秘密があった。
18年前、トリスタンの父ダンスタンは、掟を破り壁を越え、越えた先にある魔法の国で、一人の女性と結ばれていた。
女は魔女の奴隷で、そこから出て行く事も叶わず、やがて村に戻ったダンスタンの元に、子供だけが届けられたのだ。
それが、トリスタンである。
トリスタンは村に住むヴィクトリア(シエナ・ミラー)に夢中だったが、彼女には彼氏がおり、気を引きたい一心で、偶然空に光った流れ星を、ヴィクトリアの為に持って帰ってくると約束する。
母の贈り物である“バビロンのロウソク”で、流れ星までひとっ飛びでたどり着いたトリスタンが見たものは、ルビーの首飾りを提げた、ブロンドの女性、イヴェイン(クレア・デインズ)だった。
流れ星であるイヴェインを連れて帰ろうとするトリスタンであったが、イヴェインは全くその気なし。
その頃、魔法の国では、王(ピーター・オーツゥール)の死期が迫っていた。
末の妹は行方知らずだったが、7人いる息子は、王の座を争い、4人まで人数を減らしていた。
王は、王位継承者は、このルビーを手に入れなければならないとの言葉を残し、ルビーを空高く放り投げた途端、死亡。
3人まで減っていた息子達は、ルビーを求めて、あの手この手。
その脇で、死んだ4人の兄弟たちは、亡霊のまま、事の成り行きを見守っている。
さらに別の場所で、魔女の3姉妹は、400年ぶりに落ちた流れ星を見つけ、息巻いていた。
すでに年を取りすぎていた3人には、流れ星の心臓を食べれば、また若さを取り戻す事ができるからだ。
3人の代表として、ラミア(ミッシェル・ファイファー)が流れ星を求め、屋敷を出発する。
トリスタンが贈り物の為に、王子たちが王位継承の為に、魔女の姉妹が若さの為に、
それぞれの思惑が錯綜しながら、流れ星のイヴェインを手に入れる攻防戦が始まる。
果たして、イヴェインは誰の手に落ちるのか。
そして、トリスタンとヴィクトリアは、王位継承者は、3姉妹は、どうなるのだろうか・・・!

“なんじゃこりゃ~!”
これが見終わった後の、素直な感想だろうなぁ。

魔法が使えたり、空飛ぶ船が登場したり、確かに、ベタベタのファンタジーなのに、
そのテイストは、コメディにかぶれていたり、シュール且つブラックなアイロニックを気取ったり、
そうかと思えば、純愛で攻めてみたり、冒険活劇だったり・・・
“はちゃめちゃ”、これが一番しっくりくる。
“はちゃめちゃ”って言葉、久しぶりに使ったわ。

全体を通して一貫している事は、全ておいて、“ゆる~い”事。

まず、ツッコミどころが、満載すぎ。
村には、壁を越えてはいけないって掟があり、誰もその先を知らないのに、
ダンスタンもトリスタンも、壁の先の世界に、すごく無頓着。
初めて見る魔法にも驚かないし、何が起きても、不思議がらない。
これは、明らかにオカシイ。
村は極普通の田舎で、ロンドンやパリに憧れているのなら、魔法の世界は、びっくり仰天する世界でしょう。
普通ならね。
それがするっとスルー。
ダジャレを言ってる場合じゃないけど、実際そうなのよ。

次に、流れ星がブロンドの女性なのに、トリスタンも、他の誰も、それを決して疑わない事。
流れ星って、星じゃん?
間違っても、人間の女性じゃないよね?
私、間違った事言ってないよね?

どこまでが前提として受け入れれば良いか、迷っていたのだけど、
そのうち、そんな事に迷う事も、どうでも良くなってきたよ。

つまりはさ、前提や暗黙のルールなんかを、ちゃんと守って作っている純正品じゃないって事。
そうでしょう。
ある意味、全てが飛び道具。
何でもアリな世界だった訳だ。
で、それを受け入れて、納得してしまうと、
今度は、この“ゆるさ”が、面白くなってきちゃった。

初めて見ても、魔法が当り前、いいじゃない。
流れ星が女性でも、OK。
単純に、イヴェインを巡って、トリスタン、王子達、3姉妹の攻防戦を楽しめば、
自然と、イヴェインがトリスタンに惹かれていて、
その愛によって、イヴェインが星としての輝きを取り戻し、
そして、おバカだったトリスタンは、イヴェインの真実の愛を受け入れ、
二人はめでたく結ばれると同時に、
ルビーを手に入れたトリスタンは、
実は奴隷だった母は、亡くなった王の末の娘で、
正式な王家の血を引くトリスタンが、魔法の国の王になり、
万事、めでたしめでたし。
な、訳よ。

実際、こういう解釈で、いいと思うのだけど。
どうなのかしら。
愛や勇気を語っても、
壮大な音楽にのせ、雄大な自然の中で、
魔法の世界の運命を紡いでも、
結局は、“ゆるさ”にたどり着くのだから。
設定の矛盾を追及していたら、きりがないし、
逆にそれを楽しんじゃえば、それなりに楽しいんだものね。
これこそ、正当に批評する方が、面白くないんじゃないかな。
“はちゃめちゃ”具合いが楽しめたら、こっちのもんよ、てな感じで、いいんじゃないかなぁ。

ま、こんな具合の作品なのだけど、
アイルランドやアイスランドで撮影した、雄大に自然は、本当に美しかったよ。
ロケハンがすごい。
見渡す限り緑の大地、遠くには険しい雪山、空も湖も森も、最高に美しかった。
これが、正統派のファンタジーだったら、荘厳な空気を醸し出すのでしょうね。
もったいないんだか、贅沢なのか、分からんわ。

贅沢といえば、
ラストシーンの、トリスタンの戴冠式シーンの壮大さも、贅沢だったよ。
トリスタンに威厳がないからなのだけど、
借りてきたネコみたいなトリスタンが、最後までオカシかったわ。

ロバート・デ・ニーロの、海賊船の船長も、これも微妙な役柄だったな。
海賊船自体は、結構カッコイイのよ。
飛行船みたいに大きなバルーンにぶら下がった船は空を飛んで、
でも船体は本当に海に浮かんだ海賊船のようだし。
クルーも荒くれ者というか、薄汚い感じが、いい雰囲気で。
でも、デ・ニーロ演じるキャプテンは、女装のオカマ趣味。
それをクルーには隠していて、
しかも血を流さず、はったりで最強伝説を作り出した、それはそれですごいキャプテンなの。
ある意味、作品にはぴったりなのだろうね。
女性もののガードル&コルセット姿で、ジュリ扇持って、フレンチ・カンカンを踊る海賊船の船長って、どうよ、って感じ~。

3姉妹の魔女ラミアを演じたミッシェル・ファイファーもすごかったよ。
最近、悪役づいているのは、何故かしらん。
ともかく、あの皺くちゃメイクもすごいし、怪女っぷりが、アッパレアッパレ!

見る前の予想は、簡単に裏切られたけど、
これを楽しめるって事は、いい事なのかも。
笑って見ていられる余裕というか、何と言うか。
好きな人は好きなのだろうけど、中には許せない人もいそうだからね。
私は、限りなく前者に近いという事で。
どうでしょうか。
ねぇ。


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I remember everything 【ボーン・アルティメイタム】 [映画日記<2007年>]

「ボーン・アルティメイタム」を見たよ!

公開し始めたばかり。
ネタバレしてるので、ご注意を!

