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暇つぶしにどうぞ 【GAMER】 [映画日記<2010年>]

「GAMER」を見たよ!

近未来。
世界はケン・キャッスル(マイケル・C・ホール)が開発した「スレイヤー」というゲームに夢中になっていた。
プレイヤーが操るのは、実際の人間。
脳内に埋め込まれたナノ細胞により、限定区域にいる間だけ、人間を操作できる画期的なゲームだ。
その中でも、戦闘を繰り返し、生き残るのを目的とした「スレイヤー」は格段の人気があった。
現在の人気ナンバー1は、ケーブル(ジェラルド・バトラー)と名の付いた人物。
「スレイヤー」の中で戦闘をするのは、みな死刑囚で、「スレイヤー」で30戦勝てれば、自由の身が保障されていた。
ケーブルは、あと3勝すれば30勝。
晴れて自由の身となれるが、実はケーブルは、無実の罪で死刑判決を受けていた。
ケーブルを操るプレイヤーは、サイモンという名の17歳の少年。
そんな折、ヒューマンと名乗る、ケンの作り出した世界を、ニセモノだ、非人道的だと非難するグループが現れる。
ケーブルは自由の身となって妻と子供に再会する為、サイモンは負け犬になりたくない為、ヒューマンは人類をケンの世界から解放する為、それぞれの目的が絡み合い、ケーブルは確実にケンへの距離をつめていくのだった・・・。

いやー、この作品が、B級、いやC級扱いだったのは、事前に批評を呼んでいたので、知っていたのよ。
それでも見たかったのは、デクスターしか見たことがないマイケル・C・ホールが敵役だっていうから。

先に言っておくと、批評通り、完璧なB級、いやもしかしたらC級映画かもしれないけど、そこは日本映画と違うところよね。
しっかり、なんとなく上手くまとまった感じに仕上がっていたよ。

ジェラルドのアクションも、彼には泥まみれの戦闘が似合う。
なんでこんな映画のオファーを受けたのかは知る由もないけど、キャラクターにあってたと思う。
無実の罪で死刑判決を受け、それでも妻子に会う為に、命をかけて悪と戦うっていうのは、ヒーロー然としていていいじゃない。

マイケルも、またまた変態の役(笑)
いや、ケンはやっぱりキチピーだったけど、頭が良くて、人を支配して見下すのが好きで、敵としてはふてぶてしくて、でも最後はみっともない死に方をしてくれたので、良しなんじゃないかな。

それにしても、こういう近未来の廃退した町、排他的な世界観というのは、どうも似たり寄ったりになるんだね。
それこそ「ブレイド・ランナー」からちっとも変わっていない気がする。
性別を偽って、操る女性にド派手なカッコさせたり、変態ちっくな性行為させたり、パンクっぽかったり、メタルちっくだったり、目新しい見解ってーのはないものかね。
ないんだろうなぁ。

自分でない人を操るってアイディアは、それこそ「アバター」もそうだし「サロゲート」もそうなんだけど、全くの他人を脳に埋め込んだナノ細胞で操れるようになるっていうのは、新しいかな。
他人の意思をのっとるのだから、決して人道的でないし、悪用したらきりがないくらいいろんな事ができちゃう。
それをケン・キャッスルが一人の手で握っているっていうのは、話を大きくしない為にも、これって抑制力だった訳ね。

ツッコミどころはいろいろあったとは思うんだけど、いまいち分りづらかったのは、サイモンがケーブルをプレイヤーとして操る訳だけど、そのコントローラーというか、どうやって操作するのかっていうのが、いまいちごまかされた気がする。
もちろん未来のお話だから、キーボードもマウスも、コントローラーもなくって、空間で動かす手の動きに反応してプレイヤーは動くのよ。
でも、それが、あんだけ激しくて複雑なケーブルの動きにどう連動しているのかってところが、あいまいだった。

世界中で人気のゲームって割りには、それほど突飛な事もなく、まぁ、人が人を殺している残忍で残酷なシーンが見られるってだけね。
しかもたいがいの人はプレイヤーではなく、観客。
3Dのテレビゲームが、生身の人間になった事で、ここまでなるか?と思いたいけど、どうなんだろうかね。

もう少しヒューマンの存在が大きくても良かったと思う。
せっかくの反ケン・キャッスルのヒーロー集団だったのだから、レジスタンスらしかったらいいのに。
ちょっとメンバーが若かったのと、若いのはいいのだけど、ややおフザケしたキャラクターだった為に、とても良い事をしているのが、伝わりづらかった。
最終的にはケーブルの私的復讐物語になるとしても、協力者として、威厳みたいなものがあっても良かったかな。

サイモンも、協力する理由が希薄に感じちゃってもったいなかった。
ネットの世界で負け犬になりたくないっていうのは分かるけど、それだけで簡単にケーブルに協力しすぎ。
ケーブルが死んでしまったら元も子もないけど、なんか正義でもなくていいから、拒否できない、拒否したくない理由付けがあればね。
そういえば、サイモンは結局ヒューマンのメンバーとはネット上で一度話しをしたっきりだったね。

クライマックスで、ケンが自分が操っている戦闘員たちとダンスを始めた時にはどうしようかと思ったけど、ケン・キャッスルは変態だったので、ま、それも演出のひとつと思えば。
でも、爆笑・・・いや、失笑しそうになったわ。

お話をきちんと収める為には、ふろしきを広げすぎない事は大事な事だと思う。
ケンもちょっと中途半端な大物だったし、ゲーム中にケーブルが簡単に逃げすぎとか、でも脱獄に1時間とかかけていられないから、あれはあれでああにしかならなかったんでしょう。

脱獄するのに、車のガソリンの代わりに、ウォッカと尿をタンクに入れたのは、笑った。
アルコールとアンモニアで車は動くの???

殺人を犯したってハメられて死刑囚になったケーブルだけど、ケンはたった一つの殺人を隠す為に、ケーブルをハメたんだよね。
でも、そのケーブルも、ケンの屋敷でいっぱい殺したしなぁ。
殺していいんだか、悪いんだか。

どこかで見たネタだし、世界観だし、ちっとも新しくない、ちょっと考えれば先が読めるというか、こういう近未来SFものを好きで見ている人には、展開が全部読めてしまう内容ではあったけど、そこは百戦錬磨のスタジオが作成しているから、脚本とシーンのスピード感、役者の演技、それと短めの上映時間90分で、上手くまめとたな、と思った。
安っぽい感動だけど、家族の再会には普通にほっこりしてしまった。
あの奥さん、結構いい年しているのに、操られる女優としてお金を稼いでいたから、なんか良かったねぇと思ってしまったわ。

どうしても90分時間が余ったわ、もしくは、ジェラルドのカッコイイ戦闘シーンが見たい、変態ちっくなマイケルが見たい、と思う方は、まぁ、レディースデイにでも見て下さい。
じゃなきゃ、週末に借りるレンタルで、お酒でも飲みながら見て下さい。
その程度だけど、なんか憎めないのはなんでだろうね。


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ツボつかれて気持ちいい映画です 【Knight&Day】 [映画日記<2010年>]

「Knight&Day」を見たよ!

ジューン(キャメロン・ディアス)は、車のパーツを買い付けに行った帰り、空港でとある男と偶然2回ぶつかる。
早い便への変更を断られたジューンだが、なぜかその便に乗れる事になり、喜んで搭乗すると、例のぶつかった男も乗っていた。
男は、ロイ(トム・クルーズ)と名乗り、ジューンは最後のチャンスとばかりに、ロイにアタックをかけようと決意する。
ところが、気がつくとロイ以外の乗客、乗務員は全て死亡。
飛行機は不時着。
ロイの活躍で何度も命拾いをするが、次々の命の危機に見舞われるジューン。
ロイは一体何者なのか。
ジューンは何を信じるのか。
そして、二人の結末は?