「ボーン・アイデンティティー」、「ボーン・スプレマシー」に次ぐ第3作目。
しっかり第2作目の「ボーン・スプレマシー」からの続き。
それを踏まえた上で、です。

なんとかモスクワから逃れたジェイソン・ボーン(マット・デイモン)は、
マリーの兄に、彼女を守りきれなかった事を報告しに行く。
そして、ロンドンの新聞記者がジェイソン・ボーンについて記事にしている事を知ったボーンは、その記者を捜し出す。
同じ頃、CIA本部は、“トレッド・ストーン”計画を受け継いだ“ブラック・ブライアー”計画の秘密が漏洩した事に気づく。
“ブラック・ブライアー”を嗅ぎつけたのは、ロンドンの新聞記者ロス。
時を同じくして、ボーンとCIAが一人の記者にたどり着く。
この記者の情報源は、果たして誰か。
そしてボーンは、ついに自分自身が何者であるのかを、つき止める事ができるのだろうか・・・

なかなかお気に入りだったボーン・シリーズ。
果たしてどんな結末を用意しているのか、楽しみだった。
見てしまえば、なんて事ない、それほど突拍子もない事実は出てこなかったのだけど、
それでも、納得の結末。
しかも、ニヤリとさせられる演出には、いや~、もっと見たいと思わせる魅力があったな。

完璧な暗殺者として訓練されたCIAエージェントのジェイソン・ボーンが、任務中の何かが原因で、任務を放棄。
しかも記憶を失って、自分が誰かも分からなくなった時、彼は自らの正体を求める行動に出る。
しかし、そんなボーンを危険視するCIAは、彼を抹殺しようとする。
第1作目から、このゆるぎない設定が、この作品の魅力。
細かいところだと、ジェイソン・ボーンを生み出したのが、CIAの極秘計画である“トレッド・ストーン”。
そして、ボーンの失敗の後、継続して動き出したのが“ブラック・ブライアー”となる訳だ。

オチになるのだけど、
この“トレッド・ストーン”も、“ブラック・ブライアー”も、実は政府の承認を得ていない、CIAの極一部の人間が違法で始めた、暗殺をも含む実験や計画であり、
その被験者、暗殺者となった第1号が、ジェイソン・ボーンなのだね。
彼は、どちらかと言えば、被害者。
最後まで、やはり彼はいい人なんだぁ、というところに、ひねりはなかったけど、
国の為に命を捧げる覚悟をした軍人が、“トレッド・ストーン”計画に組み込まれ、
本人の認識とは違うところで、何やら怪しい実験で洗脳され、
忠実で完璧な暗殺者誕生、となるはずだった。
ところが、ムリな洗脳や実験は、彼の精神を蝕み、任務中の逃亡につながり、
しかも、全てを知っているボーンは、CIAにしてみれば、自分達の首を絞めかねない、危険人物。
そこで、このシリーズの根底にある設定、CIAに追われるジェイソン・ボーンが出来上がるのだね。

このオチ自体は、それほど驚くような事じゃなかった。
多分、まぁ、そんなところだろうなぁ、と、予測内だったと思うよ。
でも、この作品の魅力は、そういう細かい設定が面白いというよりは、
ジェイソン・ボーンという人物の葛藤と苦悩、彼を取り巻く不条理な現実と、それを覆す事ができる彼の行動力が、見ている側を惹きつけて止まないのだと思うな。

基本はアクション映画なので、
ジェイソンボーンの、演じるマット・デイモンのアクションシーンは、素晴しいよ。
彼には申し訳ないけど、
決してイケメンではなく、どちらかというと、近所にいるお兄さん系。
いい身体しているけど、セクシーというより、フレンドリーって感じ。
記憶を失くして苦悩する姿は、そっと慰めてあげたくなる、母性本能を刺激するタイプかな。
でも、一度、敵に遭遇すれば、本能とでもいうべきスピードで、
それこそ、ばったばったとやっつけてしまうこのギャップが、実は堪らないんだな。
フレンドリーでカワイイ顔して、実は、優秀な暗殺者ってところが、心地よくツボなのだよね。
そういうキャラに、またマット・デイモンがぴったり。
怖い顔したゴツイ兄ちゃんが、強ーい暗殺者ってんじゃ、ちっとも面白くないでしょう。
一瞬の切り替わりが、カッコイイを演出してるのよ。

それと、ウソっぽくないアクションが、また魅力的。
最近は、技術があるから、多少危険なシーンでも、合成でなんとかなっちゃう時代だけど、
そういうウソっぽさがない。
ま、身体能力はハンパないけど、
それでも彼ならこのくらいはできるだろうな、という範囲を決して超えないアクションがいい。
マット・デイモンは俳優だから、ある程度でダブルの人が演じているのが分かっても、
それでもダブルの人も人間だから、人間ができない動きは、ない。
そこがいいのよ。
しかも、ちゃんと訓練を受けた人間の体術、それっぽく見える。
それが軍人やCIAエージェントそのままの動きじゃなくても、そういうふうに見えるのだから、それっぽいっていうのが、一番なのよ。
毎度、派手なカー・チェイスも見せてくれるし、
今作は、カー・チェイスはちょっと派手すぎたかな・・・
とはいえ、タンジールでの、町の特徴を活かした逃亡劇は、良かったよ。
ごちゃごちゃとした町並みは、追う側追われる側、どちらにも有利不利があって、いいね。

今作は、前作、前々作から引き続き登場する人物が、いいポイントになっていたと思う。
第1作目のジェイソンとマリーの関係は、またこれか、というベタな関係だったので、ちょっとアレだったのだけど、
第2作目のオープニングで、あっという間にマリーが死んでしまったので、常に女が側にいるのは、ジェイソン・ボーンが活躍するには、やはり邪魔だったのだな、と、斜めな考え方をして、笑ってしまった。
で、第1作目から登場しているニッキーが、また今回関わってきて、ジェイソンの手助けを始めたので、
ま、彼女は、前作でも完全な敵ではなかったから、それでも納得なのだけど、
再度の登場で、しかも、逃亡するのに、髪を黒く染めたり、短く切ったり、マリーの軌跡をたどっているみたいで、ジェイソンと絡んだりしたら、興ざめだろうな、と思ってた。
でも、それ以上にならなかったあたり、ちゃんとわきまえていたんだね。安心したわ。
パメラの登場も、彼女、前作の終わりに、ちょっとジェイソン・ボーンに理解を示して、もしかしたら協力者になれるかも、くらいは想像できたから、順当な成り行きでしょうね。
ジェイソン・ボーンが、ストイックで良かったよ。
あの顔で下半身人間だったら、それこそ興ざめじゃすまないもんね。

シリーズ通して悪役に徹したCIAだけど、
この組織の不条理さも、ジェイソン・ボーンをヒーローにした立役者だろうね。
特に今作は、次から次へと、都合の悪い人間は、アメリカ人であろうとなかろうと、暗殺指令がでまくり。
それを見て反感を覚えるから、ジェイソン・ボーンが活きてくるのだものね。
CIA内部の対立もあって、不条理さに益々磨きがかかって、イヤな組織になってたよ。

ジェイソン・ボーン、過去の罪を悔い、苦悩し影を背負って生きる青年なのだけど、
必要以上に影が濃くならないのは、マット・デイモンの能力だな。
軽く影背負っていても、それ以上深みにハマらないもんね。
だからアクションが、カラッとしてるんだな。きっと。
前へ進んでいくバイタリティというか、行動力は、暗くなりすぎたらダメだものね。
ネガとポジのバランスがいいの。
だから、エンターテイメントしても、面白いのよ。