いやー、ハリウッド映画だねぇ。
しかも一昔前の悪ノリ映画。

でも、ハリウッド映画にしかできない映画は、やはり娯楽作として抜群だな。

もうね、あらすじだけで結末まで分かってしまうようなストーリーなのに、それが楽しいのよ。
トム演じるスパイのロイは、最初こそアヤシさ爆発だけど、絶対に最後は裏切らないってどこか確信が持てる。
キャメロン演じるジューンは、男勝りの割りに乙女チックだったり、でも行動が大胆で、ハチャメチャなのに、憎めないのは、キャメロン・ディアスが演じているから。

トレンディードラマが流行った80年代、日本のドラマでも偶然の出会いからたくさん恋が生まれて、恋愛ストーリーが派手に作られてたけど、二人の出会いはまさにそんな感じ。
もっとも、これはロイが仕組んだ出会いなんだけどね。
それを、結構真に受けちゃうジューンが可愛かったり。

思ったようにジューンはロイに惹かれていくし、起承転結がハッキリしているから、途中でジューンがロイと離れる出来事があったにせよ、結果、二人はまた一緒になるのだから、これを安心して見れないとしたら、世の中、安心なんてなくなってしまうほどよ。

ま、ほとんどお約束でできているストーリーではあるけど、それでもポイントを押さえるのが上手いのは、さすが。
ロイとジューンが、シーンを変えて決めゼリフを交代で言ったり、
最終的には、ジューンがロイがしたような事を、お返しでしたり。
ツボを突かれると、分かっていても気持ちいいんだな、これが。

アクションは、もう何をかいわんや。
本気でトム・クルーズや、ハリウッドの女優がアクションをやったら、カッコイイに決まってる。
これね、日本の女優にはできないからね。
もちろん、ダブルやスタントマンさんの活躍もあるけど、本人結構やっちゃうからね。

これ、トム・クルーズとキャメロン・ディアスという、大ベテラン2人が演じたから、多分良かったんだよ。
これが、売り出し中の若手俳優とかだったら、ちっとも面白くなかったんじゃないかな。
こんなお約束ばかりやってたら、どう笑っていいか分からんもんね。
でも、トム&キャメロンだったら、声を出して笑っていい。

銃弾の数も相当、火薬の量も相当、アクションあり、恋愛あり、それでいてラストは爽やかにほろっとさせられたりして。
ホント、ハリウッドの教科書に出てくるような映画だな。
決して、ジューンがなんでロイに惚れたのか分からない、なんて言っちゃダメ。
こういう男女は、結ばれるものなの。

これ、若い子より、私と同じくらいか、もっと上の方のほうが楽しめる気がするわ。
なんか一人の休日とかにふらっと見に行って欲しい感じ。
頭カラッポにして、是非楽しんで欲しいです。
こんな出会い、いまだにワクワクできる自分に、ちょっと呆れたりして(笑)


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期待を裏切らない娯楽作 【特攻野郎Aチーム THE MOVIE】 [映画日記<2010年>]

「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」を見たよ!

ジョン・スミス大佐<ハンニバル>(リーアム・ニーソン)を中心として米軍で活躍する通称Aチーム、ペック中尉<フェイス>(ブラッドリー・クーパー)、バラカス軍曹<B.A.>(クイントン・“ランペイジ”・ジャクソン)、マードック大尉<マードック>(シャルト・コプリー)は、彼らが出会ってから8年、すでに米軍内では伝説と化していた。
イラクから米軍の撤退が始まった矢先、CIAのリンチ捜査官(パトリック・ウィルソン)からニセ米ドル紙幣の原版がバグダットから持ち出されるという情報が入る。
Aチームで事を片付けたいハンニバルだが、上官であるモリソン大将の許可がなかなか得られない。
そこへパイクと名乗る傭兵軍団を率いる男が現れ、ハンニバルはますます自分たちの手で片付けたいと思う。
親友でもあるモリソン大将を説得したハンニバルは、国防省から監視にやってきていたソーサ大尉(ジェシカ・ビール)の目をかいくぐり、周到な作戦を練り、米軍キャンプに紙幣と原版を持ち込む事に成功する。
ところが、作戦成功に喜ぶAチームの前で、モリソン大将の乗った車が爆破。
紙幣は燃え、原版の行方は不明となってしまう。
ハンニバルがハメられたと気づいた時には、すでに遅く、Aチームは軍法会議にて有罪。
階級は剥奪され、不名誉除隊、さらには10年の服役が待っていた。
それから半年、服役中のハンニバンルを、CIAのリンチ捜査官が面会に訪れる。
例の原版が動いたのだ。
リンチの手引きの元、ハンニバルは脱獄すると、仲間たちを次々と脱獄させていった。
再び結集したAチーム。
彼らは自分たちをハメた人間に復習を誓い、汚名を注ぐ事に命をかける。
果たして彼らの行く末は?!

いや~、期待を裏切らない娯楽作はいいね~。
安心して見ていられるわ。

80年代、ドラマ「特攻野郎Aチーム」はよく放送されていて、さらには映画版の放送もあり、小学生~中学生だった私は大好きで、しょっちゅう見ていたのよ。
昔、米ドラマで夢中で見ていたのはこの「Aチーム」と「ナイトライダー」だけだからね。

「Aチーム」は、なによりキャラクターと、彼らのシチュエーションがいい。
いわゆる「必殺仕事人」形式なのよね。
無実の罪で追われている主人公たちが、依頼をされれば法で裁けない悪人を、自らの手で裁いていくってやつ。
それに「Aチーム」の4人が、4人4様、キャラの棲み分けができていて、それぞれ得意分野や担当が決まっていて、カブらないってところがいいし、いつの時代でも勧善懲悪ってのは、気分がいい。

という事で、リメイク映画化の話を知った時から、とてもわくわくして待ってたのよね。
しかもハンニバルをこれまた好きな俳優リーアム・ニーソンが演じるってなった日にゃ、うわ~お~ぅ、ってなって。

でも、本当は、リーアムはハンニバルのイメージじゃなかったんだ。
ハンニバルはもっと中年太りしていて、おっさんでダサいイメージがあった。
でも頼れるリーダーはカッコイイ、みたいなね。
だから長身で細身、どちらかというと繊細な演技派のイメージがあったリーアムは、実際どうなの?と思ってたんだ。
ほら、「シャーロック・ホームズ」が、英ドラマのイメージが強すぎて、ロバート・ダウニーJr.が最後まで馴染まなかったってのが最近あったからさ。

結論からいうと、その心配は杞憂に終わって良かったよ。
実をいうと、やはりリーアムはハンニバルのイメージではなかったんだけど、それを忘れるくらい、楽しかったから、それはそれで良しとなってしまった訳だ。

目の肥えた現代人に、どんな危険なアクションを見せても、そうそう感動しないっていうのは、たぶん良くない事なのでしょうね。
でも、この「Aチーム」のアクションが“面白い”と感じたのは、やはりそのアクションをするキャラクターの役割と、ウィットに富んだセリフ、軽快なやり取り、絶妙なリアリティなのだと実感した。

手法は古典的かもしけないけど、あのキャラクターだから爆笑、ってなるのさ。
湖に戦車ごと落ちるシーンなんて、湖で老夫婦がのんびり釣りしながら口ゲンカしてて、あぁ、ここへ、ものすごい勢いで、Aチームの乗った戦車が落ちてくるんだろうな、って予測できても、いざ落ちてくると、爆笑してしまうのだから、何をかいわんや。

戦車の大砲を撃って、まさか空を飛ぶ(実際には落ちてる)とは思わなかったけどね。
でもハンニバルが自身満々に、次は何々の角度で「撃て!」なんて言っていたら、本当にできるかも、なんて思っちゃう。

ストーリーは、かつてのドラマの前段階のストーリーって感じかな。
Aチーム結成から、脱獄犯の汚名を着たまま、仕事人をはじめるまで、といった感じ。
基本的には自分たちをハメたやつらに復讐をするって話。
あくまで私事。
こりゃ、続編を作りやすいな、と思ったけど、そこまで考えてこういうストーリーになったかどうかは知らないけどね。
ともすると、復讐や暴力を肯定する内容になりかねないけど、
そこはハンニバルの強力なキャラクターで、自分たちの汚名を注ぐ為、軍に対する忠誠心、愛国心みたいなものが強調されてて、ギリギリでセーフなのかな。
ハンニバルの仲間意識と忠誠心と愛国心は、一級品。
アメリカの若者の対する皮肉なのかもしれないなぁ、と、今思ったわ。

もちろん、チームリーダーのハンニバルを中心に話は進むけど、うまい具合いに、今回はフェイスが大活躍してた。
国防省からやってきたソーサ大尉とフェイスが、元恋人ってーのは、ちょっとワザとらしい設定だったけど、そのおかげでフェイスは大活躍できたのだから、やはりフェイスというキャラ、というか、演じているブラッドリー・クーパーの人気を狙ったのかな。
最後はハンニバルを食う勢いだったからね。

B.Aを演じていたのは、格闘家なんだってね。
日本にも対戦しに来てたって。
そのせいかどうかは分からないけど、雰囲気がまあるい感じで、キメどころのキリッて感じがしなかったのはご愛嬌?
オリジナルのコングって、大暴れするキャラじゃなかったっけ?