アクション映画では、もう当たり前になった、手持ちカメラでの映像。
臨場感がでる、とか、スピード感とか迫力の面では、効果的だし、認められているのだけど、
やはり、見にくい。
特にアクションで、動きが激しく、立ち位置がめまぐるしく変わると、本当にどっちがどっちだか、分からなくなる。
こういう手持ちカメラ的な映像を、もう少し見やすく、ステディ・カメラとかで撮影できないものかね。
時にはすごくいいのだけど、時にはイラつく。
服の色が違うとか、髪形がものすごく違うとは、視覚的に特徴的な差があるといいのだけど、全てが上手くいく訳じゃないから、そう思っているのは、きっと私だけじゃないと思うんだけどなぁ。

どこまでが愛国心か、エゴはどこからか、国家単位での暗殺は、果たして許されるのか、
CIAという組織は、ホントにネタが尽きないね。
しょっちゅう映画やドラマのネタになる訳だ。
実際に存在する組織だから、真剣に考え始めると、ちょっと怖い。
しかも、技術的にも、怖いと思う事がたくさんあった。
町の防犯カメラの映像を全て押えていて、特定の人物をずっと追えたり、
固定電話、携帯電話の盗聴も楽々、
あるキーワードを電話回線で使うと、チェックされた上に、身柄の拘束までされてしまうのだから、
どこまでが現実で、どこからがフィクションだか、分からんわ。
暗殺もだけど、拉致班って、なんかすごい。
日本と違い、アメリカはそういうとこ、厳しいんだろうし。
日本は、警察もSATも、優しいもんね。ニュースや映像で見る限りは。
ジェームズ・ボンドや、ジェイソン・ボーンが生まれるのには、やはり国の特性が大きな要因なのだよね。
納得。

ちなみに、ジェイソン・ボーンの本名は、デイヴィッド・ウェッブ。
それが判明した時にはそれほど感動はなかったけど、
今作、終盤で、パメラが何気に彼の事をデイヴィッドって呼んだ瞬間が、1度だけあって、その時ちょっとうわって思った。
さらっと流れちゃう何気ないシーンだったのだけど、妙に印象に残ったシーンだった。
ああ、デイヴッドなんだなぁ、なんて思ってね。

ボーンシリーズ、3作とも、面白かったよ。
話を広げすぎて自滅なんて作品もあるけれど、
これはそうはならなくて、良かった。
世界中を飛び回り、敵はCIAだし、エラくけったいな話ではあるのだけど、
行き着くところは、ジェイソン・ボーン一人というところが、良かったのだろうね。
あっ、原作があるんだったっけか。これ。
ともかく、面白い作品なので、特にアクション好きな人には、是非見て欲しい。
もちろん、そうじゃない人もね。
それには、第1作目から順番に見ていかないとダメだわね。
完全につながっているし、登場人物もかぶっているし、ジェイソン・ボーンの心には、マリー一人のようだし。
何より、彼がラストで生き延びてくれて良かったよ。
もう一回見てもいいな。
機会があれば、行こうかな。


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You can't stop the beat! 【ヘアスプレー】 [映画日記<2007年>]

「ヘアスプレー」を見たよ!

60年代。アメリカ、ボルチモア。
高校生のトレーシー(ニッキー・ブロンスキー)は、親友のベニー(アマンダ・バインズ)と、ダンス番組である「コーニー・コリンズ・ショー」を見るのが大好きな、かなり太めな女の子。
レギュラー出演をしている同級生のリンク(ザック・エフロン)と一緒に踊る事を夢み、母エドナ(ジョン・トラボルタ)の反対を、父ウィルバー(クリストファー・ウォーケン)の協力で押し切り、ついにオーディションに参加する。
ところが、番組を仕切るベルマ(ミッシェル・ファイファー)によって、太っている事を理由に、早々と追い返されてしまう。
しかし、ひょんな事から番組ホストのコーニー(ジェームズ・マーズデン)に気に入られ、レギュラー出演できるようになるトレーシー。
娘を番組ナンバー1にしたいベルマは、当然面白くない。
トレーシーを追い出そうと、あの手この手。
まだ、人種差別が色濃く残るこの時代。黒人が出演できるのは、週に一度の“ブラック・デイ”。
ところが、ベルマはその“ブラック・デイ”も廃止してしまう。
ダンスを通じて仲良くなった黒人のシーウィード(イラシジャ・ケリー)や、“ブラック・デイ”ホストのメイベル(クイーン・ラティファ)と共に、差別をなくすデモに参加した事から、トレーシーは警察に追われる身となってしまう。
折りしも、「コーニー・コリンズ・ショー」では、ミス・ヘアスプレーを決める、投票日。
トレーシーは仲間の協力で、無事「コーニー・コリンズ・ショー」にもぐりこめるのだろうか。
そして、見事ミス・ヘアスプレーに輝くのは、誰か!

元々、ブロードウェーのミュージカル。
そして、主人公トレーシーには新人を。
母エドナには、男性が女装で。
これがお約束、との事。

トレーシーの歌から始まるオープニング。
トレーシーを演じるニッキー・ブロンスキーの第一声を聞いた途端、鳥肌立ちそうになった。
この子の声、すごくいい!
高くなく低くなく、すごくよく通る声質。
見た目はおデブちゃんなのに、なぜかキュート。
可愛さがイヤミに感じないの。
少々ムリな自己主張も、鼻につかない。
この子がオーディションで選ばれた理由が分かる気がする。
すぐにこのミュージカルの魅力に、すっかり飲み込まれちゃった。

ストーリーは、ドタバタ、ミラクルハッピー。
トレーシーが、その他出演者全員が、踊り歌い、また踊る。
そんなちょーちょーハッピーストーリーだから、できすぎな展開も気にしない気にしない。
トレーシーがどんどんハッピーになっていくのを、ニコニコしながら見ていれば良し。
「コーニー・コリンズ・ショー」でのレギュラー出演を皮切りに、
リンクとはラブラブ、
黒人の友達は次々増えてゆき、
Lサイズ服のマスコット・ガールに抜擢され、
ちょーおデブのママは、ついに引きこもりから家の外へ出る。
ある意味、完全懲悪だから、安心して見ていられるよ。

トレーシーもおデブなのだけど、
ママのエドナのおデブ具合いが、また素晴しい。
顔のパーツはジョン・トラボルタなのに、動きは女性そのもの。
しかもちょーおデブだから、動きがころころしてる。
トレーシーのころころ具合いもいいけど、
エドナのころころ具合いを見てしまうと、トレーシーもまだまだだな、なんて思ったり。

ミニ・スカートを揺らして、歌い踊るエドナが、しまいにはキュートに見えてくるから、すごいよね。
ジョン・トラボルタ、恐るべしだよ。

実はこの作品、人種差別の問題を扱っていて、黒人に対する差別を、真正面から糾弾しているの。
こんなに社会派な主張をしている作品だなんて、知らなかったわ。
トレーシーは白人だけど、
そのトレーシーが黒人の味方になって、一緒にデモにまで参加しちゃう。
当時の感覚から見れば、白人が黒人と仲良くするって、ほとんど考えられなかったのかな。
白人は黒人を拒むけど、黒人は白人を迎え入れる。
作品の演出かもしけないけど、でも、もしかしたら、リアルにそうなのかも。
と、思わされてしまうあたり、上手いなぁ。

また黒人の出演者の動きが素晴しいんだ。
ザック・エフロンが霞むくらい。
身体を動かす、特別なDNAを、黒人達は持っているとしか思えない。
そのくらい、身体のキレが半端ない。
本当に、映画館の座席に座っているのが、もどかしくなったよ。
できれば私も一緒に踊りたい。
そう思えるだけのパワーがあった。
ついつい、曲に合わせて口ずさみたくなり、すっかりハマってるよね。
作品の意図にさ。