マードックを演じていたのは、「第9地区」で主人公を演じていた方。
一瞬、「第9地区」の強烈なイメージが甦ってきたけど、イカれたパイロットのマードック(私にはオリジナルのモンキーの方がピンとくるけど)の、明るい方面でイカれた変人役には、ぴったりだったね。

B.A.(うーん、やっぱりコングの方がピンとくるな)の飛行機嫌いは、アレが原因だったの?

結局、あれだけ大暴れして、せっかく真犯人を暴いたのに、軍がのり込んできて、Aチームはまたまた捕まり収監?
ゴール直前でふりだし?
なんて思ったけど、あれはまんまと逃げ出して、そしてオリジナルのドラマの冒頭のように、依頼があれば悪人を裁くぜってなるのね。
なんか忘れていたけど、あの映画のラストのアレは、オリジナルのドラマの冒頭だった訳よね。
ちょっと鳥肌立ちそうだったわ。
映画のスタッフが、オリジナルを大切にしてくれてる方たちで良かった、と。

それと、エンドロールの後、あの日焼けマシーンから出てきてのは、オリジナルのフェイスを演じていた方だよね?
こういう遊びは好きだなぁ。
でも、やはり、フェイスなんだ、って思っちゃったけどね。

船からコンテナが落ちるシーン。
あそこまで大規模なアクションシーンはちょっとすごかったけど、あれでは下にいたAチーム面々はヤバイだろう、と、ついあのシーンだけはツッコんでしまったよ。

楽しかったー。
野暮を考えずに楽しめる作品はいいねぇ。
手ブレや暗くて見づらいシーンが結構あったので、もう1回くらい見てもいいかも、って思って。
オリジナルに思い入れがなくても楽しめるし、思い入れがあっても、裏切られないと思うよ。
結構、お薦め。
ハリウッドのどかんどかんが好きな方は、是非。

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似て非なるもの 【インセプション】 [映画日記<2010年>]

「インセプション」を見たよ!

他人の夢に入り、アイディアを盗み出す。
そんな能力に長けたドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、産業スパイの世界では名の知れた犯罪者で、ゆえに祖国アメリカに二人の子供を残したまま、帰国は叶わない身の上だった。
ライバル企業の依頼で、巨大な富と権力を持つサイトー(渡辺謙)の夢に入り込んでいたドムは、サイトーに侵入を気づかれ、作戦は失敗。
仕事を依頼してきた企業にも狙われる事になり、彼は追い込まれていた。
そこへサイトーはコブに、ある依頼を成功させたら、祖国へ帰れるようにしてやる、と、仕事を持ちかける。
それは、通常、アイディアを盗む仕事を常とするコブだったが、サイトーが依頼をしてきたのは、ライバル企業の御曹司に、あるイメージを植えつける事、“インセプション”だった。
この仕事を最後に、足を洗う決心をするコブ。
いまだかつて前例のない“インセプション”を成功させる為、コブは最高のチームを組む。
果たして、コブは仕事を成功させ、子供の待つアメリカへ帰る事はできるのだろうか・・・。

久しぶりに、期待に応えてくれた作品を見た気がする。

難しいと言われているこの「インセプション」の設定。
実は、きちんとセリフを聞いて、スクリーンを見ていれば、必要な事は全て説明してくれているから、それほど迷う事もないのじゃないかと思う。
確かに、分かりづらいところもある。
元々、クリストファー・ノーラン監督って、「メメント」もそうだけど、時間軸がズレていたり、複雑な設定がお好きなよう。
一番分かりづらいのは、きっと夢が何階層にもなっているところだと思う。
起きているところから、まず夢の第1階層に入る。
そして、そこから第2階層へ。
さらには第3階層へ、といった具合いにね。
そして、階層が深くなるほど、時間はゆっくりと進み、起きている時の1分が、第3階層までくると、実に何十年にもなる、というところを押さえておけば、まず分からなくなる事はないと思うな。

それと、あくまで夢の中であれば、そこで死んでしまってもただ起きるだけって事もね。

この複雑に作られている設定のせいで、こちらばかりが注目されているけど、この映画の本質は、ドム・コブという男の、再生物語にある。
妻を亡くし、しかもその妻殺しの容疑までかけられた男が、妻の幻影からついには逃れ、新しい道を歩き出すってところが、ストーリーの中心。
サイトーの依頼の元、“インセプション”を成功されるのもこのストーリーの軸ではあるけど、それはあくまでストーリーの進行の部分で、本質はコブの内面にあるのだな。

死んだ妻に未練たらたらで、会えない子供たちに執着し、人生を見誤る寸前の男を、レオナルド・ディカプリオがまたドロドロと演じていて、女々しい男も意外としっくりくるかも。
彼は最後の最後まで、妻の幻影と、現実と、どちらを取るのか決めかねていて、なんともハラハラさせられる。
女々しい男が女々しくもドロドロと夢の世界にハマってゆくのかと思いきや、最後はちゃんと現実に戻ってきてくれて、それはスッキリさせてくれなきゃ、ってね。
ただ、言ってしまうと、最後のシーンは、コブの選択が、夢か現実か、どちちらだったのか分からないようになっている。
でも私は、あれは現実の世界だったのだと思いたいな。
じゃなきゃ、コブという男は、どうしようもない男に思えて。

夢が幾重にも深い階層になっているという設定は、とても面白い。
そのたびに、次の階層に行く準備をして、それって感じで、みんなで潜っていくのは、なんだか楽しい。
時間の流れが違うから、深い階層ではいろんな出来事が起こるのに、上の階層ではほとんど時間が経っていない、というのを、シーンを並べて見せてくれるので、比べやすいし、その感覚がなんとなく快感。

しかも夢の中の世界は、あくまでイメージの世界だから、なんでもアリというところが、実に映画向きでいいじゃない。
非現実な事も、実に現実らしい。
そして、意外と単純な法則なのだけど、現実世界で本人が揺れたら、夢の世界も同じように揺れる、というギャグのような描写が、それこそコメディかギャグのようで、良いよ。
現実では寝ているだけなのに、ぐらぐら揺れると、夢の世界は、もうぐるぐるぐるぐる世界は回る~、みたいなね。

それをCGでなく、実際にセットをぐるぐる回しちゃったところに、この作品の妙なリアリティがあるのね。
夢の世界なのに、妙なリアリティがある。
それが逆に良い効果。
夢が夢らしい非現実的な映像であったら、当たり前すぎてダメだったかも。
それこそ、ファンタジーかSFの世界。
でもノーラン監督の夢の世界は、とても現実らしい。
なんとなくセットが回っている、とか、ワイヤーで吊られているとか、分かりそうな感じが、いいのよ。
人に質感や重みが感じられてね。

コブがチームを組んだ事も、ヒーローものっぽくて、エンターテイメント向き。
コブが一人黙々とやるよりは、RPGみたいにそれぞれ役があって、その役に合う個性があって良い。
わざわざ設計者を分ける必要があるのか、よく分からなかったけど、実行部隊はいるからな。
サイトーも、夢の中ではただの監視者だし。

しかも決して善のヒーローではないのだよね。
でも、実はみんなして犯罪を犯しているのに、誰も罪悪感を感じていないところがミソな気がする。
そこのところはみなあっけらかんとしているのよね。
コブだって、犯罪だって分かってやってるし、犯罪者の仲間にするのに、わざわざ義父のところに仲間を紹介してもらいに行ったり。
サイトーにしても、金と権力にものを言わせて、ライバル会社をつぶそうとしているだけ。
可哀想に、今回、サイトーのターゲットにされてしまったライバル会社の御曹司は、コブが組んだ最高のチームによって、夢を荒らされたあげく、欲しくもなかったイメージをもらってしまうのだから、たまったもんじゃないよね。
しかもほとんどは、コブのチームが作り上げた、ウソのイメージなのだから。