ラスト、
「コーニー・コリンズ・ショー」の“ミス・ヘアスプレー”コンデスト。
この栄冠に輝いたのが、驚くことに・・・
誰だったか、というオチは、秘密にしておきましょう。
私にしては、珍しいけど、でも結構驚くよ。
って言うと、トレーシーじゃないって事がバレちゃうね。
意外な人物でした。
映画見て、驚いて。

ちなみに、コーニーを演じているのは、「X-MEN」の浮かばれないリーダー、サイクロップスを演じたジェームズ・マーズデン。
彼は「君に読む物語」では、フラれ役で、
「スーパーマン・リターンズ」では、ロイスになかなか結婚させてもらえず、
子供も彼の子じゃないと・・・
この作品では、めっちゃ笑顔で、素晴しい歌唱力を披露してます。
歌唱力と言えば、米ドラマ「アリー・myラブ」のシーズン5で、実証済み。

家族愛あり、友情あり、差別反対あり。
もりだくさんの内容を、圧倒的なパワーで歌いきっちゃうから、テンションずーっと高いよ。
でも、見ているこちらも元気になれる。
太っていたって関係ない。
さぁ、みんなも一緒に歌って踊ろうよ!
そう言われているのだよ。
最初っから最後までね。
小難しい事考えて見るもんじゃない。
ただ、感じたままでいいんじゃいかな。
そういう類の作品だと思うよ。
だから、あまり解説がないな。
主張も分かりやすいし、至極全うな主張だから、裏もない。
とにかく、歌とダンスを楽しめばいいのよ。
出演者達も、ものすごく楽しそうでさ。
ミュージカル映画って、「ムーラン・ルージュ」しか見た事なかったけど、
こういうのいいね。
お薦めよ。
ミュージカルは好き嫌い分かれるんじゃないかと思うのだけど、すごく楽しかったよ。
細かく言えば、評論家たちからは何かしら出てくるのだろうけど、
私は言う事なし。
楽しい。
帰り道、ついつい、
「Good Morning Baltimore~」
「You can't stop the beat!」
なんて鼻歌歌いながら、帰っちゃった。
楽しい~。


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その男、CIA・・・ 【グッド・シェパード】 [映画日記<2007年>]

「グッド・シェパード」を見たよ!

1961年。
CIAのベテラン諜報員エドワード・ウィルソン(マット・デイモン)の元に、1本のテープと1葉の写真が送られてきた。
それはどこだか分からぬ一室で、男女が情事に及んだ際、交わした会話。
折りしも、キューバのカストロ政権を倒す目的で、アメリカの支援を受けた一団が、ビッグス湾に上陸を図ったが、CIA内部からの情報漏れが原因で失敗に終わり、エドワードは窮地に立たされているところであった。
テープと写真の分析を、部下に急がせるエドワード。
エドワードが諜報員の道に足を踏み入れたのは、まだイエール大学在学中の事だった。
エリート学生の秘密結社であるスカル&ボーンズの一員となり、その集会の折、諜報員としてのスカウトを受けたのだった。
耳の不自由なローラとの出会い、
友人の妹との一度きりの過ちが、後に責任を取る形で家族となり、
そして、息子もまた、CIAの一員となる道を選ぶ。
一人の男が歩んできた道、CIAと家族、世界大戦と米ソ冷戦。
テープと写真の謎が解けると、エドワード・ウィルソンは、一つの選択を迫られる事になる・・・

監督はロバート・デ・ニーロ、
主演はマット・デイモン、
共演にアンジェリーナ・ジョリー、
ものすごく豪華な面々。
でも、作品自体は、ものすごく静かに進み、一人の男が選んだ人生だけが、時を刻む秒針のように確実に進んでゆくだけ。

ストーリー構成は、エドワードの現在に、過去が挿入されつつ、現在に近づいていく流れ。
スクリーンに何年と表示されるのだけど、いつの間にか、過去だか現在だか、分からなくなっていたな。

えぇ、この作品、非常に地味です。
本当に地味です。
マット・デイモンが、とにかくCIAに人生の全てを捧げたエドワード・ウィルソンという男を、淡々と演じている。
またエドワードが、感情が顔にでる人間ではないのだよ。
ともすると、常に無表情のエドワード。
妻といても、息子といても、ほんの少しだけ表情を緩める事はあっても、大きく表情が崩れる事がない。
しかも、仕事の事は、家族には一切秘密。
そしてCIAでは、優秀な諜報員。
エドワード・ウィルソンという人間を冷静に分析すれば、やはり家族を犠牲にした、仕事人間、という事になるのだろうか。

正直、見ていてなかなか難しい作品だったと思う。
CIAの事も詳しい訳ではないし、ましてや米ソ冷戦時代の事情もよく知らない。
アクションがあってばんばんストーリーが進んでいくような作品じゃないし、
騙し騙され、ハラハラドキドキ、なんて事もない。
エドワード・ウィルソンという男の人生を追いながら、
CIAの誕生物語を見せられている、というより、エドワード・ウィルソン自身が、まるでCIAそのもののようだよ。

ストーリーに目立った起伏もない為、ともすると平坦なつまらない物語になりそうなのだけど、
そこまでそう感じなかったのは、ひとえに主演のマット・デイモンのおかげだと思う。
彼の顔と雰囲気が、なんとなく人間味が感じられるというか、血が通った人間に見えたのだから、やはり彼の功績なんじゃないかな。

エドワード・ウィルソンという男は、流れに流されているように見えて、
実はちゃんと自分で道を選んでいるのだと思う。
エリート集団のスカル&ボーンズなんて秘密結社は、いかにも戦前のアメリカだけど、
諜報員になったのも、彼自身の選択。
一度の過ちで、友人の妹クローバー(アンジェリーナ・ジョリー)を妊娠させてしまったのは偶然だろうけど、
それでも彼は、家庭を築いていくのだよね。
結婚式から1週間で、妊婦の妻を置いてイギリスに赴任し、
実に6年も会わないなんて、本来ならとっくに二人の関係が終わっていても良さそうなものだ。
時代が時代だからかもしれないけど、一度の過ちで結婚した夫婦が、その後すぐに6年も会わなくて、
それでいても20年余りもその後、夫婦生活が続けられたのは、エドワード・ウィルソンとは何者だろうかね。
妻には、最後まで寂しい思いをさせたエドワードだけけど、
一人息子にだけは、父親それらしい人物にはなろうと努力していたようだね。
仕事の関する一切を秘密にしたまま、20年以上も家族でいるなんて、妻のクローバーはどれほど寂しかったのか、ストーリーがエドワードの仕事の部分を中心に進むので、妻子や家庭の描き方があっさり気味だったのが残念だな。
まぁ、妻クローバーの心情にスポットを当てたら、もう一つ、別の物語ができてしまうだろうけど。
「誰も信用するな」それを信条に仕事に徹するエドワードが、
家庭に戻ったら戻ったで、明るい家庭人になってしまったら、それの方がウソくさいけど、
家庭と仕事と、
例えば、ソ連のスパイかどうかを、尋問というより拷問に近いやり方で責めている部下を、ツーウェイミラーのこちらから見ているエドワード。
でもその夜には、妻と子が待つ家へ帰ると、父親であるエドワード。
このギャップが違和感であり、彼が人間である証拠であり、
つい、淡々としたストーリーながら惹かれたのは、そういうところかもしれないね。

エドワードは、結局妻になったクローバーを、どれほど愛していたのか、疑問だわ。
何故なら、大学時代、明らかに彼が愛していたのは、耳の不自由なローラだったから。
ローラの前では、彼は表情が和み、時折、優しい微笑みさえ見せていたのに。
ローラと結ばれなかったのは、クローバーが妊娠した為。
もちろん、エドワードの行為の結果。
でも、ローラの前で見せた微笑みは、クローバーの前で見せる表情とは違っていたのだろうな。
言い争いの果てに、エドワードはクローバーの前で、結婚したのは息子の為だと、つい口にしてしまう。
それが後押しし、クローバーは母と住むといって、エドワードとは別居を決意する。
CIA諜報員の妻なんて、行き着く先はこんなものなんだろうかね。
ちょっとクローバーがいたたまれなかった。

いつしか息子も成人し、ベテラン諜報員としての地位を確立したエドワードが直面するのは、
エドワードの人生で、とびっきりのピンチ。
キューバでの作戦失敗が意味する、CIA内部からの情報漏えいが、
実は自分の息子の仕業である事に、エドワードは気づく。
あの送れられてきたテープと写真の人物は、
なんと彼の息子、エドワード・ジュニアと、
彼が愛した女性、それはスパイに相違なかったのだ。
父親としてのエドワードと、CIA諜報員としてのエドワード。
彼の選択は、多分、それしかなかったのだと思うよ。
ずっと敵対してきたソ連、その有能な諜報員ユリシーズは、エドワードにどちらも選びがたい二者選択を迫る。
エドワードにテープと写真を送ったのは、かのユリシーズ。
ジュニアが消えるか、エドワード自身がCIAを裏切るか。
どちらも選べなかったエドワードは、花嫁となるべき、ジョニアの愛した女性に、かの地を踏ませなかった。
移動中のプロペラ機から、突然突き落とされる花嫁。
ジャングルに消えていく女性の姿が、何か人に見えず、でも人なんだと思えた時、エドワードがすこし怖くなった。
お前を守る為・・・
事態を察し、泣く息子抱きしめるエドワードが、初めて父親に見えた瞬間かもしれない。
一人の人間を、命令で抹殺する事ができる男が、息子を抱きしめる。
なんだか無性に、虚しくなったわ。

真新しいCIA本部に立つエドワード。
彼に残されたのは、CIAの仕事だけ。
最初っから、彼にはそれが似合っていたのだと思う。
それが、若さ故、人を愛し、家庭を持ち、父親になり、
結局は一人の寂しい仕事人間に戻るのだね。
思うのだけど、
この作品の良かったところは、キャスティングの妙だと思うんだ。
エドワード・ウィルソンに、マット・デイモンをキャストした人は、もしかしたら一番の功労者かもしれないよ。
だって、彼じゃなかったら、きっと長くてつまらない作品になっていたかもしれないもの。
2時間半以上ある上映時間は、はっきりいって長すぎる。
ストーリーに起伏もないし、クライマックスも分かりづらい。
喜びも悲しみもなく、なんとなく侘しさが漂うラスト。
それでも、集中してむしろ夢中になって見れたのは、キャストのおかげな気がしてならない。
違うかなぁ。
違わないと思うのだけど。

見ようと思ってらっしゃる方がいたら、少しだけ予習しておいた方が良いかも。
途中、登場人物が増えてくると、誰が誰だか、分からなくなったから。
分からなくなっても、それほどストーリーに支障をきたすものでもないから、落ち着いて見ていられるけどね。
マット・デイモンとアンジェリーナ・ジョリーが夫婦というところに、どうしても違和感があって最後まで消えなかったのは事実なんだけど、マット・デイモンは童顔だし、逆にアンジェリーナ・ジョリーは老け顔だし、まぁそれも、それほど気にしなければいい事で、絶対お薦めな訳ではないのだけど、見てみるのは悪くないよ、と言っておくわ。
のほほんB級映画も、パンパカアクション映画も好きだけど、
たまにはこんな渋すぎる作品も良いかもね。
マット・デイモンっていい役者だよ。
この作品見て、あらためてそう思ったわ。


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現実か幻想か 【パンズ・ラビリンス】 [映画日記<2007年>]

「パンズ・ラビリンス」を見たよ!

公開し始めたばかり。
ばっちりネタバレしているので、ご注意を。

1944年、スペイン。
内線は終結したものの、ゲリラは山中に潜み、それを鎮圧する為に、ビダル大尉(セルジ・ロペス)が駐屯していた。
そんな山へ向かう親子。
カルメン(アリアドナ・ヒル)は臨月を向かえ、再婚したビダル大尉の元に向かっていた。
隣には、前夫との間の子オフェリア(イバナ・パケロ)。
臨月の母は体調が悪く、道中、車を止めた間、オフェリアは古い石像を目にする。
足元の落ちていた石の欠片を石像に埋め込むと、そこからカマキリに似た昆虫が飛び出すのを見ていた。
一方、冷酷な軍人のビダル大尉を新しい父として愛する事のできないオフェリア。
彼女は大尉の身の回りの世話をするメルセデス(マリベル・ベルドゥ)から、駐屯地のすぐ側に、古い迷宮~ラビリンス~があるのを教えてもらう。
相変わらず体調の悪い母、一緒に寝ているオフェリアの前に、石像から飛び出した昆虫が現れ、オフェリアに話しかけているらしい。
その昆虫に誘われるまま、オフェリアは古いラビリンスに入り込む。
そこでオフェリアを待っていたのは、山羊の頭の二本足で歩く大きな生き物、“パン”だった。
パン(ダグ・ジョーンズ)はオフェリアに言う。
昔より地中には王国が存在し、オフェリアはその国の王女の生まれ変わりだと。
これから3つの試練に合格すれば、父母が待つ王国へ帰れる。
また王女に戻れる。
パンを信じたオフェリアは、進むべき道を標してくれる本を手に、試練に挑む。
果たして、パンの語るラビリンスとは、
そして、オフェリアは3つ試練に耐え、王女に戻れるのだうか・・・

悲しくて悲しくて、そして美しい物語でした。

ファンタジーでありながら、この物語の半分は現実。
1944年と言えば第2次世界大戦中、ファシズムが横行するスペイン。
内戦は将軍の勝利で終結したものの、ゲリラは山に潜み、まだ血を伴う戦いは続いていた。
そんなゲリラを討伐する大尉の下に、オフェリアが再婚した母と共にやってくる場面から、この物語ははじまる。
母の再婚、妊娠と、おめでたいのかと思うと、そうじゃない事はすぐに分かる。
母子を送迎しているのは、ドイツのナチのような征服を着た軍人で、義父はニコリともしない根っからの軍人。
おとぎ話が好きで、本を持ち歩くような少女が受け入れられるような父親ではない。
しかも、すぐ側で戦いは起き、人が簡単に殺される。
そんな環境にオフェリアの表情はいつも暗い。

ダーク・ファンタジーと知っていたので、オフェリアが魔法の国に入ってしまえば、ずっと試練とやらをこなしていく物語なのかと思っていた。
でも、違ったね。
半分は、オフェリアの本当の現実。
冷酷な父、体調の悪い母、軍人とゲリラの戦い。
そんな中でパンと出会い、オフェリアは少しだけ魔法の国に関わる。
一つ試練を達成したら、また元の現実に戻り、
そして、また次の試練に立ち向かう。
ファンタジーの世界は、実はほんの少し。
大部分は、現実世界の悲しみに表情の暗いオフェリアと、弱い母、
そしてゲリラのスパイでもあるメルセデスの、綱渡りな生活なの。