それと、妻の幻影にうじうじと悩むコブとのギャップが、なんだか面白かったんじゃないかと思うな。

シーンが階層ごとにくるくるよく変わるので、だんだん本来の目的、サイトーのライバル会社の御曹司にあるイメージを植え込む、という事のミッションが、忘れそうになるのは阻止した方が良いな。
階層ごとに、その役割が先へ先へ進むのに、手前の階層にシーンが戻ると、前段階の為のシーンだから、目的も戻ってしまって、やや混乱しかねない。
それぞれの階層が、次の階層の為に動いているから、それを忘れなかったらバッチリだよ。

せっかくなので、渡辺謙の演じたサイトーについてちょこっと書いときましょうか。

サイトーというキャラクターは、ちょっと謎の人物。
ものすごい金と権力を持っている。
しかもライバル会社を潰す為に、それを惜しげもなく使っちゃう。
客室乗務員を買収するくらいなら、航空会社こと買っちゃえって、どうよ。
しかも電話1本で。
電話1本といえば、国で指名手配になっている男を、それこそ電話1本で無罪にしてしまうのだから、相当なもの。
実に卑しい人物に思えそうなところを、紳士的な人物に見えるのは、渡辺謙の持つ雰囲気かしらね。
彼はコブの仕事ぶりを見張る為に一緒に夢に入るけど、結構役立たず。
挙句、夢の第1階層目で撃たれて死に掛けて、みんなに迷惑をかけるはめになる。
でもこれは、深い階層で何十年も時間をかけてやるはずが、とてもそんな長い時間は作品に納まらないから、時間に制限を設ける為のキャラ、となるのかな。
コブは、なんとしてでもサイトーには無事で起きてもらわないといけないからね。

なかなか面白かったですよ。
3Dにしなかったところも、好感が持てるし。
それに、セット撮影とはいえ、どういうふうに撮ったか分からない不思議なシーンもいくつもあり、それを想像するのも楽しかった。
どの階層でも、ショックで一斉に目覚めようとタイミングを合わせるのには、ドキドキできたし。
あれ、あのサイトーのライバル会社は、無事、潰れたのかしらね。

難しー、と言わず、見てみて下さい。
階層と目的を忘れなかった、絶対楽しめるから。
いろいろあの映画に似ている、とか、もう既存のアイディアだ、とか言われたりもしているけど、でも決して、同じものではないし、それほどどれかと似ているとも思えないよ。
似て非なるもの。
こういう作品がイヤでなかったら、見て損しないと思うな。
是非。お勧めです。

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てんこ盛り盛りの良し悪し 【踊る大捜査線THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!】 [映画日記<2010年>]

「踊る大捜査線THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」を見たよ!

湾岸署はよりセキュリティーの整備された新湾岸署へお引っ越し。
陣頭指揮を執るのは、強行犯係係長へ出世した青島刑事(織田裕二)。
引っ越しだけでも忙しい湾岸署に、なぜか事件がいくつも重なる。
そして、引っ越しのどさくさに紛れて、青島らの拳銃が3丁、盗まれてしまった。
しかもその拳銃で殺人事件まで起こってしまい、引っ越しどころではなくなってしまった刑事課。
特別捜査本部がしかれた新湾岸署。
本店からやってきた捜査一課管理補佐官の鳥飼(小栗旬)を中心に捜査は進められていくが、なんとセキュリティーが万全のはずの新湾岸署が犯人グループによって封鎖させられてしまう。
犯人グループは湾岸署の中に閉じ込められた人たちの解放を交換条件に、過去、青島刑事によって逮捕された犯人の、釈放を要求してきた。
大混乱の中、青島刑事たちは犯人を逮捕できるのだろうか・・・。

本当に、ごったごったの状況に、よくもこれだけ豪華な俳優陣を使い、まぁ、なんとかストーリーをまとめたものだな、と感心。

全体感は、というと、本当に同窓会の体。
新しいキャストから、懐かしいキャストまで、まぁ出るわ出るわ。
しかも、少なくとも以前2作品あった映画版は見ておかないと、登場人物が一体誰なのか、説明してなんかくれないから、ぽかんとしたまま終わっちゃった、ってな事になりかねない。

それでも、ここのスタッフの遊びというか、センスというか、登場人物はいわゆるオイシイキャラクターばかりで、見ていて飽きない。
セリフにも行動にも、シャレが効いていて、つい上手いな、と思ってしまう。

青島刑事はいわずもがな。
少し出世してたね。
出世に興味があるとは思えなかったけど、少なくとも昇進試験には合格したって事なのだな。
部下なんかいてさ、けっ、青島もヤキが回ったな、と、ニヤっとしてしまう。

和久さんをどうするのかと思ったけど、甥っ子を出すとはなぁ。

室井さんだって、ちゃんとエラくなって戻ってきた。

しかもちょいキャラなのに存在感のあった人物は、ほとんどもれなく、登場してるのが嬉しいじゃない。
木島刑事の登場は嬉しい。
しかも真下とのからみじゃなくって、青島とのからみになってた。

すみれさんも係が違ってもやっぱり青島の近くにいるし、3アミーゴスもご健在(笑)
書ききれないけど、おって思う人物は、みなちゃんと登場するよ。

内田有紀演じる篠原夏美は一瞬オイシイキャラ見えるけど、ほとんど活躍する場がなくって、別にいなくてもいいような立場になっていたのがもったいないと思った。

先に褒めておこう。
この豪華な俳優陣もそうなんだけど、ここの「踊る」のスタッフは、スピンオフの作品も含めて、映画にできる事をきちんと理解した上で、作品作りをしているところが、他のドラマの映画化との違うところ。
たいてい、ドラマでも良かったんじゃないって内容の映画化が非常に多いのに、ここのスタッフは、ちゃんと映画にしかできないような作品に仕上げてる。
この「踊る3」も、とてもドラマじゃやりきれないから。

そういう意味では、2時間半の尺も、俳優陣のギャラも、適正なんじゃないのかな。

この「踊る3」の最大の問題点は、見終わってもちっともスッキリ感がしないって事。
何が、といえば、1作目、2作目にはあった、ドキドキワクワク感がないの。
犯人をやっとの思いで見つける、とか、ヤサに踏み込む、とか、時間までに見つける・逃げる・捕まえる等の、ググーッとクライマックスまでテンションがあがって、あがりきったところで事件解決、ヤッター!!!ってのがないの。

最初、犯人と思われたのは実は実行犯で、黒幕は別にいたのだけど、それもその人物が非常に落ち着いているキャラだから、追っかけ逃げての捕り物にもならないし、実行犯もあっけなく捕まっちゃうしで、ふーんって感じ。
確かに、時間の制限はあったのだけど、どうものんびりした印象。

あの実行犯に一人いた女。
あのアホさ加減にはちょっとひいた。

それに、この黒幕が、以前の作品を見ていないと、誰だかも分からないってのは、実際どうなんだろうかね。
強烈なキャラではあるのだけど、腕力とかじゃないからね。
思想というか、キャラ頼みというか。

敵役が青島刑事と真っ向勝負って感じでなかったのも、あるかな。
青島頑張れ!って感じでもなかったなぁ。
小栗旬が演じた鳥飼も、青島と真っ向勝負していれば面白かったかもしけないけど、鳥飼のキャラは少し違ってたからね。

この手の映画はさ、一種のヒーローものな訳だから、爽快感が必要だと思うのさ。
主人公が勝った時の、必ずハッピーエンドになるハリウッド映画みたいな感じがね、必要なの。
それを感じたかったなぁ。
少しワザとらしいくらいが、ちょうどスッキリできると思うんだけどなぁ。

見て、ダメじゃないと思う。
むしろ、「踊る」フリークの人の方が楽しめると思う。
初見の人はキビシイかな。
多分、「踊る4」の構想もあるのでしょう。
その時は、是非、スッキリ感増量タイプでお願いしたいものだわ。


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父子、善悪 【ザ・ロード】 [映画日記<2010年>]

「ザ・ロード」を見たよ!

天変地異か神の怒りか。
大地は地鳴りのうなりをあげ続け、植物は枯れはて、動物は死に絶え、太陽は分厚い雲に隠され大地は凍りつき、文明は崩壊した。
それから10数年。
名もない一組みの父子が、当てのない旅を続ける。
ただ、少しでも暖かい南へ向かって。
父(ヴィゴ・モーテンセン)は全霊をかけて息子を守り、息子(コディ・スミット=マクフィー)はそんな父親を寄りどころとした。
食料も水もない、希望から見放された地で、人を食う野蛮人から逃げ続けながら、父は息子に“人の善”を説く。
心に灯った火を、未来への希望を、息子に託すように、父は息子に善悪を教え込む。
やがて、父が息絶えた時、息子の心に“善の火”が灯っているように。

いやー、とても地味な作品なのに、すごくしんどかったわ。
これは、2006年に発売された小説が原作なのだそうだ。
賞を取ったのも納得だな。
終末の世界を描きながら、親と子、善と悪を問い続ける、深い作品だと思う。

主人公の父も、その子も、名がない。
これはエンドロールで気づいた事。
そういえば、名のるシーンはなかった。
いや、あったのだけど、あれは父子が出会った老人の名だったか、父がたまたま思いついた名だったか、もう定かでなくなってしまった。
それがイーライだったのは、狙ったのかな。

この作品は、とにかくリアリティーを求めたのだな、というのが分かる。
最初、見ていて何がそんなに不安にさせるのか、気づかなかった。
でもそれが、徹底したリアリティーだと気づいた時に、うわっと思った。
よくよく調べてみると、ロケーションは全て実際の土地なのだそうだ。
崩壊した町も、ハイウェーも、枯れた木の立つ森も、全て本物。
妙な生活観もそう。
だから、あのなんとも表現しずらい不安感がずっと付きまとっていたのね。

それと、寒さね。
空がいつも曇っているのも、原因。
雨ばかりで、着ても着ても寒そう。
しかも主人公たちは、着るものもろくなものではない。
それに汚い。
あの汚さとカッコは、変な話、ホームレスそのままなのよ。
想像の範囲内で、きっとそうなるって思える。

動植物の死に絶えた世界で、もちろん食料など、前の世界の残りしかないから、当然奪い合いと、食人が存在する。
そんなめちゃくちゃな世界で、父は息子に人の常識と、善を、一生懸命覚えさせていくのね。

これは、ヴィゴ・モーテンセンだから、というのが大きいと思うのだけど、とにかく役に入り込むのが上手いヴィゴさん。
息子を愛する人の心を失っていない父親、という役柄は、もってこいだったんじゃないかしら。
それに、この父親は、強くもなんともない。
銃は持っているけど、まだ人を殺した事はなく、食人をする連中に怯え、逃げ、それこそ地を這いずるように生きてる。
そして、最後は、病気に勝てない。
ともすると、この父親が見せる息子に対する愛情は、過剰にも思えてくるし、わざとらしくも見えそうなのだけど、それが終末世界というシチュエーションには、全く違和感なく映る。
常識が常識でなくなった世界で、父親が見せる常識は、とてつもなく貴重なものに思えてくる。

それに、息子がまた真正直に素直ないい子に育ってね。
他人を信じてはいけない世界で、善を教え込まれた息子は、他人に冷たくする父親に反抗する。
それは、父親が息子に教えた大事な事だから、当然、息子は父親の教えの通りに生きているのだけど、油断から死が隣り合わせの世界で、息子の優しさは父としては面倒だったのではないかな。
でも結局、父親は息子に負けてしまうのね。

時に、父親が息子に、「お前は心配しなくていいから」と言うけど、これは、「お前は関わるな」という事で、息子をその問題から遠ざけているだけ。
だから息子は、何も心配するな、という父親に反抗して、自分も心配なんだよ、と声を荒げる。
息子を一人前として扱うには、やはり息子にも、直面している問題を、きちんと説明してあげる必要があるのだな、と、そのシーンを見ていて思ったわ。

静かに死んでいく父親、ヴィゴはなんだかとても穏やかに気分になった。
それまでは、食人連中の襲撃にビビッたり、食料になった人と遭遇した時のあのシーンは、マジで夢に出そうだと思ったから。
でも、浜辺で静かに死んでいくシーンは、なんだかとても穏やかだった。

その後、一人きりになった息子は、もう生きていけないじゃないかと心配になる。
でも、息子は覚悟を決めて父親の銃を持つと、息子は一人の男に出会う。
当然、息子はその男が善人か悪人か見極めようする。
それは子供の浅知恵で、上手くいかなそうだけど、この男が、唯一の希望なのだよね。
息子にとっても。
多分、この世界にとっても。

ラストシーン。
息子が出会った男は、妻と二人の子供と、なんとペットの犬まで連れていた。
これは幸せな一家の肖像。
そんな一家と出会った息子は、この世界での希望となったのだな、と思える。
でもそれがなければ、あまりに希望のない世界で、絶望だけを見せられてきた時間が、あまにしんどい。
一切派手さはなく、クライマックスもどんでん返しもなく、それじゃあんまりだもんね。

ツッコミどころが全くなかった訳でもないんだよね。
ま、原作があるからなんとも言えないけど、たった10数年で、あそこまでなるかな、というのはある。
食料の問題だって、人間全てが滅んだ訳じゃないから、もう少し、やりようがあったんじゃないかと思うし。
それに天変地異で人が死んだのでもなく、戦争でもなく、ようは飢餓と自殺で人が死んだのであけば、ここまで絶望の世界にはならないんじゃ、と思ってしまう。
たった10数年で、人が人を食うまでになるかな。
でも、なんだかんだで納得してしまうのは、映像のリアイティーなんだろうな。

メッセージ性の強い作品だけど、万人が見られる作品でないのが惜しいな。
もし本当にこうなったら、なんて思いながら見るのもなんだけど、そういうふうに思うのは悪い事じゃないから、子供が見たら強烈だろうね。
ま、大人が見ても強烈だから、子供には早いかな。

押し付けがましくないのが良いよね。
お勧めしずらいけど、余裕がある人は見るとなんとも言えない思いができるので、しかがでしようかね。
しんどいぞ。


タグ:ザ・ロード
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デンゼル様々です 【ザ・ウォーカー】 [映画日記<2010年>]

「ザ・ウォーカー」を見たよ!

戦争により文明が崩壊してから30年。
一人の男イーライ(デンゼル・ワシントン)は、1冊の“本”を西へ運ぶため、30年歩き続けていた。
人々は食料と水を求め、生き残った人々は食人を良しとする無法者ちたちを恐れて隠れ暮らすか、独裁者の町で細々と生きていた。
水を求め立ち寄った町で、イーライは町の独裁者カーネギー(ゲイリー・オールドマン)と出会う。
イーライの立ち回りを見て、あっという間に手下を殺されてしまったカーネギーは、このイーライを手元に置こうと必死に彼を説得にかかる。
カーネギーもまた、ある“本”を求めて必死になっていたのだった。
ふとした事から、カーネギーはイーライが自分が探し求めていた“本”を持っている事を知る。
執拗にイーライを追うカーネギー。
果たして、イーライの持つ、カーネギーが必死に探し出そうとしている“本”とは、一体何なのか。
そして、イーライは、“本”を西へ運ぶ事ができるのか・・・。

この作品は、「シックス・センス」に通ずる、ラストの“オチ”がある作品。
その“オチ”を知った後で、果たして今まで見ていた本編で、その伏線はあったのだろうか、と首をひねる、という訳。
それはさておき。

終末映画に属するこの作品。
邦題は「ザ・ウォーカー」になっているけど、原題は「The Book Of Eli」。そのままイーライの本。
イーライが一体何の本を命をかけて運ぼうとしているのか、というのが本題。

文明の崩壊したアメリカの映像は、砂漠に近い感じかな。
映像加工で、色調をとても抑えてあって、セピア色や灰色に見える。
埃っぽくて、荒々しい感じ。
無法者たちが闊歩して、独裁者がいる。
しかも食料の乏しい世界で、食人を良しとするものがいる。
食人はともかく、ちょっと「北斗の拳」のような世界観といったら、日本人には分かりやすいかな。

そんな世界で、イーライがめちゃんこに強い。
本を狙うカーネギーとの対決になるのだけど、銃を相手にしても、ナイフ1本でイーライは殺す殺す。
主人公然として、弾は当らないね。
しかも一瞬で敵を倒す殺陣は、座頭市にインスパイアされているとかされていないとか。

イーライを演じたデンゼル・ワシントンは、アクションも似合う、クールな主人公として、存在感はバッチリ。
言葉少なく、しかしどこかに優しさを秘めている主人公として、ストーリーを引っ張っていくにはもってこい。

カーネギーを演じたゲイリー・オールドマンは、悪役は得意なので上手いけど、変人を演じたほうがゲイリー・オールドマンらしい悪人になったかもしれないけど、カーネギーは独裁者というにはなかなかセコイ、小男だった気がする。