先に書いておくと、
ダーク・ファンタジーの世界は、暗く、そして美しい。
出てくる生き物も、みなどこかいびつで、醜いのだけど、なんとも強烈な印象が残る。
パンは、少しおどけた道化師のようでもある。
頭が山羊なので、悪魔の象徴じゃないか、とも思うのだけど、そういうはっきりとした暗示はなくて、やはりオフェリアに試練を提示する、案内人の役目。
オフェリアの味方ですらある。
側に飛んでいる妖精たちも、オフェリアの味方。
醜いものと美しいものが同居するこの世界は、混沌としているようで、静寂の世界のようで、何か不安で曖昧な気持ちになる。
オフェリアは、王女に戻る為に、時に泥だらけにならながらも、健気に試練に挑んでいく。
王女になる・・・
おとぎ話が好きな、10代初めの女の子、ましてや外の世界は暴力に満ちている、ともなれば、王女という言葉は、何ものにも替えがたい、魅力的な言葉なのかもしれないね。

最初の試練は、古い大木の下にいるカエルの口の中に魔法の石を入れ、カギを持ってくる事。
ドレスを汚してしまった事は母に怒られてしまうが、オフェリアは一つ目の試練に合格できて、嬉しそう。

母の体調を戻す為に、パンからマンドラゴラ(マンドレイク)の根をもらい、言われたとおりにすると、母は少しずつ回復しているよう。
ちなみに、マンドレイクの根は、「ハリー・ポッター」にも出てくる、人の形をした植物の根。
「ハリー・ポッター」では、確か石にされてしまったハーマイオニーを元に戻す薬を作る原料だったと思う。

二つ目の試練は、砂時計が終わる前に、あるものを取ってくる事。
そこでは何も食べてはならず、何も飲んではいけない。
オフェリアは、美しい短刀を手に入れる事には成功するが、なぜかブドウを2粒食べてしまう。
それが見つかり、危ういところを、やっと現実世界に戻ったのだった。
しかし、パンに知れてしまうと、パンは愛想をつかし、オフェリアを見放してしまう。
すると、現実世界では悪い事が続き、
母は弟を産んで死亡、
メルセデスの弟はゲリラだったが、大尉に捕まり、拷問の末、母の主治医の手によって、死亡。
この主治医もゲリラに通じており、バレてしまうと、大尉に射殺されてしまう。
メルセデスはなんとか逃げたし、ゲリラのよって救われる。
一人ぼっちになってしまったオフェリアの元に、再びパンが姿を現し、最後のチャンスをくれるという。
それは、弟を連れ出し、ラビリンスに来る事。
質問はなし。
大尉に追われながらも、ラビリンスに入るオフェリア。
腕の中には、何もしらない弟。
パンは言う。
弟の穢れなき血を捧げるのが、最後の試練。
オフェリアは、有無もなく、それを断る。
弟を傷つける事など、オフェリアには、決してできる事ではなかったからだ。
本当に良いのか、と問うパン。
オフェリアが答えると、パンは消えていった。
そして、そこには、オフェリアに追いついた大尉。
相手が子供だろうと、大尉が慈悲を見せるはずもなく、大尉の拳銃の引き金は引かれてしまう。

そこで、冒頭のシーンの意味が分かる作りになっている。
もしかしたら、と、冒頭でも気づいてはいたのだけど、
手を血に染め、朦朧とした表情のオフェリアが、女性の声の美しいメロディを聞いていたのは、
それは、ラビリンスの入り口に、銃弾に倒れたオフェリアが聞いていた、メルセデスの声。

オフェリアの手から滴る血は、地の底の王国に届き、そしてオフェリアはついにラビリンスの向こう、
魔法の国の王女として迎えられる。
荘厳なイスに、父と母が座っており、パンもいて、妖精たちもいる。
現実のオフェリアの目から光が消える時、魔法の国で、オフェリアは微笑む。
こうにしかならなかったのか、と思う反面、こうにしかならなかったのだろう、とも思う。
少女が夢見た王国は、果たしてそこにあったのか、
オフェリアが現実逃避したくて、頭の中に作り出した妄想だったのか、それは誰にも分からない。
答えもいらない。
きっと、つらい現実に生きる少女の出した答えなのだと思うよ。

一つすごく気になるのは、
2つ目の試練の時、オフェリアはどうしてブドウを食べてしまったのか、という事。
あれはなんなのだろう。
禁断のリンゴは、どうしても食べたくなるものだけど、
あれほど素直で聡明なオフェリアが、あの時ばかりはなぜブドウをガマンできなかったのか。
あの後、マンドラゴアも見つかり、母も亡くなり、外の状況も悪くなり、
あの時、もしオフェリアがガマンして、何も口にせず戻れていたら、どうなっていただろうと、どうしても考えちゃう。
考え出すと、素直に見ていた事が、いろいろ疑問に変わってしまうのよ。
果たしてパンは、何者だったのか、とかね。
実は、オフェリアを、死という安息の世界に導く為の生き物だったのか、
安息ではなく、死に至らしめる悪魔的な存在だったのか、
オフェリアは、もしかしたら現実から逃れたくて、自ら死を選んだのか、とか、疑問は尽きない。

オフェリアを演じたイバナちゃんは、暗い表情が似合う。
その暗い表情から、一瞬だけ笑うと、印象が深くなるの。
映像美の部分で評価されたみたいだけど、
それより、強烈だったのは、やはりオフェリアの死と王国との関係だな。
現実世界と、幻想世界の関係と言ってもいいかも。
自由に生きる為には、死しかなかったのか、
考えていたら、悲しくなったよ。
充実した気分で見終わったけど、精神的にはあまり良くないかもね。

現実世界のでの、暴力のシーンがかなりリアリティがあってエグいから、PG-12なのもうなずける。
いわゆるファンタジー映画を想像していると、アッパー食らうよ。
でも、娯楽ファンタジーより、何倍も残るものがある。
そこを評価したい。
カワイイクリーチャーがいないってのも、媚を売っていなくていいし、
あからさまな正義や希望がないのもいい。
鬱っ気のある人は、悪化させてしまいそうな気もするけど、興味がある方は、是非、見て下さいね。
私は、泣きましたよ。ええ、確かに。


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ジェシカを楽しむ会 【ファンタスティック・フォー/銀河の危機】 [映画日記<2007年>]

「ファンタスティック・フォー/銀河の危機」を見たよ!