一方のヒロイン、ソラーラを演じたミラ・クニスは美人さんだけど、アメリカ映画は時に女性ヒロインがとても気が強かったり、自分勝手だったりして、主人公を翻弄させる傾向にある。
楚々としておしとやかなヒロインは、まず存在しないかも。
ソラーラも例にもれず、勝手にイーライについてきたり、世間を知らないのに大立ち回りを演じたり、自由だったね。
でも、それでいて、主人公に嫌われたりしないのが、アメリカ映画の不思議なところ。

荒涼とした大地にさすらいの主人公。
なかなかオイシイ設定ではあるけど、ツッコミたいところも多々発見。
戦争で文明が崩壊、という設定はいいとして、30年歩き続けていたら、アメリカ大陸なんてとっくに横断していそうなんだけど、そこはツッコんじゃいけないところなのかな?
それに、戦後の子供たちは読み書きができないって設定だったけど、たった30年、正直、そこまで文明が崩壊するとは思えなかったわ。
だって、イーライもカーネギーも戦前の世界を知っている。
まだそのくらいしか時が経っていないとなると、ちょっとリアリティーを持たせるのかキツイかな、と。
食糧難にしても水の問題にしても、戦争でよっぽどこっぴどく汚染されない限りは、大地は復活しそうなもんだけど、そこまでの描写がなかったからツッコミところになってしまったんだと思うな。

ところで、このイーライの“本”。
私は早々とその正体に気づいちゃったんだけど、他の方はどうなんだろう。
この“本”が“聖書”だと気づいた時から、どうしてそこまでカーネギーが聖書を求めるのか、疑問だった。
カーネギーは、聖書こそ、人々を簡単に操ることができる究極のツールとして、探し求めていた訳だけど、聖書に果たしてそこまで力があるのか、私には分からない。
もちろん宗教の影響力は大きいし、だから戦争の時にに真っ先に聖書が全部燃やされてしまったって設定になるのは分かるのだけど、でも、聖書は所詮キリスト教のツール。
世の中、キリスト教信者は多いけど、全てじゃない。
そこはアメリカ映画として、キリスト教信者の多いアメリカ人的なエゴがあったんだろうか。

宗教の事をああだこうだ言い出すと、大変なので、さらっと済ませるけど、聖書とキリスト教をくっつけて考えるのではなく、聖書をあくまで人々の心の支えになる聖なるもの、として、象徴として扱うのであれば、それはそれでその方がいい考えのように思えてきたわ。

イーライがたどり着いた先は、アメリカの西の果て、アルカトラズ島。
ゴールデンゲートブリッジはちょっと感慨深い感じがしたね。
で、アルカトラズ島には、戦前の文明を示すものが全て集められ、再び文明の火を灯そうと、学者たちが必死になっているところだった。
それと同時に、カーネギーが力で奪ったイーライの聖書が開かれ、またイーライの正体も判明する。
このカメラの切り替えは良かった。

カーネギーがそおっとガキを開けて開いた聖書には、一切文字が書かれていなかった。
いや、本の表面に浮かんでいるのは、小さな凹凸。
それは手で触らないと判別できないような、細かい点。
そう、イーライの持っていた聖書は、点字の聖書だった、というのが、“オチ”。
イーライは、最初から盲人として、スクリーンに登場していたのね。
でもそれは、観客にはそうだと分からないうようにストーリーは進んでいく。

そこで、振り返って、イーライは本当に盲人のように振舞っていたか、が気になる。
当然の常識として、盲人である設定なら、見えるような行動を取ってはいけない。
小説でも、男女が分からない描写であるなら、「ボク」とかの一人称は使ってはいけないし、
それはもちろん映画やドラマの世界でも、回想シーンなどではウソの映像を使ってはいけないし、
ま、意図して使っている場合は別としてね、
日本の2時間ドラマは、それが守られている訳ではない、というところが、地位を貶めている気もしなくもないけど、
とにかくイーライは、見えているような行動はできなかったはずなの。
そこで、一番気になったのが、冒頭、空き家でイーライが奥の扉を開いたら、首吊り死体に出くわしたシーン。
あれは何に驚いたんだろう。
まさか死体には驚かないと思う。
匂いとかで気づかない限り、イーライには目の前に死体がぶら下がっているのは分からないはずだから。
ま、匂いを気にしたり、音に頼ったりと、確かにイーライの行動には、盲人の伏線があったように思う。
殺陣にしても、ま、市が盲人だから、何をかいわんや、か。

それにしても、点字の聖書は、えー!とかほほう!とかならず、ふふん程度だったな。
しかもイーライはその全文を暗記していて、なら聖書はいらないんじゃ、と思ったり、。
ま、象徴として、その存在が必要なのは納得するけど。

デンゼル・ワシントンでなければ、この作品の味は出なかったと思うから、キャストが良かったって事かな。
カーネギーは、最後、誰かの手によって、ちゃんと殺して欲しかった。
なんとなくケジメとして。

どこか現実離れした映像と、強くヒロイックな主人公を楽しむには、適当な作品かな。
それ以上でもそれ以下でもないけどね。


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アメリカ人大好き映画 【アイアンマン2】 [映画日記<2010年>]

「アイアンマン2」を見たよ!

自分がアイアンマンだと明かしたトニー・スターク(ロバート・ダウニーJr.)だが、相変わらず巨大企業のトップとして、華々しい日々を送っていた。
軍からアイアンマンのスーツを引き渡すよう求められても、同じスーツを作り出すには、他人ではまだ5~10年はかかると豪語し、一向に取り合おうとしない。
会社の経営もそこそこに好きな事ばかりしてるトニーに、秘書兼恋人のペッパー(グウィネス・パルトロウ)はキレ続け、ついにトニーは、社長の権限をペッパーに譲る始末。
しかしノー天気なトニーにも一つ死活問題があり、心臓を守る為の、そしてスーツの主電源となる装置の燃料、パラジウムの毒素が体内に漏れ出しており、それに替わる元素が見つからなければ、トニーの身体はもたない事が分かっていた。
そんな折、F1レースの為にモナコを訪れていたトニーの前に、アイアンマンのスーツと同等のパワーを持った装置をつけた、謎のロシア人科学者(ミッキー・ローク)が現れたから大騒ぎ。
さらには謎の組織からも接触を受けながら、トニーはアイアンマンとしてヒーローであり続ける事ができるのだろうか・・・。

アメリカ人が大好きな事を、これでもかこれでもかと詰め込んだら、きっとこんな映画ができますよ、という映画。

ちなみに「1」はレンタルで自宅で見たのだけど、これだけお金をつぎ込んで、結構アホな事をしている映画を作ったのだから、やはり迫力が楽しめる映画館で見た方が良いかも、と思ったわ。

アイアンマンのコミックを読んだ事はないけど、この主人公にロバート・ダウニーJr.が適任だった、というのが、この作品の成功した秘訣だと思う。
ちゃらんぽらんで、セレブで、ワガママで、はちゃめちゃで、でもなんとなく人が良くて、憎めない。
そんなトニーがどこまでもマイペースに進んでいくのが楽しい。

ストーリーも、これまた詰め込みすぎで、正直、詰め込みすぎて消化不良は否めない。
特に、サミュエル・L・ジャクソンとスカーレット・ヨハンソンが演じた謎の組織が、謎のまま理解できずに終わってしまった。
あれはなんだったの?
敵?味方?
それすらよく分からなかったのだけど、サミュエル・L・ジャクソンほどアイパッチが似合う人物もいないし、ファンタスティック・フォーかX-MENみたいなぴちぴちレザースーツが似合う、ちょー強いスカーレット・ヨハンソンも、キャラ的には適任。
敵だろうが味方だろうが、正直どっちでも良くなっちゃった。

意外と軽く見られがちだけど、オイシイキャラなのが、グウィネス・パルトロウが演じたペッパー・ポッツ。
キャーキャー言うだけのアメコミキャラかと思えば、危険な場所に自ら乗り込んでいって、またまたキャーキャー言いながらきっちり役割を果たしていたので、オイシイ役だな、と思った。
一応、トニーの恋人なんだよね。
ちっとも素直じゃない二人だから、言い争いばかりしているのに、トニーはペッパーに勝てないの。
そこがまたトニーが好きになってしまうツボかも。

そのトニー。
体内の毒素を計り数値を見ながら、「どうしたらいい?」と自問自答する姿が、またまた弱気な本音を垣間見ているようで、ちょっときゅんとしてしまう。

ミッキー・ロークもいいキャラだわ。
ロシア人に見えなくてもロシア人だし。
胡散臭げな風貌がまたよく似合っているし。
ダサそうに見えて強いけど、やっぱりダサいという、奇跡的なキャラ。
配役の妙だな。

でもなんだかんだいっても、きっちりと観客の興味を手放さないのは、スピード感溢れる、というか、観客を置いてけぼり寸前まで突っ走ってしまう脚本が、上手いのだろうな。

それにしても、F1カーレースや、セレブなパーティー、ロボット、武器、最新機器、ドーナツなどなど。
アメリカ人の好みをなんでもかんでもぶち込んでいるよなぁ。
それでいて、面白いのだから、何をかいわんや。
文句もつけられん。
あのロボットはちょっとSWのクローン戦争のドロイドみたいだったわ。

あと、アメリカ人が好きな、友情と親子愛。
これまで詰め込んでいるんだよね。今回。
トニーと父親との関係は、ようは子が親に認められて一人前の大人になるっていう、結構使い古されたネタだよね。
それでもそれを堂々と盛り込んでしまうのだから、やり事が大胆なのか単純なのか。
男同士の友情も、結局はただの殴り合いだしな。
ホント、ポイントをいちいち押さえてて、それでいてしてやったりな感じで、ムカツクけど面白いから仕方がない。

ワガママをいえば、ミッキー・ロークは簡単にヤラれすぎだったし、新元素は簡単にできすぎだし、テストもしないのに新しい胸の電源は快調だし、都合良すぎなのだよね。
「1」は、電源がもつかどうか、とか、確か爆発までの時間の制限があって、ドキドキしたはず。
今回は、そういうドキドキはなかった。
その代わり、というか、戦いが派手になって、火薬の量も増えた。
エピソードが多くて、いちいちドキドキしているヒマもなかった。
ミッキー・ロークのキャラが濃いおかげで、敵の存在を忘れる事がなかったから、良かったのだろうけど、焦点がブレる危険はあったって事かな。

あの北朝鮮の映像は、創作物だと分かっていても、いいの?って不安になったのは、私だけじゃないはず。

終始、お祭り騒ぎで、結局ハッピーエンドっていう、王道。
ペッパーと仲直りできたし。
毒素の問題も解決できたし。
めでたしめでたし。

・・・あのエンドロール後のオマケ。
あれは「3」が決まっている事を知っていても、ちょっとヤラしい気がしないでもない、ような。

ま、見て損はない、はず。


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LAST MAN STANDING 【アウトレイジ】 [映画日記<2010年>]

「アウトレイジ」を見たよ!

関東一円を取り仕切るヤクザの大元締め、山王会本家会長関内(北村総一朗)は、直参池元組組長池元(國村隼)が山王会に所属していないが池元とは兄弟の杯を交わしている村瀬組組長村瀬(石橋連司)と何やら画策しているのではないかと疑い、若頭の加藤(三浦友和)を通じて、村瀬を追い出すよう池元に命じる。
池元は、イヤな仕事はいつも、傘下の弱小組大友組組長の大友(ビートたけし)にその役割を押し付けていた。
そして、村瀬組が経営するぼったくりバーへ、ヤクザとは見抜けなかったポン引き(塚本高史)が、大友組の組員をバーに招きいれた事から、組同士の関係は一気に悪化する。
報復が報復を呼び、やがてヤクザの抗争へと発展していく中、騙し騙され、誰か一番得をするのか。
そして、果たして誰が最後に生き残るのか・・・。

久しぶりの邦画は、北野武監督作品。
そして北野作品でも、原点回帰のヤクザ映画ですよ。
何ヶ月ぶりか何年ぶりかの邦画が北野作品なんて、やっぱり私ひねくれてるかな。

ヤクザ映画といっても、一昔前の、極道の妻たちや、仁義なき戦いとは違うよ。
そりゃヤクザの世界だから、仁義も通すし、指も飛ぶけど、どちらかと言えば、ヤクザは金儲けと出世が大事。
騙し騙され。
裏切りが横行。
誰も本音を隠したまま、自分の私利私欲の為に、他人を欺く。
そんな世界が北野ヤクザの舞台なんですよ。

アンサンブル映画っぽい作りにもなっているけど、ストーリーはまぁ、だいたい大友中心に動いている感じ。
これは監督、脚本、編集、主演とをこなした北野武の特権なのだろうけど、
大友も決して“いい人”ではないのだけど、それ以上に周りが悪人ばかりで、昔かたぎの仁義を通すヤクザの生き方をする大友や、その若頭清水(椎名桔平)なんかが、なんだか“いい人”に思えてくるから不思議だよ。
そして、役者ビートたけしにも、独特の哀愁があるので、余計、弱小組組長大友が、逃れられないシチュエーションで、精一杯自分の思う通りに生きようとする姿が、愛おしく感じてしまうね。

前半はそれほどでもないけど、途中からヤクザ同士の抗争に発展していくと、ばんばん人は撃たれるし、死んでいくね。
現代の日本では、もうここまでヤクザが派手にやりあう事もなくなってしまったのかな、と思う。
それも、切った張ったの世界じゃなくって、あくまでも私欲の為に邪魔者を消していく、といった体。
もちろん下っ端の組員たちは、報復の為に身体張るんだけど、上に行けば行くほど、欲がかからんできて、えげつないな。

そのもっともたる人物が、最後まで生き残る、三浦友和演じる加藤と、加瀬亮演じる石原と、小日向文世演じる片岡。
加瀬くんはともかく、三浦友和も小日向さんも、普段は“いい人”専門のような方だから、それがここまで姑息な悪人を演じると、なんだか逆にリアリティを感じるな。
悪人顔が悪人でもふーん、って感じだけど、善人に見えて悪人って方がインパクトあるもんね。
そういう意味では、良いキャストだったんだろうな。

北野監督の上手いところは、シリアスなヤクザ抗争のお話でも、要所要所に笑えるネタを仕込んでいるところ。
何ヶ所か、ぷぷっと吹いてしまうシーンがあったよ。
映画館がぷぷっと吹いてどよめくっていうのも、久しぶりの体験だったわ。
・・・普段、コメディとかも見ないしね。

大友の最後のシーンはちょっと切なかったなぁ。
清水にも、逃げ通して欲しかったし。

2作品しか見れていないのだけど、北野武作品には一種独特の切なさを感じるのだけど、それは好きな要素。

面白いか面白くないか、というところに特化すると、最後まで見てもどちらか分からなかったかな。
面白かったような気もするし、そうでもなかった気もする。
前半は特に展開が遅いし、人物相関図が結構複雑だから、登場人物の関係が分からなくなってしまうと、ストーリーが面白くなくなっちゃう。
でも、無表情で人を撃ったりするキャクターって好きなので、結構楽しめたのかも。
大友もヤクザのくせしてお人よしの愛すべきキャラとしては成功していたと思うよ。

立場としてはお笑い担当になってしまった石橋連司さんにも拍手だな。

大友組の組員のくせして、加瀬くん演じる石原は、食えないキャラクターだったな。
あんなふうに裏切るとは思ってなかったし。
今の時代、ヤクザも英語がしゃべれないとダメなのね、というのは、ははぁっと思ってしまった。

「キル・ビル」が、映画史上一番“F○CK”をいう作品って事だけど、この「アウトレイジ」は、日本で一番「コノヤロー」をいう作品じゃないかな。
セリフの最後には全て「コノヤロー」がついている感じ。
それがだんだん面白くなってきてね。

邦画特有のお涙頂戴もの。
甘っちょろい恋愛ものに飽き飽きしている方は、刺激を求めて見てみるのも一興じゃないかしら。
ヤクザな世界をカッコイイと思っている人には、加藤の行動にしてやったり、って思うのかな。
それとも大友みたいな生き方の方がカッコイイのかな。
万人にはお勧めできないけど、一部の方には楽しめると思うよ。


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「アリス」と「第9地区」 [映画日記<2010年>]

感想を書こうと思っていたのに、タイミングを逃してしまい、結局書きそびれた2作品。
やっぱり何か書いておきたいと思い、簡単にだけど、感想なぞ。
なので、あらすじは、今回は割愛。
あしからず。