今や国中の人気者となった、リード(ヨアン・グリフィズ)、スーザン(ジェシカ・アルバ)、ジョニー(クリス・エヴァンス)、ベン(マイケル・チクリス)の、ファンタスティック・フォーの面々。
とりわけ、リードとスーは結婚式を控えて、マスコミの注目の的となっていた。
だが、異変は徐々に起きていた。
日本の駿河湾は一瞬にして凍りつき、エジプトではピラミッドに雪が降り、ロサンゼルスでは大停電が起こり・・・
そして結婚式当日、ついにニューヨークにも異変が。
何かが一瞬にして通り過ぎると、リードたちの結婚式を取材していたヘリコプターが、突風に巻き込まれ、墜落しそうになる。
ファンタスティック・フォーの面々の力で事なきを得るが、結婚式はめちゃくちゃ。
スーザンは呆然と破壊された式場を見ていた。
その“何か”を追いかけたジョニーは、その正体が、全身銀色に輝く、サーフボード状のものに乗った、異星人である事を知る。
リードの研究の結果、シルバーサーファー(声:ローレンス・フィッシュバーン)と名づけられた異星人がたどり着いた星は、なんと8日以内に全て滅びていた。
軍の要請もあり、地球を守る為、立ち上がる4人。
だが、作戦が上手くいかない4人の前に姿を現したのは、なんとかつての敵、Dr.ドゥームことビクター(ジュリアン・マクマホン)だった。
シルバーサーファーの正体は、ビクターの本心は、そしてファンタスティック・フォーの4人は、
果たして地球を救えるのだろうか・・・

前作の軽いノリからしても、前評判からしても、実はあまり期待してなかったのだな。これ。
ただ、アメコミ原作の映画も、B級SFアクションも好きな私は、それなりに楽しければそれでいい、って思って見に行った訳さ。

たまに起こる事なのだけど、
どう見ても主役より、ワンポジション隣のキャラが、一番人気になってしまう作品って、あるんだよね。
正に、これがそう。
ジェシカ・アルバで宣伝しすぎでしょう。
そりゃ、知名度で言っても、ヨアン・グリフィズよりジェシカ・アルバの方が上だろうけどさ。
Mr.ファンタスティックは、ヨアン・グリフィズなんだけどなぁ、ってところは、宣伝する側も、脚本書く側も、本来なら守ってしかるべきルールなのだけどなぁ。
どうかしら。

ストーリーは、まぁこの手のB級にありがちな、いろいろ詰め込んだごった煮状態。
リードとスーのお約束愛情物語に、
ベンと盲目の恋人とのホロリ物語に、
ジョニーの強がり成長物語に、
宿敵復活、やっぱり敵じゃん物語に、
本来は敵のはずの異星人との、心の交流物語に、
最後はしっかり、ハッピーエンドに決まってるじゃん!
お後がよろしいようで・・・

これじゃ感想にならないから・・・
リードの科学オタクっぷりは、見ていて楽しい。
せっかく美人の彼女との結婚式を控えているのに、式の1時間前まで機械をいじってるなんて、スーザン、苦労しそうだよな。
ジョニーの生意気っぷりと、演じるクリス・エヴァンスの生意気顔が妙に合っていて、いい。
子ネタで笑わせてくれるのも、お約束の粋を超えてはいないけど、それでも笑えたから、良しでしょう。
身内で仲良し4人組の、すったもんだも、まぁ微笑ましいっちゃ微笑ましい。
スケールがデカイ割りに、内輪ネタで済んでしまうあたり、前作とあまり分かっていないわね。

シルバーサーファーは、人気者らしい。
なんでサーフボードなんだよ、とか、なんで全身銀色ピカピカなんだよ、とか、サーフボードなかったら何もできないじゃん、とか、ツッコミどころはたくさんあるんだけど、確かにシルバーサーファーの動きは、カッコイイ。
特に、透明になって物を通り抜けちゃうシーンとかはね。
ボードと離れるとやたらと弱っちいんで、やや拍子抜けたけど、作り自体は良い感じ。

あと、思わずカッコイイ!って思ったのは、リードが作った乗り物。
銀のボディに、座席が4つ。
ちょっとX-MENのジェットっぽいけど、
実は、3つに分離して、一人乗りか二人乗りにもなれるところは、子供心がむくむく刺激されちゃった。
リアリティはさらっとムシしてるけど、かまわないでしょう。
元々そういうノリなのだから。

せっかく前作の宿敵Dr.ドゥームことビクターを復活させたのだけど、あまり効果的じゃなかったのは残念。
いや、絶対裏切るでしょうと思わせとして、やっぱり裏切るのだから、あっ!っていう驚きがない。
結局、いいヤツだと思い始めたシルバーサーファーに、ムチャな実験したのは、軍のマッド・サイエンティストみたいなヤツだった訳だし。
ムチャするのがビクターなら、もっと憎らしく思えて良かったのにな。

ファンタスティック・フォーの面々が、他のアメコミキャラと違う点は、隠れたヒーローではないって事。
世間的にも、堂々のヒーローだから、マスコミにも追われてるし、テレビにも出るし、紙面も騒がす。
その為の苦労もあるだろうけど、正体を隠さなきゃならない苦悩とは無縁だから、何か堂々ヒーローの特性みたいなのを活かせたら、面白かった気がする。
プライベートが欲しい!なんて言っている場合じゃないよ、スーザン。

オマケだけど、妙に日本づいた設定に、笑っちゃった。
駿河湾って微妙にマイナー。なんで駿河湾なの?
最後に、マスコミを避けたリードとスーザンが、恐らく日本と思われる(ロケ地は違うな)庭園で、和服で結婚式を挙げたのは、爆笑しそうになったよ。
着物が並んで式ってのもカワイイけど、ジェシカ・アルバが、あまり着物が似合ってない気がして、落ち着かなかったわ。
あと、ジェシカ・アルバのブロンドも似合わん。
なんで染めたのかな?
少し褐色が入ったジェシカの肌に、ブロンドはあまりマッチしてなかった。
地のブルネットじゃダメだったのかな。
そう思うのは私だけかしらん?

マーベル・コミック原作の作品には、必ずカメオ出演しているスタン・リー。
マーベルで多くの原作を手懸けたこのおじいさんは、とってもお茶目。
今回は、セリフもあって、ぷぷぷのぷっ。

スケールのデカさはピカ一だね。
シルバーサーファーのボス的な存在でもある、なんだか雲状の、とてつもなく巨大な敵、地球を簡単に飲み込めるくらいある敵が、シルバーサーファーのピカッってやつで雲散霧消しちゃったのは、どうなのかしらね。
地球を飲み込もうとする雲状のボスの映像は、息を飲むくらいはっとしたから、さぞやすごい敵なのかと思っていたんだけどなぁ。
スーザンが一度死んでしまうのも、緊迫感に欠けたね。
なんでだろう。
なんでだろうが多いなあ。この作品。

こんだけダメ出ししてるにも関わらず、それなりに楽しんで見たんだけどね。
楽しんだのなら、ダメ出しするなって気もしないでもないけど、
このそれなりってのが厄介で、期待しすぎると肩透かしだし、
でも、あまり期待していないと、それなりに楽しい。
いいのか悪いのかは、見た人次第。
でも、これって、あまりいい事じゃない。
できれば、ジェシカ・アルバの人気に頼らない、作り方をして欲しかった。
どう見ても、ジェシカを楽しむ会になっている気がするから。
せっかくの主役だもん。リードをもっと活躍させて欲しかったな。
あれじゃ、ジェシカの次のクリスの次のヨアン、だもんな。

別に言わなくてもいいんでしょ、と、ジョニーの「FLAME ON!」にツッコミ入れながら、見てあげて下さい。
楽しいかもよ。


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検事は賢く、木村くんはカッコ良く 【HERO】 [映画日記<2007年>]

「HERO」を見たよ!

ばっちり、あのドラマの続きです。

東京地検、城西支部に戻ってきた久利生公平(木村拓哉)。
同僚の芝山(阿部寛)が自身の離婚調停中を理由に、担当だった事件の裁判を、久利生が引き受ける事になった。
容疑者・梅林(波岡一喜)は、サラリーマンを暴行、死に至らしめた罪で起訴されていたが、罪を認めており、簡単な裁判になるはずだった。
ところが梅林は、初公判でそれまでの供述を一変し、無罪を主張。
しかも、梅林についた弁護士は、無罪獲得数日本一のすご腕弁護士、蒲生一臣(松本幸四郎)だった。
なぜ、こんな小さな事件に、蒲生弁護士が出張ってくるのか。
同時に、東京地検特捜部の黛(香川照之)から、ある情報がもたらされる。
それは、梅林の事件が、実は大物代議士・花岡練三郎(森田一義)の贈収賄事件の行方を左右する証言をしており、この久利生の担当する事件がカギを握っているのだ。
しかも、久利生自身過去の事件で、花岡代議士とは因縁がある。
全力で無実を獲得しようとする蒲生弁護士に、徐々に追い詰められる久利生。
だが久利生は、花岡代議士の事件はともかく、無残にも殺されたサラリーマンと、その婚約者の為、梅林の犯行を立証する為に、東奔西走する。
果たして久利生は、梅林を有罪にできるのか、
そして、蒲生弁護士、花岡代議士との因縁の対決の結末は?