まず、「アリス・イン・ワンダーランド」

いらずと知れた、ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の「不思議の国のアリス」。
何やら、興行収入的には、ものすごいらしいね。

そんな鳴り物入りの作品だったのだけど、実のところ、それほど期待していなかった、というか、逆にここまで騒がれているけど、それはジョニデのおかげだったりするところが大きかったから、実のところどうなの?という疑問の方が大きかった。

で、実のところ。
ストーリー的には、それほど面白い作品ではありませんでしたね。
その割りに興行成績が良いので、面白い作品=収入的に成功、とは言い切れないのだな、とあらためて。

ストーリーは、取り止めがない感じで、最後まで突っ走っちゃう。
キャラクターの位置づけが中途半端というか、誰に感情移入して見ればいいのか、迷ってしまった感じ。
主人公は、果たしてアリスなのかマッドハッターなのか。
アリスのキャラクター的性格が結構あっさりなので、そのせいで感情移入しづらかったのかなぁ。
作品を通じて、アリスがワンダーランドでの経験を元に、現実世界でも自分の決断で生きていく、という成長物語なのだけど、そのアリスがどこを裂いても引っかからない、さらっとすーっとこぼれていってしまうようなキャラクターなのよね。
美人さんなのだけど。

そしてそれ以上に、マッドハッターがキャラが立っていて、アリスの隣に置いておくのはもったいない気もする。
どこか押さえているような感じがしたから。

この二人以外のキャラクター、という意味では、とても面白かった。
最初はヘレナ・ボナム=カーター演じる赤の女王が、ものすごいキャラで、それが気になっていたけど、だんだん物語が進んでいくと、アン・ハサウェイ演じる白の女王の立ち居振る舞いの方が面白くなってきた。
あの天然な感じがたまらん、ってね。
チェシャ猫も白うさぎも芋虫の長老も、さすが、というか、良いキャラタクーしてた。

赤の女王、といえば、彼女は教訓的なキャラクターで、人と違う、醜い違い、を自分の中で認められない、また、周りもそれを個性やその人の特徴として認められない、マイノリティーやフリークに対する差別がそこにはあるの。
赤の女王は、それを嫌い、恐怖で人を支配しようとしてた。
自分の、たとえ醜い特長でも、赤の女王の場合は人の2倍以上も大きい頭なのだけど、それを受け入れ、周りの目を気にする事なく、そうすれば彼女もああいう結果にはならなかったと思うのだけど。
でも、白の女王が誰からも好かれる優しい王女であったのは、彼女が美貌に恵まれていたから。
美貌だと人に好かれる、醜いと人から嫌われる、という構図が、果たして本来の姿がどうか。
そういう教訓があったはずなのだけど、どうもストーリーが馴染まないせいで、すっきり入ってこなかったのが残念な作品だったわ。
たくさんの人が見た作品だけど、そこまで深読みして見る人は、多くないからなぁ。

これから見る方は、ちょっとだけでも、そういう教訓的な部分を見て欲しいな、と思った1本です。


続いて、「第9地区」。
エイリアンが出てくる、ピーター・ジャクソンが制作に関わった作品、という以外、予備知識がないまま、上映最終回にギリギリ滑り込みセーフで見てきました。

これ、映画賞にノミネートされる、絶賛された作品だって事、見て実感。
ものすごいメッセージ性の強い、ガツンと脳に残る作品でした。
グロさも込みで、ね。

まず、エイリアンが地球に・・・ってなれば、「インディペンデンスディ」みたいな、地球侵略を想像するのだけど、全く違った設定に驚き。

ストーリーはややドキュメンタリー風に進みます。
突如南アフリカの上空に現れた宇宙船。
そしてその中に乗っていたエイリアンは、実は宇宙船の故障で、地球の上空に止まったまま、立ち往生をしていただけ。
でも、言葉も違う、文化や習慣も違うエイリアンは、地球人にとっては未知の存在。

で、最初は、難民として受け入れていた政府も、エイリアンたちが住む地区がスラム化してくると、彼らを強制的に移住させようと、動き出すところが物語りが始まる。
この強制移住は、まるでナチス時代のゲットーみたい。

主人公は、この移住作戦の責任者。
民間企業なのだけど、とにかく武力を持った強制移住なので、軍隊がムリヤリエイリアンを排除しようとしているように見える。
一応、書類もあるけど、それをエイリアンたちが理解しているかは、関係ないからね。

で、この主人公は、偶然ある“液体”をかぶってしまった事から、DNAが人間からエイリアンのものに変化していき、見た目も段々とエイリアンみたいになってく、という、まるでホラー映画のような展開。

でも、ここで、ただグロいホラー映画になるのかと思いきや、またまた予想を裏切られる。
この主人公が、人間とエイリアンの“中間”である事が必要だったの。
この作品を物語る為に。

この主人公を中心に、ストーリーは展開していくのだけど、すると次第に、人間のエイリアンに対する差別や偏見、エゴや欲などが顕著に見られるようになってくる。
エイリアンの見た目は、登場人物たちは“エビ”って呼んでたけど、どちらかといえば“バッタ”ぽいと思った。
このエイリアンの見た目が良くない(あくまで人間の目から見てね)、というのはこれも必要だった事。
醜い=嫌悪、となりやすいじゃない。
余計に言葉も文化も習慣も違う生き物同士。
ゴミをあさり、よほど知的とは思えない行動を取るエイリアンを目の前にしたら、
人間が、自分たちの方が上、と勘違いしてもおかしくない状況を作り出している。
だから、エイリアンを“エビ”と呼び、見下している。
だから簡単に移住させようとするし、抵抗されれば殺してしまう。
主人公は、見下す立場から、見下される立場になってくの。
しかも、DNAのハーフという事で、その存在は研究対象にもなり、彼の存在は、あっという間に重要人物になる。
しかもエイリアンたちの武器が、エイリアンのDNAにしか反応しないってしうのも、その原因があったのだけどね。

そんな中、主人公は人間から逃げ続けながら、一人のエイリアンと出会い、その身体を治す、という目的を持って、彼が彼らの母船を動かすのに協力するようになる。

とは言っても、この主人公も、最初は人間の立場でエイリアンと接しているから、見下した態度を取り続け、何度も彼らを裏切る。
でもこの主人公に協力したエイリアンは、ちょっと他のエイリアンたちと違って・・・。

ようは、教養を持った、さらには息子を持った、常識的で紳士的なエイリアンだったの。
人間は、エイリアンたちを見下していたけど、実は知的レベルが低かった訳じゃない。
一部はそうだったかもしれないけど、少なくとも宇宙船を操縦できるものもいたのだから、その知的レベルが低いはずがない。
実際、その操縦シーンは、まるで高度な技術を持ったSF映画に出てくる宇宙船みたいだったから。

このエイリアンは、何度も何度も人間にひどい仕打ちを受けるのに、決してこの主人公を裏切らなかった。

最終的に、主人公は、このエイリアンと3年後、身体を治す約束をしたまま、彼を逃がす為に、人間と戦い続ける。
3年後、このエイリアンが帰ってくる保障はない。
でも、最後には、この主人公は何が善で何が悪なのか、悟ったのではないか、と思わせる。
エゴ、欲丸出しの人間に対し、終始真摯な態度で接していたこのエイリアン。
どちらが本当の“心”を持った存在だったと言えるのか・・・。

強烈なメッセージは、エイリアンのグロテスクな外見とともに、記憶にガツンとやられました。
外見と心のギャップ。
それを分かりやすく見せる為のキャラクター設定なのだけど、なかなかの強烈具合に、しばらく頭から離れらなかったわ。
さすが、ピーター・ジャクソンが制作をしたかった理由が分かったよ。
元々は、無名映画監督の短編作品だったらしいよ。
それを長編とする時に、ピーター・ジャクソンが関わった、という事らしい。
彼の、WETAが関わる事で、映像的にもなかなか良くできてる。
わざと、わざとらしい映像にしていると思うよ。

くしくも、表現は違えど、「アリス」も「第9地区」も外見と偏見をテーマに持った作品だったね。
もちろん強烈なのは後者だけど、見る人もいろいろなのだから、その度合いもいろいろあっていいのだろうね。
「第9地区」は、かなりグロいけど、大丈夫な方には見て欲しい。
悪人、善人、な対極的な描き方をしている訳ではないけど、何が大事なのか、思い知らさせれるから。


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