やっと始った映画版「HERO」。
2時間のスペシャルドラマの放映から、かなり時間がたっているので、細かい内容までは、忘れるって。
キャラクターが引き続き登場する映画版、もっと早くして欲しかった。

実を言うと、私、連続ドラマの時は、見てなかったんだよね。
で、2時間スペシャルの時はなぜか見て、そしたら結構面白いかも、なんて思って、映画版も見るか、てな具合。

基本的に、キャラクターはドラマのまま。
久利生の通販好き、雨宮(松たか子)の器用なんだか不器用なんだか分らないキャラ、芝山の家庭問題、マスターの無愛想っぷり、等々、細かいネタが満載で、楽しませてくれる。
久利生のとぼけた話っぷりなんかは、木村くんの十八番っしょ。
確かにドラマを知らないと独りよがりのネタなのかもしれないけど、見に来る人が、ドラマを知っているのを暗黙の了解として作ってるだろうから、そこは素直に笑えば楽しい。

事件の方は、ちょっと複雑に作られていて、ほうと思う。
最初は簡単な傷害致死事件なのに、えっと思っているうちに、すご腕弁護士や大物代議士、悪どい秘書に東京地検まで、あっという間にキャラクター勢ぞろい。
そう思うと、オープニングの細々とした本筋に関係ないエピソードは、ちょっと長い。
もう少し早い段階で、花岡代議士との関係が明らかになった方が、久利生と蒲生弁護士の対決とか、法廷での花岡代議士との対決とかが、もっと内容が濃く作れた気がする。

ま、いろいろ大人の問題がからんでくるのだろうけど、
久利生と蒲生弁護士、花岡代議士との法廷での対決は、もっと迫力ある、真に迫ったものを期待していた。
リアリティがあって、本当に久利生検事を応援したくなる、ガツンとくるものであって欲しかった。
だから、たとえイ・ビョンホンが友情出演したからって、韓国でのシーンは、長い。
車一台見つけるのに、久利生たちが、どれほど苦労をしたか、また、たかが車一台、証拠とする為に、どれほど情熱をかけているのか、それを見せるにはいいのかもしれないけど、あの韓国での大騒ぎがラストのクライマックスよりボリュームがあっちゃ、やっぱりいかんでしょう。
久利生のキャラクターを見せるには、いいだろうけどね。

松本幸四郎演じる、蒲生弁護士。
ベテランの俳優さんが演じると、実に重さのあるキャラクターになって、良いね。
タモリが演じた花岡代議士よりも、カリスマ性があった。
だからなのだけど、蒲生弁護士と久利生の対決は、内容がちょっと幼稚だったのが、気になって。
久利生検事を追い詰める蒲生弁護士。
ピンチになる久利生検事、というか、ピンチになる木村拓哉っていうのを、見る側は期待している訳じゃない。
そこからの逆転劇が楽しいのだし。
だから、蒲生弁護士は、理詰めで、久利生をぎゃふんと言わせないといけない。
しかも、誰もが、花岡代議士が、自らの保身の為に、事実を曲げようとしているのが分かっているのだし、蒲生弁護士が、どんなにすご腕でも、花岡代議士の為に、事実を曲げているのだから、正当法で久利生を攻めなければ、ただの悪党になってしまう可能性だってある。
面倒な政界の事情があって、久利生と蒲生弁護士が対決しているのだから、多少内容が難しくなってしまっても、法定のシーンは、がっつり作って欲しかった。
蒲生弁護士が久利生を追い詰める方法というか、手段というか、証拠がね、易しすぎなんだよね。
金髪に染めている梅林の髪を見て、通報者で目撃者の主婦が梅林を犯人だと証言した件にしても、その主婦が金髪ってだけで梅林だって言っている、というところを蒲生弁護士が突いてくる、くらいの事は、察しのいい人なら、すぐに気づく。
わざとらしいライトの実験にしても、音楽で煽ったりしていたけど、そこまですごい事じゃない。
車のキズにしても、梅林が運転していた事の証拠にならないのは、ドタバタ韓国シーンの後じゃ、なんだか拍子ぬけだし、久利生がアホっぽく見えないか?
久利生が、気持ちに訴える、素晴らしい検事ってところはいい。
でも、もうすこし賢く見せないと。
足で証拠を探し出すのもいいけど、検事なんだからさ、頭いいところ見せないと。
それは、蒲生弁護士にしても、同じ。
湾岸署の青島刑事とは、違うからね。

物足りなかった部分だけ、書いてしまった気がするけど、
これは木村拓哉の為の、木村拓哉の作品だから、
久利生公平のキャラが立っていれば、これはこれでOKになる。
「武士の一分」の感想を書いた時にも、すこし木村拓哉像について書いたけど、
木村くんってのは、ブルース・ウィリスと一緒で、ヒーローである事が、大前提な訳だ。
正義の味方である事が、木村拓哉である事と同じくらい。
それが気持ちいいのだし。
だから、そういう意味では、この「HERO」という作品は、的確にツボを押さえている作品なのだよね。
多少のブレがあっても、キャラクターの力で、乗り切れるだけのパワーがあるんだ。
脇役だって、みな個性的で、主役を喰うくらいいいキャラなんだし。
でも、だからって、その部分だけに頼った作品作りをしていたら、それ以上いいものはできないでしょう。
木村くんを、最大限にアピールできる作り方をしなければ。
元々、面白い作品なのだから、法廷シーン、もう少し高度なものが欲しかったなぁ。
アイドル映画じゃないんだから、ね。

正直、この程度なら、2時間ドラマの方が、家でゆっくりと落ち着いて見れて、良かった気がする。
1800円払ってるのだから、ドラマ以上のものを見たいじゃない。
予算だって多い訳だし、韓国で予算のほとんど使っちゃったんじゃないの?
そりゃ、興行成績は良いものがでるでしょうけど、こんなので満足しているようじゃ、スタッフもキャストも、たいした事ないよ。
それなら、「踊る大走査線」のスピン・オフ、「交渉人 真下正義」の方が、面白かった。

木村拓哉の当り役の一つであると思うの。
久利生公平の設定が面白いでしょう。
現実的とは言えないけど、中卒、スーツなし、茶髪の検事なんて、それだけでわくわくするじゃない。
逮捕歴まであるんだし。
最大限に生かして欲しかったなぁ。
ほとんど映画を見ない人で、「HERO」だからって見に行く人がいる場合、映画ってこういうもんだと思う訳でしょう。
満足いくまで、脚本は練り直して欲しい。
久利生公平最大のピンチ、が売りなのだから、本当にピンチに追い込まなきゃ。
勝つと分かっていても、素直に勝ったんじゃ物足りないんだけどなぁ。
ま、いろいろ書いたけど、期待の裏返しと思って下さい。
面白くなかった訳じゃないけど、たいしてすごい作品でもなかったのだから、そこがミソなんですよ。
分かって頂けるかしら?
では、そういう事で。


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